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今ほど夏が殺人的な暑さじゃないあの頃。
盆に地元へ帰った折に、退屈しのぎにと一人電車で出かけた。

目的地は、まだ地元で暮らしていた学生時代によく来た町。
あの頃は何もかもが大きく見える大都会に感じ、大冒険と違わぬ覚悟で探検していた町も、今となっては一地方都市の街といった様相だ。

もちろん、それは自分にとって落胆ではなく、むしろ良い意味で郷愁にかられる心地だった。当時のことを思い出しながら、買い物や散策を楽しんでいるうちに、とある商業施設の一角にたどり着く。

一脚のベンチと観葉植物。外ではあるが、屋根があるおかげで影ができており、幾分かは涼しかった。
小休憩とばかりに腰を下ろし、先の景色を眺める。見えるのは、青空の下にせわしなく車が行きかう道路とバス停、圧迫感を覚えない程度の大小の建築物が並んでいる景色だった。

朧げな記憶がじわじわと浮き上がってくる。
ここは、学生時代の恋人と訪れたことのある施設だった。
レストランや映画館といった遊興施設を巡り、一息つこうというタイミングで、このベンチに一緒に腰かけた映像が再生される。

ベンチについた時はもう夕暮れ時。帰り支度をしなくてはならない。
寂しい思いを抑えつつ彼女を見ると、彼女は満足そうに「楽しかった~」とつぶやいていた。
そんな彼女にフッと笑みをこぼしていると、彼女が不意にこちらに向き直って問う。

「○○くんは楽しかった?」

私は迷いなく「うん」と告げた。彼女の顔が笑顔でより一層明るくなり、私のさっきまでの寂しさがどこかに消え、代わりに華やかな気持ちが芽生えた。

その寂しさが時を超えてきたのかは知らないが、今、一人でベンチに座る私の胸には、言いようのない寂しさがわずかに灯っていた。
あの頃は、付き合うことを心から「楽しい」と思えた。そして、彼女と末永く共にいるだろうことを疑いもしなかった。

しかし、それは結果として叶わなかった。その後二人は別々の進路へ進み、何とかお互いに時間を作るも、一度離れたことによる心境の変化なのか、長くは続かなかった。

後悔はしていない。というか、当時の自分に別れのきっかけとなった一因がある以上、後悔を語る資格などそもそもない。
だからこの一連の記憶は、自分への戒めとすべきだと考えている。

けれども、こうしたきっかけがあるたびに思い出す記憶は、どれもキラキラした素晴らしい記憶のように思い起こされる。過ちの記憶だけがすっぽり抜け落ちて。
それはどうにも甘美で、しかし、未練がましく引きずっているような後ろめたさも感じるものだった。

今、自分はその時から幾分か年を重ねた環境にいる。

当時の自分に言葉で説明するなら、まあ順調な日々を送っているように説明できるだろう。

だが時折、ふとしたきっかけで昔の記憶が顔を出す。
「あの時は良かった」と言わんばかりの態度で。
それは、今という未来から振り返っているから素晴らしく思えるのか。それとも、あの時の自分が心から充足していたのか。今の自分には分からない。

今の私の環境は幸せだ。疑いようもなく幸せなはずなのだ。
けれども、ふいに掘り起こされる記憶に「本当に心から幸せか?」と問われたとき、私は未だに、自信をもって回答できていない。

ふと気づくと、先ほどまで晴れ渡っていた空に厚い雲が湧き始めていた。
気持ちを切り替えるようにフッと息を吐き、ベンチから立ち上がった。

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こんばんは。P@ssです。

今回は、自身の経験をもとに発想を膨らませた短編を一つ。
こういった場合、果たして相手側の記憶としてはどう残っているのでしょうか。

この主人公と同じように、楽しかった記憶はふと思い出して懐かしむ程度に思い出されるのか。それとも、別れの原因を作ってしまったようなお相手の記憶など、とうの昔に消し去ってしまっているのか。

いずれにせよ、もう確かめるすべもないわけですが。

それでは。また次回。


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