本人が思ってるよりも、「親という存在」が足枷になっていることがある。
何かをはじめるときに本人が思ってるよりも、「親という存在」が足枷になっていることが多い。
親の価値観によって人生の選択を決めてる人は、自分で物事を「疑って、考えて、選ぶ」ということがない。
生き方も働き方も、全てが親の生き方に沿ったものだから、なにひとつ自分で物事を選択することがない。
そういう人は、自分の手で人生を動かすことがないから、「生きる」という感覚が麻痺しがち。
なんとなく生きてるし、悶々としてるし、「なんかこれじゃない。」と物足りなさを感じてる。
だから、そういう人が自分に自信がなかったり、やりたいことがなかったりするのも当然のことだと思う。
だって、自分の感覚が麻痺してるから。
ゆえに、まずは親との距離を取って、自分で物事を「疑って、考えて、選ぶ」ということをするべき。
そうしないと自分の感覚を取り戻すことはできない。
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ドゥルーズ/ガタリが言うように、人間は本能によって動かされて、言葉というルールに抑圧されている。
本能と言葉のバランスを取ることで自分を保っている。
そして、その言葉のルールを最初に持ち込む存在は親である。
子供の世界を作るのがまず親だから、子供は親が作ったルールの中で生きるしかない。
ちょっと前に「親ガチャ」という言葉が流行ったけど、それくらい親は子供の人生を左右する。
だから、何かを変えたければ、そのルールが合ってようが間違ってようが、まずはそのルールから離れてみることが大事。
つまり、親の価値観から離れること。
それが第一歩になる。
そうすると、そこからは自分で世界を作ることができるから。
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また、ラカンがこのような言葉を残している。
「自分がいるから他者が発見されるのではなく、他者がいるから自分が誕生する。」
つまり、「人間は周りとの関係性によって創られている。」ということ。
言い換えれば、自分は単独では存在しないし、他人も単独では存在しない。
全てはなにかとなにかの関係性でしか説明できないから、あくまで関係性が存在するだけ。
だから、大事なことは関係性を創造することにフォーカスをすること。
それが人生を進めることになる。
でも唯一、他人が創った関係性がある。
それが、家族であり、親である。
その関係性は自分ではコントロールができない。
他人が創ったものだから。
だから、自分をその関係性に押し殺す必要はないし、どっちにしても一度離れてみること。