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【掌編小説】許す事
絶対に許せない事は誰にでもあるのかも知れない。怒りが大きかったり自分の信条が強かったり色々理由があるだろう。
亡くなった父は自分の意思に忠実で他人が何と言おうと自分が認められない事は認めない自分の考えを通す性格だった。
それゆえに人との衝突も多かった。「正々堂々」と言う言葉が好きだった。
普段はニコニコと誰とでも社交的に付き合って友人知人も多く自分の親戚とも母方の親戚とも全く同じように親しく付き合った。
母が行かなくても母方の親戚の冠婚葬祭全てに自分から率先して行くような父だった。
ところが自分の兄弟とはお酒が進むと何かと口論になって周りが止めるのが大変だった。
そんな父を誰もがワンマンだといった。
退職後にしばらく再雇用で働いていたが、背中の痛みが出て血尿が出て検査を渋るうちに病気が進みとうとう手術をした。5年生存を約束するという医者の言葉を信じて手術を受け、リハビリを頑張った。ところが食事が徐々にとれなくなり日に日に痩せ細り気力も衰えて行った。
ある日を境になぜか父は「許す。」というのが口癖になった。
許すと言うような場面でなくても、どんな事でも大きな声で宣言するように「許す!」と言った。
どう言う心境の変化なのだろう。あれだけワンマンだと言われ人の意見など全く受け付けない独裁者のような父が「許す」と言う言葉を使うようになるとは。それがとても奇妙だった。
父はそう言う時、なぜか私の目をチラッと見るのだった。
そして決心したように一呼吸してから「許す」と大きく一声いうのだ。
こちらが許してくれと言ったり重大な許可を貰おうとする言葉への返事ではなく、普段の普通の会話での父の答えが全て「許す!」だったのだ。
例えば父が食べ終わった食器を片付ける時にもう運んでもいいかと聞いた時でも、「許す」と大きな声で言った。何をしても何を聞いても「許す。」と言う。
まるでその言葉以外は発しないと決めたかのようだった。
亡くなる前の父の言葉を思い出せば「許す」と言う言葉しか浮かばないほど、ずっと私に言い続けた。そしてそれは弱った父と思えないほどの力がこもった大きな声だった。
父が亡くなって1年程経った頃、遺品を整理する母の手伝いをしていた時、母が突然私に言った。
私が密かに心に決めて大事にお付き合いしている人の事を父には話していないのに何故か父が知り何かしらの妨害をしたと言う事を。それまで私は長い年月それを知らなかった。母に父が何をしたのか聞いたら詳細は母も知らないという事だった。
「どうしてもあなたを側に置いておきたかったんだろうね。でも後悔していたのかもしれないね。あなたが1人で生きるようになったから。」
私は父を許せないと思った。私の人生を父がめちゃくちゃにしたと思った。
その話を私にした後、母も程なく父の後を追うよう亡くなった。私は本当に正真正銘の独りぼっちになった。昔の人は沢山兄弟がいたからこんな時すぐに独りぼっちになどならなかっただろうなと思った。
それから私は毎日仏壇にお供えをして、日々の事を話かけるのが日課になった。よくテレビドラマでそう言うシーンを見るけれど、あんな風に仏壇に話かけるなど嘘の演出だと思っていた。ところが手を合わせていると自然と言葉が出てくるようになった。
そうやって日が経つにつれて今の自分を受け入れられるようになってきた。そして色んな事を思い出した。
そうこうしているうちに毎日の雑事に追われて、「行って参ります。」「ただいま。」という二つの挨拶だけになった。
生きていく事はそんなに簡単ではない。
父を許せないという気持ち、また知っていてそれを言い出せなかった母を許せないと言う気持ちは何年も燻り続けたが、段々と亡くなった両親のした事が両親だけのせいではなく、私自身も弱かったからこうなったのだと思えてきた。
そうすると父の「許す」と言っていた言葉が毎日のように心に響いた。
父は最後に自分が生きているうちに、私にこれからはお前の好きなように生きて良いと言ってくれたんだと思った。
いつからでも人は変わる事ができると父が教えてくれた。
頑固な事は良い時もあるけれど、悪い時が沢山ある。
信じ続けた自分の考えを変える事は普通は中々できないだろう。父の言葉を胸に私も変わろうと思った。
これからは強く生きる。自分の心に忠実に。
そして父はきっとそれを許してくれる。
たとえ私が決めた生き方が父の好みに染まないからと私の行動を邪魔したり制限したりする権利は父にはない。
私の人生だから。
私は両親を許すし、また自分自身を許す。
愛する人を許す。
私が自分自身を信じるならもう親の許可などいらない。
全て許されている。
「自分がどう思うのかが大事。」と言っていた彼は許してくれるだろうか。(1933字)