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怪物とBOW AND ARROW
最近やっと、怪物という映画を見た。
ずっと気になっていたがなんとなく見る勇気がなかった作品。
自分が親でなければサラッと鑑賞できただろうけど、親として受け止めるには相当な覚悟がいると察知していた。
結果、見てから3日経った今でも心が揺さぶられている。
※このあと若干のネタバレありです。
同じ折、米津玄師さんのナタリーのインタビューを読んだ。
新作のBOW AND ARROWで描く、親子関係について彼はこう述べている
//以下引用///////
確かに親からの庇護を受けないと生きていけないのは大前提であるとして、私は親であるあなたの付属品ではない。成功は自分で勝ち取ったものであるし、あるいは逆に失敗したとしても、それは自分で選んだものである。実情はどうであれ、子供がそう思えるだけの環境って、ものすごく重要なんじゃないかと思うんです。そのためには、庇護する側が手を放すということが必要で。私は私で、あなたはあなた。子供であるあなたは私の側を離れて自立して出ていくものなんだという。そういうところから「手を放す」という言葉が生まれて、そこから連想しました。弓を構えて矢を引っ張ると緊張状態になる。張り詰めて張り詰めて、パッと手を放せば、矢は限りなく遠くまで飛んでいく。その関係性がうまくハマるんじゃないかというところにたどり着きました。
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分かるよ、君のご意見に私も同意するよ!
そして手を放すの「はなす」は「離す」じゃないのね!すてき!
でもその言葉で片付くほど、子供の手を放すこ親にとって簡単じゃないのよ
米津くん
そして手を放すのは親からではなく
子供からじゃないかな。
子供は親の愛情を貯めて、自分のタンクがいっぱいになったら親から放れようとする
そこで親が手を放せるか
そこなんだよね。
話は怪物に戻りまして、
ここに出てくる母親はどうすればよかったのか?
悪意のない善意で子供と接し続け、
結果、知らぬ間に子供に呪いをかけ続けていた。
彼女もおそらく、子供の手を放すということを
しなければいけないのは分かっていて
できなかったのだと思う。
手を放すという事は
子育てにおいて一番難しく、怖くて辛い。
私は子供が手を放してきたタイミングで、
手を放すことができるだろうか?
もう大丈夫だね、
あとは後ろで見守ってるよ
と、背中を押せるように今は愛情をタンクに溜め続ける。
最後に、
BOW AND ARROWはピースサインに対する回答と米津くんが言っていたのにグッときた
ヒロアカ勢としては。