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【掌編小説】『ユーモアがある人になりたい』

1.

子どもの頃、確か3歳から6歳ぐらいの頃だったと思う。
その頃の家は来客がとても多かった。親戚も色んなところから集まってきたし、近所の人とも仲がいいし、両親共に社交的だったのかと言うと、特にそうでもないと思う。と言うのも親戚も近所の知人も周りの大人は皆んなそんな感じでそれが普通だった。
来客が多いばかりではなく、私も親に連れられて法事にしょっちゅう連れていかれ、冠婚葬祭以外でもよく親戚の家に遊びに行った。いつも誰か周りに両親以外の大人が沢山いた。
可愛い盛りなので親戚のおじさんたちは代わる代わる声をかけて、何かと呼ばれてかまわれた。大人が沢山集まる中を好き勝手にウロウロしていた。
色んな大人がいるもんだと面白く大人を観察していた。
色んな話を聞かされたり話しかけられたりする中でおじさんの中でとても話術の上手いユーモアがある人がたまにいるもんだなぁと思った。
小さいからそんな言葉でそんな風に思ったわけではない。面白い事を言うなぁと楽しかった。連続しておかしな事を言って笑わせてくる。
今で言う中年おじさんのダジャレとかではなくて考えて話してると言うより、話し言葉が全て自然に出てくるのだ。
いや言葉というよりも、そう言う思考回路になっているのだろうなと思った。
その人そのものがそう言うユーモアの塊だった。
私はというとチヤホヤ甘やかされて育ったので何も話さなくてもただ笑っているだけで大人が大喜びした。
受け身で話し下手に育ってしまった。
けれど面白い話には目がない。面白い話を聞くのは大好きだ。色々考えていくうちに、
ユーモアがあって話が上手い人は話が上手いのではなくてそう言う性格なのではないかと思ったりした。
色んな知識はどんどん吸収していっていると自分で思う。頭の中では色んな事を考えている。
でもそれを上手くアウトプットが出来ない。

2.

中学生の頃に、母がスーパーの懸賞でバス旅行が当たったので私もついて行った。
やたらサービスエリアで止まってはお土産を買い、観光をしたら、今度は毛皮のお店に行った。
椅子が沢山並んだ部屋に入ったら大きな白板があって司会の人が出てきて話し始めた。
普通の話をしてるのに皆んな大笑いしている。何だろう。お笑い番組の漫才師より話が上手いのでは。
バスで訪れたお客相手に何度も何度も話していたらこんなに上手くなるんだろうか。

この旅行から帰って大分経った頃、この時の司会の人と似た人をテレビで発見した。
地味なグレーのスーツを着て立板に水のように淀みなく喋りまくっている。
旅行会社の人らしくおもしろツアーを紹介していた。

学校でも話しの上手い先生も沢山いたし、色んな大人を見ていくうちに、かつて見たユーモアのある話術を持っている人たちの沢山の特質が、頭の中でファイル化されていった。
AIが言葉を覚えて学習していくような感じでそう言う種類の類型や詳細がインプットされた。

話も話すスタイルも話の間もファイリングされていくのに、思い切って試しに真似して話してみても誰も笑わなかった。

3.

ある日、母が私に言った。
「やっぱり頼まれて里親になったけど、本当の人間の子供のように育てられなかったね。
ごめんね。今度の試験で言語適性が足りないから、就職先は警備員になってしまったよ。

話が上手い子はショッピングモールの中の携帯ショップに行く子もいるみたいだけど。

警備員っていうのはあんまり話さなくても良いみたい。でも大きな百貨店だからきっとショッピングモールよりも良い仕事だよ。
今までよく頑張ったね。」

翌朝、新品の警備の服と帽子を被って、車に乗せられて仕事へと出かけた。
運転する母の目に涙が光っていた。
「ああ、大きな舞台に立つユーモアのあるロボットになりたかったなぁ…。」
「母さん、出来の悪い子に育ってごめんね。」


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