最近追ってなかったし、シリア内戦をちょっと整理してみようと思ったやつ

世界史の授業中に帝国の版図が色分けされている図を見るのが好きだった。1200年代、東アジアの内陸国モンゴルが中国を飲み込み、中央アジアに浸透し、ベルシアに至り、モスクワを経由してウィーンに迫る…みたいなやつ。中学高校あたりに世界史が好きだったタイプの人は共感してくれると思うんだよな。

2010年代、シリアの内戦が始まったころにぼくは中東ウォッチャーをやっていた。シリア内戦関連のWikipedia記事をよく編集していた。こういう言い方はするべきではないと思うが、楽しかったんだよね。当時のシリアでは世界史の資料集でしか見たことなかった陣取り合戦がリアルに繰り広げられていた。

今年、つまり2024年11月下旬、シリアの反政府勢力が攻勢にでて、そしてアレッポを制圧したと話題になった。この反政府勢力の中心がタハリール・アル=シャーム。名前からイメージする通りイスラム主義勢力だ。2010年代に民主化を求めるデモから始まったシリア内戦で最終的に主導権を握ったのがイスラム主義勢力ということになる。それどころかこのイスラム主義勢力のルーツはアルカイダにある。

あのアルカイダである…。いや、この認識はもしかするともう古いのかもしれない。まだアルカイダは各地に存在するが存在感は薄い。それぞれの支部が独自に動いていて統括する指導部が存在していない。それでも分離独立する勢力が少ないのは「アルカイダ」にネームバリューがあるからだろうか。

とにかく、アルカイダと言えばイスラム過激派の代名詞だった時代がある。ウサマ・ビン・ラディン(911テロの首謀者)が1988年に作ったアルカイダがその名を一躍とどろかせたのが2001年の911同時多発テロだ。ニューヨークのシンボルだったワールドトレードセンタービルに航空機が乗員乗客を乗せたままつっこみ、そのままビルは崩壊した。アメリカブッシュ政権(および有志連合)は対テロ戦争と銘打って2001年にはアルカイダと関係の深いアフガニスタンのタリバン政権を転覆させ、2003年には(大量破壊兵器を保有しているという言いがかりで)イラク、フセイン政権との戦争に踏み切った。

この二つの戦争はすぐに決着がついている。しかし統治体制を確立するのに大変な苦労をし、アフガニスタンではそれに失敗している。戦争に勝つことよりも統治体制を確立することのほうが難しいのは歴史が証明しているのだが、日本統治だけがどうも例外でアメリカはその例外の再現性を夢見る傾向がある。

シリア内戦前夜のイラク

ここからは少し戦後のイラクの話をしたい。

2003年5月にはアメリカ外交官出身のポール・ブレマーがフセイン無き後のイラクの連合国暫定当局代表、つまり戦後日本でいうところのマッカーサーポジションに収まる。このポール・ブレマーはまずイラクの公務員に緊急手当て(一人20ドル)を支払うのだが、軍関係者にはこの手当てが支払われず、それどころか旧イラク軍は解体された。

ブレマーとしては旧フセイン政権のバアス党カラーを払拭することがイラク国民の信頼を勝ち取る近道だと考えたのかもしれないが、開戦前夜にはCIA(アメリカの情報部)は「投降すれば雇用は保証する」という殺し文句でイラク軍に対する工作活動を行っていたために、連合国暫定当局は旧イラク軍の信頼を決定的に失ってしまった。すなわち、25万から30万のイラク兵が街に放たれる結果となった。少なくない数の旧イラク兵がアルカイダ(スンニー派)やマフディー軍(シーア派)等武装勢力に合流したと言われている。彼らは占領軍(おもにアメリカ軍)に対して攻撃をくりかえし、2007年にはアメリカ軍は2万人の増派を余儀なくされている。

ブレマーの失敗が尾を引きずりイラクの混乱は2010年まで続く。これは2010年にオバマ大統領(任期2009-2017)が戦争終結宣言を出したという意味に過ぎず、イラク視点で言えば北部には実効支配の及ばない地域が存在し続けていた。

シリア内戦

そしてようやくシリアの話だ。

イラン、イラクはイスラム教シーア派住人が多いのだが、イラクのフセイン政権はスンニー派だった。つまりマジョリティのシーア派をマイノリティのスンニー派が支配する構造だった。一方隣国のシリアではマジョリティのイスラム教スンニー派をマイノリティのシーア派であるアサド家が支配するという構造だった。

2011年3月、シリアでアサド政権に対する反政府デモが始まる。チュニジアからアラブ世界に波及した民主化運動のひとつだった(アラブの春)。チュニジアでは平和的な政権移行が達成されたが、シリアのデモは瞬く間に内戦へと発展した。数百に及ぶ武装勢力が蜂起したといわれる。なにしろシリア内部や周辺には人種や宗教が入り乱れすぎている。


2013年のシリア。wikipediaより

大きく分けてアサド政権軍(一応シリアの正規軍)、自由シリア軍(シリアの正規軍から離反した反政府勢力)、クルド人陣営(ずっと国を持つことを夢見ていたので団結力すご)、そしてイスラム過激派(イスラム法に基づいた国を作りたい)というよつどもえの陣取り合戦が始まった。

まず注目を浴びたのは(注目というのは西側から見て正義に見えたという意味だろうが)自由シリア軍だった。アサド独裁政権の正規軍から離反したプロの軍人たちだ。なにしろ宗教的大義を掲げないし、おそらく民主化を望んでいるので西側諸国がバックアップしやすかったのだ。その半面、アメリカの支援を受けているという事実はシリアの民衆にとっては受けが悪かった。アメリカはイスラエルの後ろ盾であり、イスラエルはアラブの敵だ。

そしてクルド人勢力。クルド人は絶賛ディアスポラ中(民族離散中)で国を持たない世界最大の民族などと呼ばれる。実数は不明だが一説には3000万人がトルコ、イラン、イラク、シリアにまたがる地域に暮らしているとされる。彼らはどの国でも迫害をうける側で(もしかすると日本でも?)、クルド人国家の樹立を常に夢見ている。またクルド人はイラクには自治区の政府を持っていたり(1991年の湾岸戦争以降自治区を持ち、軍事部門もある)、トルコでテロ活動を行っていたアブドゥッラー・オジャランというイデオローグも存在する。ようするにクルド人はアイデンティティをもっている。彼らは国をもてるチャンスとあらば勇敢に戦う。それに迫害される側だったためか、宗教や人種に寛容……、というか社会主義者といって過言ではない(これアメリカ的にはどうなんだ?)。イスラムの支配する環境において女性が活躍できる社会でもある(アメリカが好きそうな話だな?)。

内戦が始まるとクルド人はシリア北部をさっさと固めてしまい、アサドにも自治を飲ませてロジャバという共同体を作った。アサドとしてもクルドが静かにしていてくれれば反体制派との戦いに集中できたというわけ。このクルド人の自治区は事実上の独立国なのだが、国内にクルド人を多く抱えるトルコとイランがクルド人国家の樹立の話が出るたびに毎回強行に反対している。それでもクルド人らはシリア内戦では一環して利益を得た側のように見えた。

あとはイスラム過激派勢力(スンニー派)だが、基本的には打倒アサド(シーア派)のために自由シリア軍と共闘していた。アルカイダ系、パレスチナのハマス系・ファタハ系、パキスタンのタリバン運動系など各国のスンニー派ジハーディストが集まっていた。しかし最終的にはシリア系の勢力が主導権を握っていった。

思い出してほしいのだが、オバマ大統領によるイラク戦争終結宣言が2010年。シリアの内戦が2011年からということになる。旧イラク兵を吸収しアメリカ軍と戦っていたアルカイダ系の勢力はイラク・シリア国境でくすぶっていたというわけ。とても可燃性が高い状態だった。

このアルカイダ系の武装勢力でとくに目立っていたのがシリア人で構成されるアル=ヌスラ戦線だ。もちろんテロ組織に指定されているが、民主化を目指しているであろう自由シリア軍と共闘していた。2012年、ワシントン・ポストはアル=ヌスラ戦線をもっとも成功した自由シリア軍の同盟組織と評価している。最終的はにイスラム国家の樹立を目指してはいるものの、目下の目標であるアサド政権の転覆に集中しコミュニティとの関係を良好にたもっていたと報じられる。このアル=ヌスラ戦線はのちに複数の勢力と合併し、タハリール・アル=シャームを結成する。2024年のアレッポ制圧を実現した反政府勢力の主力だ。

(民主主義陣営の我々からすれば)主敵はアサド独裁政権。自由シリア軍とイスラム過激派は共闘。クルドは静観。盤面のプレイヤーはこれだけだと思っていたのだが、なにやら視界の端で暴れている勢力がいる。最初はさして意識していなかったその勢力は自由シリア軍とも交戦し、アサド軍とも、クルド人勢力とも向こう見ずに戦闘を繰り返し、一年足らずで瞬く間に国家と自称するにあまりある広大な地域(イギリスよりも広かった)を制圧してしまった。ISISである。これには驚いた。


2016年のシリア。wikipediaより

独裁者だって反政府軍だって国際世論を敵に回すことは得策ではないので無意味に世論の反感を招くようなことはしないし、したとしても隠そうと繕うものだ――サリンを使用したときのアサドのように。しかしISISはまるでちがった。捕まえたジャーナリストの首を、シリア兵の首を、カメラの前で生きたままナイフで切り裂きyoutubeに投稿した。そして世界各地のイスラム教徒に、ローンウルフ型のテロを遂行するように訴えかけていた。まるで違う次元の何かがおきていた。ISISの黒い旗を掲げたランドクルーザーの車列が砂埃をあげて砂漠を疾走していた。時はまさに世紀末。

ISISはもともとはアルカイダ系だが2013年に破門されている。しかしその勢いとSNS戦略は世界中のムスリムの若者の心を掴み、多くの資金と戦闘員を集めた。たとえばヨーロッパに移民し、現地になじめないムスリムの2世3世が戦闘員になるべくイラク・シリア国境に向かうのだ。それは社会問題にさえなった。前述のアサド政権と戦っていたはずの武装勢力からも離反しISISに加わるものが続出した。

反政府勢力を支えるアメリカやその同盟国、そしてアサド独裁政権を支えるロシアやイラン(シーア派)。この二陣営は全面的にぶつかりたくはなかったのかシリアに直接介入することはなかったのだが、ISIS問題に対処すべく腰をあげた。

2014年8月からアメリカやフランスなど有志国がISISに対して空爆を開始した(はじめはイラク国内のISISに、のちにシリア国内にも)。12月にはイランもISISの空爆に参加している。アメリカはクルド人勢力とも連携し彼らは地上でISISの掃討に当たった。ヨルダンやUAEも空爆に参加している。

ISISを攻撃することが結果的にアサド政権の支援になってしまうことを恐れていたというのもあるのだろうが、アメリカやフランスの空爆はそれほど成果をあげられなかったらしい。ISISは2015年5月までにシリア領の過半を制圧していた。そしてついに2015年9月、ロシアがISISに対する空爆に参加した。このときの話は軍事アナリストの小泉悠氏が「残虐性の価値」という概念を語る際によく引き合いにだしている。いわく…、

2015年、ロシアはISIS掃討のためにシリアのフメイミム基地に空軍機を30数機送り込んだ。多国籍軍はその時点で7000ソーティー(爆撃機の出撃回数)をこなしていたがISISを押し返すことはできなかった。ロシアの30数機に何ができるのだという論調が強い中、ロシア空軍はISISの掃討をみごとに成し遂げた。この強さの秘密は誤爆や民間人の巻き添えを恐れなかったためと言われている。またチェチェン紛争ではロシア軍は生活インフラを意図的に破壊し、人が住めなくした。テロリストも人が住めない場所には拠点をつくることはできないのだ。

ISISが国家を僭称し広大な地域を支配していたとはいえ、航空戦力をもっていなかった。ロシアにいわせれば西側勢力が無意味な縛りプレイをしていたというわけだ(いや、その縛りが不要だとはぼくは言わないが)。ロシアは2017年にISIS掃討宣言をしてロシア軍の主力を撤収させた。


2023年のシリア。右下はアメリカが訓練した勢力。白はシリア救国政府、タハリール・アル=シャームが作った政府。wikipediaより

アメリカの懸念した通りにISISの掃討作戦がアサドを支援してしまったのかは不明だが、2016年にはシリア政府軍がシリア第二の都市アレッポを奪還している。2018年に首都ダマスカス近郊を政府軍が掌握すると主要な都市はアサド政権が抑えた状態になり、なにかこう、反政府軍は最初の勢いを失い、政府軍は体制を立て直したというような雰囲気があった。反政府勢力が粘ることはできるかもしれないが、アサド独裁政権の転覆は難しそうに見えた。そしてぼくも関心を失っていった気がする。BBCは先日(2024年12月8日)の記事で、過去4年間のシリアの状況はまるでもう戦争が終わったかのようだったと書いているので、やはりそれほど大きな動きは無かったのだろう……、2024年12月までは。

主な三勢力のおさらい

2024年のアサド政権転覆の理解を深めるため、もう一度三勢力のおさらいをしたい。

◆自由シリア軍、現シリア国民軍(Syrian National Army)
2011年ヤード・アル=アスアド大佐率いる政府軍の一部が離反し結成。しかしいまいち統制がとれずかなり早い段階で士気が低下し、比較的士気が高いイスラム過激派に反体制派の主導権を奪われてしまった。民主化デモが発端の内戦で、民主化を目指していないイスラム過激派に主導権を奪われてしまったことは最後までアメリカとその同盟を悩ませていたと思う。アメリカは過激派と共闘する自由シリアと距離を詰め切れずにクルド人勢力を信頼するようになり、逆に自由シリア軍はトルコが面倒をみるようになる。トルコが武器を支援し、トルコで訓練を行った。

トルコはシリア国内のクルド人勢力が気に入らないので、自由シリア軍を防波堤のように使っていた。つまり自由シリア軍の目的はアサド政権転覆だが、クルド人とも戦っていた。ちなみに2015年ごろに分裂し、一部はクルド人勢力と合流している。そして自由シリア軍はシリア国民軍(Syrian National Army)と名乗るようになっている。

◆クルド人民防衛隊を中心とした勢力、あるいはシリア民主軍
クルド人自治区のロジャバとその同盟。クルド人社会が社会主義的価値観を持っている上に、そもそもマイノリティとして扱われてきた歴史があるためにマイノリティに寛容でキリスト教徒などの安全地帯となっている。アメリカの信頼を得ているが、トルコやイランなど国内にクルド問題を抱える周辺国から警戒されている。内戦後の弱いアサド政権下ではほぼ独立していて満足しているうえに、逆にアサド後の国家で自分たちの自治が脅かされる可能性もあるため現状維持を望んでいた節がある。第三勢力という立ち位置か。アサドとも反政府軍とも戦わないというスタンスで本来占領地域が増えることはないはずなのだが、シリア国土の半分以上を蹂躙したISISとは積極的に戦い広い地域を占領地に組み入れた。国際的な賞賛まで得た。なんかずるいな。そしてトルコと接しているラインがながくなったことでトルコの不興をかっている。

◆タハリール・アル=シャーム
2017年、シャーム自由人イスラム運動に関係する複数の勢力やアル=ヌスラ戦線などスンニー派イスラム主義勢力が合併することで生まれた。内戦の初期に活動していたイスラム過激派組織はアルカイダとの繋がりを持っているものが多かったが、共闘を繰り返すうちにナショナリズムを育んでいったのではないかという印象をぼくは持っている。現実問題として、彼らの身内や周辺の勢力にはISISに共感を示すものもいてアメリカから空爆を受けることもしばしばあったため、アサド政権の転覆という目標に集中するためにテロリスト勢力と見られないように、それでもなおイスラム主義者の支持を失わないように腐心していたというのが実際のところだと思う。

具体的には2015年ころからアブー・ジャービル・シャイフらシリア人勢力が中心となってアルカイダとの関係を断ち切った新しい組織を作ろうと動いたようである。アルカイダは快くおもわなかったらしく、タハリール・アル=シャームの支援者を暗殺していくといういやがらせを行った。そのためにタハリール・アル=シャームは自分のテリトリーでアルカイダを弾圧する口実を得る。スンニー派のイスラム主義者(サラフィー主義)なので、民主化を目指しているわけではないはずで、それが西側諸国を警戒させている。2021年には反政府勢力のなかで最も力がある勢力と評価されたが、やはり西側各国からはテロ組織認定されている。こちらもトルコからの支援を受けているとされる。

2024年12月のアサド政権の転覆劇ではこのタハリール・アル=シャーム(民主化を目指しているわけではない気がする)とシリア国民軍(民主化を目指している気がする)が中心となった。実はこの記事を書き始めたときには反政府軍はアレッポを制圧したところだった。今は反政府軍が首都ダマスカスに入城しアサドが国外に脱出したと報道されている。展開が早い。

まとめ

とりあえず最近の報道を見聞きするかぎり、今回の攻勢が成功した背景としてロシア・ウクライナ戦争とイスラエルによるレバノンのヒズボラ(シーア派イスラム主義武装勢力)攻撃によってアサド・シリアの後ろ盾だったロシアとイランからの支援が細ったということが大きいようだ。また、反政府勢力(シリア国民軍とタハリール・アル=シャーム)を後押しするトルコの意向があったともされる。トルコが気にしているのはクルド人だが、そのためにもシリアが安定してクルド人を抑え込んでくれることを望んでいたということだろう。

統治体制が築けずにまた内戦に陥るかもしれないという見方もあるようだが、シリアの人々が安心して暮らせる国になるといいね。

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