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「生きる」 という選択。

ゴールデンウィーク最終日。
夕方3時。空はまだ明るい。
1年ぶりに会った友人に手を振り、駅のホームに向かった。
電車到着まであと3分。
ちょうど良いタイミングだ。

降りる駅の階段の位置に合わせて、いつも通り、ホームうしろ寄りに移動する。
ちょうどアナウンスが鳴り響き、電車がホームに侵入してきた。
何両にも連なる車両が私の前を通過する。
沢山の人々が、車両に乗っている姿が見えた。

今、この瞬間、同じ目的地に向かおうとする人たちが、こんなにも大勢いる

なんとも言えぬ、不思議な感覚だ。

きっと、この電車に乗っている人たちの中には、
この電車に乗ろうと、時刻表を見て、予め計画していた人もいるだろう。
そろそろ帰ろうと思い、たまたまこの電車に乗り合わせた人もいるだろう。
前の電車に乗り遅れて、仕方なく乗った人もいるだろう。

色々な人が、意識的か無意識か、とにかく何かしらの方法で選択した道が、
たまたま、今、この瞬間、同じタイミングで重なって、同じ電車に乗っている。

そして、重なったのは1人や2人ではない。
この電車に乗っている、何百人という乗客だ。

そう考えたら、すごく不思議な感じがするのは、
私だけだろうか…?

人生における数々の選択の瞬間が、一気に可視化されて、見えた気がするのだ。
そして何故か、安心する。

例えば、こんなのも、似た感覚だと思う。

YouTubeで何かの動画を見たとき、
コメント欄で「〇〇年〇月〇日、まだ見てる人いますか?」とかいうコメントを見たことはないだろうか?
アーティストのMVとか、有名YouTuberの昔の動画とかに、よくあるコメントだ。
そういうコメントには、大抵、多くの「いいね」がついていたりする。

返ってくる「いいね」の反応は、少し時差があるものの、
人はみな、確かめずにはいられないのではなかろうか。

同じ瞬間に、自分と同じ選択をして生きている人間がどれだけいるのか、を。

最近、転職活動を始めた。
これからの人生を考えたとき、私は急な孤独感に襲われる。
やりたいことをやって生きたい、自分が本当に大事にしたいことを優先して生きていきたい、ありのままの自分で生きたい。
だけど、そうやって生きるということは、逃げ場がなくなるような気がするのだ
これから何が起きようとも、自分が望んで選択した道だから、何も言い訳はできない。後戻りはできない。そんな気がしてしまう。

今日、電車の乗客たちを見て
妙に安心したのは、その孤独感のせいだろうか。

今、この瞬間に、自分と同じ選択をした人間が何百人といる。

真っ暗闇の私が歩く道に、交わる無数の道がある。
交わるのは一瞬だけど、
確かに、私と同じように「生きている」人が見えた。


そんな感覚なのかもしれない。


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