過干渉の末路
自分の誕生日をどこか他人事に感じるのは何故なのか
原因としては当時の親友のお誕生日会に行かせてもらえなかった事だと思う。
小学校卒業間近の時の事だ。
当時の親友が私立の中学校へ進学するため、今後、別々になるため、会える頻度が減るだろうと分かっていた。
そんな中、友達を集めて誕生日会をするから来てくれないか?と誘われた。
当時の自分は習い事を習字、器械体操、スイミング、公文式、少年野球、ボーイスカウト、ピアノをやらされていて
毎日が何かの習い事で埋まっていた。
親友の為にささやかなプレゼントを用意して
予め、どうしてもこの日だけは親友を送り出す為に習い事をお休みしたいと母親に伝えた。
当時の性格はわがままだったとは思うけど、自分の中の精一杯お祝いしたいという気持ちを胸に。
でも答えはNoだった。
勉強を優先させられた。
この頃からだと思う。
今までやらされてきていた事が全て嫌で仕方なかったが本当にどうでも良くなったのは。
誕生日という概念自体もどうでも良くなったのは。
子供の頃に人の誕生日を祝ったり、祝われるというのはとても幸せな事で
勉強なんかよりもとても大切な財産になる時間で
大人になってからは得る事は出来ない。
自分の為に時間を使って考えてくれたプレゼントやその気持ち
人の為に時間を使って考えたプレゼントやその気持ち
何物にも代えられないとても大切な物だと思う
過干渉って本当に誰も救われないと思う
「あなたの為を思って」
それ、俺の為じゃないから。
親のせいにするなとよく言うけど
30過ぎた今も親と自分で五分五分の責任があると思ってます。
そして、自己肯定感の低さと未だに戦っている。
自分の頑張りを認めることが出来ない。
この人の機嫌が良いから、今日は安心だ。
馬鹿みたい。
間違ってもよい環境ってのはとても大事だったんだなぁ。
今の仕事をしていて本当に感じる。
もう退職する訳だけど。
機嫌で仕事する人間に囲まれて
自分が悪いんだって思ってたけど
そうでもないな
結構頑張ってたんだな
また一から少しずつ頑張っていこう