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★満願成就 俊哉と沙織★

幸せな家庭 俊哉


「俺は本当に幸せもんだよな」

俊哉は朝食を食べながら自分の妻の端正な横顔を見てしみじみと思った。

妻も夫の視線に気が付いたのか柔らかい笑顔を返す。

なんてホッとする笑顔なんだろう。

結婚してそろそろ25年。

二人の子供にも恵まれ、上の子はもうすでに自立している、下の子も後数年すれば大学卒業だ。

残りの人生は愛する妻と過ごす穏やかな日々を想像して俊哉は自分の今までの日々をかみしめる。それは好きな映画の場面を思い出すのと似ていた。

俊哉が初めて妻となる女性に出逢ったのは、彼が新卒で入社した医療機器メーカーで担当した総合病院であった。

野郎ばかりの中に極めて目立つ女性が1人、凛とした、それでいて控えめな様相で、俊哉の目を惹いた。

「先輩、あのひと、、、美人ですね」

俊哉は同行していた先輩に思わず尋ねた。

「おい、ちゃんと仕事しろよ」

と咎めながらも「彼女は放射線科の沙織さんだよ、綺麗だろう。誰も触れられない高嶺の花かな、もしかして百合かもよ」と続けた。

「百合?」
「男に興味ないかも」

え?そっち?

「先輩で何人か沙織さんにアタックしたが誰も成功しなかったんだよ。飯すら誘っても来ないんだぜ」

俊哉は横目で沙織を見たが、沙織は神妙に新しく導入された医療機器のレクチャーに耳を傾けている、その周りだけ明るく感じた。

沙織はその病院の診療放射線技師だった。
女性は珍しい職場であったが、かなり優秀で職場の評判も良いようだった。

自分より3歳上か、、、相手にして貰えないだろうな。

その後、俊哉は沙織を何度も見かけたが話掛ける機会すらなかったが、ある日仕事から帰る途中にふと前を見ると沙織が歩いていた。

「沙織さん」俊哉は思わず声をかけた。

沙織が驚いたように振り返った。

「あ、あの、そちらの総合病院担当している、、、」しどろもどろで自己紹介をすると、沙織は病院とは雰囲気が違い柔らかい笑顔を浮かべ「ああ、新しい業者さん?」と答えた。

業者じゃないんだけど、、、と思ったが、俊哉はこのチャンスを逃すまいと沙織を誘った。

「あの、腹減って、この辺で一緒にメシ食いませんか?」

沙織も丁度何か食べて帰ろうと思っていたところと答えてほほ笑んだ。

そう、あの時の沙織は可愛かったなあ。

いや、今も可愛いし、聡明だし、俺は本当に良い女と結婚出来た。

俊哉は今一度沙織の顔を見つめ自分の好物がそろった朝食の箸を進めた。


理想の家庭 沙織


朝食を用意をしている沙織を見つめる夫の視線に気が付き沙織は微笑んだ。

いつからだろうか、沙織は相手を不快にしないのが、この世をうまく渡る一番の得策と考えだしたのは。

母親がいつも「頭の良い子は相手を不愉快にさせない事よ、相手を怒らせたり、悲しがらせたりするのは可哀相な子のすることなの」と小さい頃から沙織に言い聞かせていた。

自分を抑えるのとは違ったが、沙織はうまく周りの人間を不快にせず、自分の評価を上げる術を身に着けた。

我ながらなんて姑息なのだろう。

朝食のテーブルには夫の好みの料理を出来る範囲で用意している。

夫は自分の用意した食事を毎回「美味しい、美味しい」と食べてくれていた。

夫は細かい事は言わないし、子煩悩で家庭を大事にしてくれている、もちろん妻である自分を大切にしてくれているのだろうと思う、それに今時珍しいが給与明細をそのまま沙織に渡し、夫名義のキャッシュカードは沙織が管理していた。

自分が仕事を続けることも尊重してくれているし、夫のできる範囲で家事や子育ても協力してくれている。夫の両親とも非常に良い関係だ。

結婚して20数年、傍から見ればこんな理想な家庭はないだろう。

しかし、、、

私が理想としていた家庭はこんな家庭だったのかしら。

夫との出逢いは今の職場であった。

彼は営業担当者として出入りをしていたのだが、ある日声を掛けられたのをきっかけに付き合い始めたのだった。

年下の男性と付き合うのは初めてだったが、夫は性格も明るく、健康的で何よりも自分を大事にしてくれると思った。

付き合って数か月で夫は結婚しようと言い出し、押しの一手で気が付いたら夫婦になっていたように思う。

沙織さんもう20代後半だし早く結婚しないと、ボク絶対幸せにするよ!

結婚前に夫は何度も沙織にそう言って結婚を懇願してきた。

「立場が逆だわね」と夫をとても気に入っていた母親は嬉しそうに言った。

父親は社会人3年目で結婚もないだろう、と言ったが、夫が持参した給与明細書を見て観念したように「沙織、彼は良い男だよ」と言った。

夫は外資系企業に勤務し営業コミッションも入るので同年代の何倍も近い給与を得ていた。そしてその金額は5年以上地道に努めていた沙織の給与のはるか上を行っていた。

沙織は大学院に戻り研究をしたいという夢もあったのだが、夫の勢いに負け、周囲の説得もあり、沙織が仕事を続けることを条件に、彼を伴侶として選ぶことになった。

両親や夫は仕事を続けなくても、、、と言っていたが、沙織はそこは曲げられないと思った。

夫は私を大事にしてくれるはずだし、二人で良い家庭を築こう、と結婚式に沙織は夫に「自分達が理想とする家庭を作りましょう」と言った。

「沙織さんを一生大事にするよ」夫は優しく答えた。

新婚早々、夫はキャッシュカードと通帳を沙織に渡した。

「これで生活費とか賄って、俺の給料全部ここに入るから」ニコニコして夫はそれらをテーブルに置いた。

「え、でも二人の収入の半分をお互いの生活費に充てるんじゃなくて?」

結婚前相談したことと違う夫の行動に沙織は戸惑った。

「俺の収入だけで大丈夫でしょ?もっと頑張って稼ぐからさ」

沙織は自分の仕事を否定されたような気持ちになった。

「でもあなたのお小遣いは?」
「あ、俺殆どお金使わないし、必要な交際費は会社から支給されているから」

交際費などもったことのない沙織は良く分からなかった。

「沙織のお給料は沙織の為に使いなよ、俺、沙織の事第一に考えるから、沙織を大事にするから」

私を大事に?

今思えば大事になんてされていない事に改めて気が付かされる。

新婚から数か月して沙織は妊娠に気が付いた。

初めての妊娠で何も分からず、色々と大変な時期であったが、夫や家族の協力もあり、妊娠や出産自体を楽しむ気分にもなっていた。

しかし、臨月少し前に夫の浮気が発覚した。

妻が妊娠中の夫の浮気、良くある話と聞くが、自分にはとてもそうは思えなかった。

思い出したくもない修羅場を経て、夫は涙を流して沙織に詫びを入れ、夫婦は修復したように見えた。

長男が生まれた時は夫はそんな事も忘れたように大喜びをして、自分も育児に参画すると大いに張り切っているようだった。

育児への参画、、、妻を裏切った事への贖罪だろうか、
ふと自分の気持ちが冷えているのが沙織には分かった。

だが、沙織はそんな気持ちを夫に出そうともしなかった。習い性となった相手を不快にしない態度、夫思いの妻を演じようと決めたのだった。

その後何度か女性問題は起こり、相手の女性の容姿なども分かる時があった。

下の子が生まれてまだ小さい時だっただろうか、ある女は直接沙織の前に現れ、別れて欲しいと言って来た。

その頃には、夫が手を付けるどの女もどことなく自分に似ていることに沙織は気が付いていた。この目の前にいる女も沙織に良く似ていた。

「分かれて頂けないでしょうか、私と貴方の違いは出会いが早いか、遅いかで、もし私が早かったら俊哉さんは私を選んでいたと思います」

呼び出されたカフェで女は小声ながら早口にまくしたてた。

彼女が口を動かす度に長い髪が揺れた。

何処かのドラマか、映画にこんなシーンあったなと沙織はぼんやり思った。

「そうね、、、」沙織は珈琲に口をつけて次の言葉を紡いだ「貴方は正しいわ、たまたま私が先に夫と出会っただけですから」

「ひゅっ!」

女は一瞬息を呑むような音を出した。

「もし夫が私と別れたいというなら別れます」

そうなのだ、彼女は正しい。

たまたま私は夫の好みで、大事にしたいおもちゃの一つ、無くしたくないから結婚を急ぎ、手に入ったら次のおもちゃなのだろう。

大きな子供と結婚をしてしまった。

「貴女はまず先に夫と話してください、結論は夫から聞きます」

沙織は席を立ちあがり店を出た。夫の顔が頭に浮かんだ。

「私の前から消えてくれないかしら。。。」

夫のいない生活だったらどんなに良いか、、、澱のように少しずつ少しずつその気持ちは積もって行った。


予兆 俊哉


俊哉は会社帰りに良く行くバーに立ち寄った。

この店には月に何度か顔を出す。
ドアを開けると俊哉が一番客であったようだ。

「あら、いらっしゃい」ちょっと低い声で店のママが嬉しそうに俊哉を迎えた。横顔が少しだけ沙織に似ている。

「今日はいつもより早いんじゃない?」

カウンターに座った俊哉にママはおしぼりを出した。

「そう?なんか一杯飲んでから帰りたくなったんだよ」
「ふ~~ん、愛する奥さんの帰りが遅いとか?」

「ビール」俊哉はママの問いに答えずぶっきらぼうに言った。

ママとは何度か寝たが、関係は続いているような、続いていないような、近いうちにどこか旅行にでも連れて行くか、ビールを飲みながら俊哉は考えた。

「さっき、これ俊哉くんにって」

目の前に紙包みが差し出された。包は微妙に歪んでいる、素人が包んだのか。

「え、俺に?誰から?」
「名前は言わなかったから分からないけど、俊哉くん位の年齢で、小柄な小太りの女の人」
「ええ?今日来たの?」
「そうよ、だからさっき、って言ったじゃない」ママは少し苛立って答えた。

俊哉は薄気味悪くなった。

今日はまっすぐ家に戻ろうと思ったが、沙織から帰宅が遅くなると、それこそ「さっき」連絡あったのでママの店に寄ろうと思ったのだ。

なぜこの店に来ると分かったのだろう。。。

「開けないの?」ママは指で突いて包を俊哉の前に寄せた。

中年の小柄で小太りの女?心当たりが無い。誰なんだ?

「中に手紙入って居るかもよ?」
ママは気になるのか俊哉に包を開けるように催促する。

「ママ開けてよ」
「何よ、自分の彼女からのプレゼントかもしれないでしょ?」

「そんな小太りの女なんて知合にいないよ」俊哉はママの手の上に自分の手を置き「俺の好みはママのような女性」とサービスしておいた。

ママは「ふふっ」と笑うと包を破いた。

「何これ?」ママが変な声を出した。

包の中身は青と黄色の毛糸で編んだ何かだった。
ママが広げてみたがマフラーにしては短いし、変なサイズで何に使うのかも分からない。

「腹巻じゃないの?あ、でも違うわね、何だろう、これ?」ママが手にとって見ている。

「薄気味悪いなあ、捨ててくれない?」

「きゃっ」ママが鋭い声をあげた。
「わっ、どうしたの?」ママの声で今度は俊哉が驚いた。

「これ網目に髪の毛が絡めて編んであるわよ、気持ち悪い」
ママは俊哉の前に毛糸の編み物を投げてよこした。

「おい、止めてくれよ」俊哉はこわごわ編み物を取り上げ網目を見た。

ママの言う通り網目に黒い毛が絡めてある。

「それ、髪の毛以外の毛も入って居るんじゃない?」
ママが半分呆れているような顔で言った。

「やめてくれよ」俊哉は編み物を投げた。

「変なオンナに手を出しちゃったんじゃない?」

「だから、、、」小太りの女なんて興味ないと言おうとしたら「俊哉くん、色んなオンナに手を出し過ぎ」と畳みかけて来た。

確かに俺は色んな女と遊んでいたが、みな沙織と似ている女性ばかりだった。沙織が隣にいないと無償に寂しくなり、どうしても沙織と似た女性を求めてしまっていた。

沙織と結婚するまで自分が年上の女に興味を持つなど思っても居なかったが、、、娘が出来た事も影響しているのか、若い娘に興味などわかなくなり、付き合うのは自分より年上か同年代ばかりだった。

だからって、、、小太りの中年オンナなんて。

「これ、捨ててよ」俊哉は指で弾くように編み物をカウンターの隅に投げた。

「ママ、今度久しぶりに泊りがけでゴルフ旅行でも行こうよ」

次の旅行を考えていた別の女の顔がふと浮かんだが、今回はママにしようと俊哉は思った。

予兆 沙織


「ただいま」疲れた様子で夫が帰って来た。

「お帰りなさい、何か軽く食べる?」

「うん、あ、いつも作ってくれるアレにして」

アレとは夫の好物で暗黙の了解であったが作る手間がかかる。
仕事で疲れて帰って来たのに、と沙織は思ったがいつもの笑顔を夫に向けた「時間掛かるけれど良い?」

「沙織と一緒に食べられるなら何時間でも待つよ」

何時間も料理に立たせるつもり?

少々ウンザリしながら沙織は多少手抜きをして夫の好みの料理を作る。

「今日、沙織が遅くなるというからちょっと飲んで来たんだけどさ」冷蔵庫からワインを出してグラスに次ぎながら夫は続けた「変な届け物があって気持ち悪くなったよ」

「変な届け物?」沙織は眉間に皺を寄せて夫の方を見た。

「知らない人から、毛糸の編み物みたいな」夫も気味悪そうに眉間に皺を寄せた「その店で捨てて貰ったのだけど」夫はグラスを持ち椅子に座った。

ああ、どうせあのバーの女性のところで飲んだのね、沙織は気が付いた。

夫と随分長く付き合っている女だ。

結婚してから沙織は時々夫の財布の中を開けて現金を補充していた。それは母親が良く父親の財布を見て必要な金額を黙って居れていたのを見ていたからだ。

夫の給与が予想以上に大きかったので10万円を目途に黙って居れていた。
最初夫は驚いたがそのうち自分達夫婦の暗黙の了解になって行った。

結婚当初こそ新券の万札を入れていたが、今は比較的綺麗なお札を選んでいるが、現金を使う事は殆どないらしく財布のお札は滅多に減らない。

ある日夫の財布に避妊具が入って居る事に気が付いた。
確か二人目の子が中学に入ったばかりの頃だった。

また、オンナ?

誰が入れたのか数日後に知る事になった。

夫が出張中に、自分と同じか、少し年上の女性が自宅に訪ねて来た。

「ご主人にはいつもお世話になってまして、、、」

目の前に立つ女は沙織を鋭く観察しながら話を続けた。

「昨日、私のお店にいらして頂いたのですが、大事な書類をお忘れになられて、、、電話でもメッセージでも返事が無いものですから」

沙織がお礼を言って書類を受け取ろうとすると女はふふっと笑い声をあげた。

「何か?」
「奥さんて俊哉くんが言う通り」
「主人が言う通り?」
「ええ、あのひと、いつも奥さんを自慢するんですよ、あんな愛妻家今まで会ったこと無いですよ、奥さん幸せですわね」

沙織はバカにされたような気がしたが、自分の感情を出しても良い事無いと思い薄く笑った。

「いつもお財布に黙っていてもお小遣い入れてくれるとか」女の目が意地悪く光った。

ああ、このひとが夫の財布に避妊具を、、、

嫌な記憶がよみがえりかけた時夫が悲鳴を上げた。

「沙織!沙織!」

床に毛糸で編んだ何かが落ちていた。

「こ、これだよ、今日、知らない女から店に届いていたの」

知らない「オンナ」?

沙織はうんざりした。

「あいつに捨てろと言ったのに、あいつ、俺のカバンにねじ込んでやがった!」夫は憎々しげに吐き捨てた。

「あいつ、、、」沙織はオウム返しに呟いた。

私は一生このオトコと付き合っていかなければならないのだろうか。

沙織は目の前にいるオトコを冷めた目で見つめた。

沙織は床に投げ捨てられた、青と黄色の奇妙な編み物をウンザリした気分で眺めた。編み物は黒い毛が混ぜ込んであるようで禍々しい雰囲気を纏っていた。


アプローチ 俊哉


役員室から出た途端「部長やりましたね!」明るく部下が俊哉に言う。

来年の昇進で役員に決まった、これは大出世だ、俊哉は心の中で歓喜した。

会社の中で自分は一生懸命努力したし、妻の沙織の支えもあった、そしてそんな支えてくれる沙織の為にも自分は頑張って来た。

「この話はやっぱり奥さんに最初に伝えるんですか?」部下は引き続き言う。
「当り前さ、俺は奥さん無しじゃ今の自分はいないからね」

「いや、ホントに愛妻家ですね、部長は」
と言いながら部下は真面目な顔で俊哉を覗き込んだ。
「でも部長はちょっと女性にモテすぎでは?」

「何言ってるんだ、くだらない」俊哉が吐き捨てるように言うと、部下はニヤッと笑った。

そうだ、長男が小学校で長女がまだ小さい時、こいつから紹介された女にひどい目に遭わされたんだった。

俊哉はぼんやりとその女の顔を思い出そうとした、が、うまく思い出せなかった、髪が長い少し沙織に似た女だったような。

こいつがその女を飲み会に連れて来て、、、沙織は子育てに忙しく自分も子育てに参加したつもりだったが、夫婦の距離が出来た気がして、、、ちょっと沙織の面影を感じ、誘い、誘われ、その女と付き合うようになった。

大して面白くも無い女でそろそろ別れようと思っていた時、ホテルの部屋で女が狂ったようにまくしたてた。

「今日、奥さんに会って来たわよ、別れてくれって言ったの」

「なんだって?!」

「奥さん、別れて良いって、貴方が私を選べば別れるって」

冗談じゃない、何なんだ、この女は?!沙織に直接会っただと?

泣き崩れる女を無視して家に戻る途中、こいつから電話があったのだった。

「僕があの子をうまく丸めこんでおきますよ」

あの女はこの部下にも連絡したらしい。不快な女だった。

面倒な事は弁護士に任せて一件落着した、その後、自分からわざわざこの件を持ち出す事をしなかったし、沙織からも自分には何も言って来なかった。

沙織と直接会ったなんて元々あの女の狂言だったのかもしれない。
それに沙織から何も言って来ないのだから、本当に押しかけて沙織と会ったとしても、沙織は俺を信用してあの女の言う事を信じなかったのでは。

随分昔の事が頭の中で秒速で画像になって表れ消えた。

こいつはそんな昔の事を恩に着せて言い出しているのか、と俊哉が部下の顔を見ると意外な言葉が出て来た。

「いや、近頃、部長の近くに小太りの中年女性がいて、なんつうか、ストーキングされているのかと思って」

「小太りの中年女性?」

「あれ?気が付いてませんでしたか?結構小柄で、、、多分40代後半か50代始め位かな、部長の好みじゃなさそうだとは思いましたが」

ふとバーのママの話を思い出した。

彼女も小太りの中年女性が自分宛てにあの気持ち悪い包みを持って来たと言っていた。

「止めてくれよ、冗談でも趣味悪いぜ」
「いや、だって今もあそこに、、、」

部下はオフィスの角を指さした。

「あれ?いない」
「当り前だろう、社外の人間がどうして会社の中に入って来れるのだよ」
「え、でも、、、あれあれ?」

俊哉はキョロキョロしている部下を無視して会社を出た、今日は会社が取締役会に出席した俊哉の為に近くのホテルを用意していた。自宅と本社は若干距離がある、そこにチェックインして部屋から沙織に電話をしようと思った。

役員昇進になり本社勤務になったら都会に家を持とう、マンションでも良いかもしれない、今の家から引越しだな、長女の学校問題もあるが、、、

俊哉はどれから沙織に話そうか、今後の事を考えると気分が明るくなった。

ホテルで鍵を受け取るとフロントから

「お客様、ご友人様からお預かりものが」と引き留められた。

「友人?」

今日ここに宿泊するのは会社連中と家族位しか知らない。

俊哉は嫌な予感がした。

「お客様こちらでございます」フロント係がいびつな包みを持って来た。

「これ受け取った人誰?」俊哉は不機嫌に聞いた。
「私ではありませんが、、、」フロント係は俊哉の顔つきを見て「受け取ったものを探して参ります」

別なフロント係が俊哉の目の前にやって来た。

「私がご友人から受け取りましたが、、、」
「今晩ここに宿泊するのを知っているのは会社の一部の人間と家族だけなんだよ、これを持って来たのはどんな人だった?」

係の男性はちょっと困った顔をして思い出すように話し出した。

「え、、、と、、、女性で年齢は40代後半でしょうか、小柄でふくよかな方でした、包みをこちらに預けた後、暫くお待ちになると仰ってそこに」

フロント近くのソファを指した。

「あの、名前をお聞きしたのですが、渡せば分ると仰ったので」

俊哉は汚いものでも触るように包みを摘まみ上げた。
その瞬間包みはほどけて中身が転がり出て来た。

「うわっ!」

捨てたはずの青と黄色の毛糸の編み物が足元に落ちていた。


アプローチ 沙織


病院の待合室に座りながら沙織は昨夜の俊哉との会話を思い出していた。

本社への昇進で有頂天に喋る自分の夫、本社近くに転居しようと明るく話す夫の話に耳を傾けながら、お祝いの言葉を夫に伝える自分。

お祝い?

そう、お祝い、これを機会にあの人と別居出来るかもしれない。

今住む自宅は父の姉、伯母から譲り受けたものだった。

新婚当時、俊哉が担当する営業地区と、沙織が勤務する病院に近く、通勤に便利で広さも丁度良いと決めたのだった。

しかし夫は出張も多いし、接待で遅くなるとホテルに宿泊する事も多かった。

沙織は小さい子供二人を仕事を続けながら育てあげた。

夫は子育てに参画する気は満々だったが所詮手伝い位の気持ちで、結局負担は沙織にやって来た。職場に理解があり何とか過ごせたこともあるが、実際は夫は役に立たず、子供たちの父親の役割は十分してくれたと思うが、自分にとって夫がいない方が良かった。

それだけ心は離れて、、、

「~ちゃんのお母さんじゃないですか?」

女の声で沙織は現実に引き戻された。

目の前には40代後半だろうか、小太りで小柄な女がにた~と笑って前に立っていた。どこかで見たような顔だった。

長女の名前を言われて沙織は戸惑った。

「あの?」
「やっぱり婦人科は勤務先の病院では嫌ですよね」女は断りなく沙織の隣にどっかり座って話し続けた「~ちゃんとはうちの娘が中学の頃から仲良くして貰っていて、でもご挨拶するのは初めてですよね」

あっと沙織は思いついた。

長女は中学初め頃まで明るく、友達もたくさんいた子だったが、1人ぽっちゃりした小柄な、笑い顔が可愛いが得体のしれない印象もある子と仲良くするようになり変わってしまったのだ、、、

いや、その子のせいじゃあるまい。

彼女が遊びに来てもいないと言ってくれと言ったり、そのまま帰すと前言ったことを忘れたかのように怒り出す。忌み嫌っているように見えるが、仲良いようにも思えるし、沙織には理解が出来なかった。

大きな試験の前や受験でも体調を崩し失敗してしまった時、沙織も俊哉も一年浪人を勧めたが、とても長女のレベルとは思えない大学に入学したいと言い出したかと思えば、どうしてこの大学に入学させたのかと言い出す始末。

もしかして多重人格か、解離性の人格障害?

夫に相談してみても長女を特別可愛がっているせいか、自分の娘を精神障害者にさせたいのかと怒り出し話にならない。

色んな思いが一気に溢れ出したが、その様子をじっと見ている目の前の女に気が付き「こちらこそ気が付きませんで、いつも娘がお嬢さんに仲良くして頂いていて」と頭を下げた。

「どこかお悪いのですか?」女はずけずけ聞いて来た。

「いえ、婦人科の定期健診です」沙織は素っ気なく答えた。
どこか悪くてもこのひとに答える義務はない。

「私は自分の働いている病院で診てもらうんですよ、先生の事も知っているから安心じゃないですか、でも、それで色々と噂も立てられましたが」女はふふんと鼻で笑った。

沙織は再びハッとした。

ああ、このひとだ、仲良しのナースの彼女が言っていた、自分の勤める病院で2度も堕胎したのは。確か、色々悪い噂が流れて、そのせいか知らないが退職させられたのでは。

女は沙織の気持ちが分かったように「今はこの病院で働いてるんです」と続けた「でもパートで色々掛け持ちしているんです、娘の学費とかお金、色々かかるでしょう?」

沙織をのぞき込むようにする仕草が不快に写る、早くこの場から去りたい。

「まあ、そうでしたか、以前どこかでお見掛けしたと思いましたが、勤務されていた病院でお会いしたかもしれませんね」沙織は冷静を装った。

「ご主人はこの病院ご担当ではないのですね」と女は上目遣いで沙織を見た。

「は?私の主人ですか?」唐突の質問で沙織はぎょっとした。

「そう、~ちゃんのお父さんとても素敵じゃないですか、お母さんが羨ましいです、私なんてシングルマザーだし」女はうふふと笑った。

「主人は今はもう役職について現場の営業はやってないのですよ」

「私、もう一度ご主人に会いたくて」女は夢見るように語る。

「え?」沙織はマジマジと隣にいる女を見た。

多分、夫はこの女は好みでは無いだろう、でも、この女が夫を好むならいつでもくれてやりたい。

要らない、あんなオトコ、、、。

「町の外れに××神社あるのご存知ですか?あの神社にお参りすると願いが叶うんですよ」女はまた夢見るように話す。
「わたし、、、またご主人に会えるようお願いしようかと思って」

何を言っているのだろう、非常識にも甚だしい。と不快になりながらも、本当に願が叶うなら、沙織は夫と縁切れるようにお参りしようかとふと思いながら頭を振った。

バカらしい。

病院の呼び出しスクリーンに自分の番号が出たのをきっかけに沙織は席を立った。

「順番が来たのでこれで」

女はまだ何か話していたが喋るのを止めて沙織を見上げた。

「願掛け叶うと良いですね」今度は沙織が薄く笑った。


悪夢 俊哉と沙織


「起きて、起きて」

沙織の声で俊哉は目が覚めた。

「どうしたの?大丈夫?」心配そうな沙織の顔が直ぐ近くにあった。

全身びっしょり汗をかいている。

そうだ、変な夢を、、、

思い出そうとすると頭の奥がじんわり痛んだ。気分も悪い。

「凄いうなされていたわよ」

「あ、ああ、変な夢を見た、、、」俊哉は起き上がり頭を押さえた。

「冷たい水でも飲んでみる?」

こくりと俊哉がうなずくと沙織はそのままキッチンに向かった。

夢は悍ましいものだった。

小太りな小柄な女が二人、1人は、、、若い方は自分を「お父さん」と呼びながらも裸の身体を絡めて来た、もう一人は中年の女だった、その女も半裸で体を絡めて来る、、、ああ、気分が悪い。

沙織が黙って冷たい炭酸水を差し出す。俊哉が好む銘柄の炭酸水だった。
俊哉はそのまま勢いよく飲み干した。

「変な、、、嫌な夢を見た」俊哉は呟いた。

近頃、似たような悍ましい夢を見るようになってしまった。
これで何度目だろうか。

「お父さん」と自分を呼ぶ若い女は何なんだろう、自分の隠れた願望の現われか?自分の娘を性的対象に思ったことはない。成長につれ眩しいと思ったことがあるが、自分の心の奥底に潜んでいた願望なのだろうか。

そう思った途端、俊哉は強烈な吐き気を覚えトイレに駆け込んだ。

青い顔をした俊哉を見て沙織は自分の気持ちが益々冷えていくのを感じた。

このままいなくなってくれたら良いのに、、、。

不快な気分のまま沙織は夕食での夫との会話を反芻した。

夫は本社への栄転を機に転居を考えていると言った、現在の家も老朽化しているし、本社に近いところに新しい家を購入するのはどうだろうかと沙織に提案して来た。

確かに現在の自宅から本社に通うより近場に家を借りるか、購入した方が後々良いかもしれない。

自分は仕事があるので今一緒に行くのは難しいと思いながら聞いていると、夫は自分にも来て欲しいと言った。

「やっぱり沙織と一緒に暮らさないと、別れて住むのはおかしいよ、夫婦なんだし」

沙織は仕事辞めて一緒に来るのが当然と言うように聞こえた。

「でも私は仕事があるし、貴方の会社近くに引っ越したら通いきれないわ、それに下の子の大学もあるでしょう?」

「大学も毎日通うわけじゃないし何とかなるよ、良いじゃないか、もう沙織もゆっくりしたら、働く必要無いだろう、俺が今までも家計を支えて来たじゃないか、これからも心配ないよ、沙織は自由にして良いんだよ」

如何にも物分かりが良い伴侶然として話す夫の顔を唖然として眺めた。

このひとは、この男は、私の仕事に関して、こんな認識しか無かったのか?私がどれほど大変だったのか、まるで理解してなかったのか、子育てと仕事を両立し、空き時間に関連技術の勉強をして、睡眠時間を削ってまで仕事を辞めなかった私を何だと思っていたのだろう。

子供の大学や妻の仕事より自分がファーストなんだ、この男は。

「確かに、貴方には家計を支えてくれてた、でも私だって家庭を大事にして働いて来たつもりよ、貴方の方が収入も多かったから、別な面で支えようと努力したつもり、でも、何も理解してくれてなかったのね」

沙織が低い声で震えながら話すと俊哉はハッとした。

「違う、違う、そんなつもりで言ったんじゃない、俺はいつでも沙織に感謝していたし、沙織を大事に思って来たんだよ、今更離れて暮らすのは想像できないし、、、」

そう、いつも自分が大事、自分が一人になりたくないから私が必要?

「沙織」

俊哉は沙織の手を取ろうとした。

俊哉の手が伸びて来て自分の手に触れようとした時、沙織は全身がぞっとして思わず自分の手を引っ込めた。

他の女を散々抱いた手で私を触らないで欲しい。

そんなに1人が嫌なら、その辺のオンナと一緒に暮らせば良いじゃないの!と、叫びたい気持ちを抑えた。

こんな男とこの先も暮らすなんて悪夢としか思えない。

「い ら な い」

平仮名4文字が沙織の頭に浮かんだ。


親友ナースから 沙織


沙織は空き時間に勤務先の病院に入院中の親友ナースを見舞った。

「具合はどう?」

沙織はベッドに半座になり本を読んでいる友人に声を掛けた。

「沙織、良く来てくれたわね」友人は嬉しそうに微笑んだ。
「もうビックリしたわ、いつも元気なあなたが入院なんて」沙織も応えた。

どの位前だっただろう、一年前?二年前?彼女を呼んで家で食事をしたっけ。あの時はあんなに明るくて元気だったのに。

その時の楽しかった記憶を呼び戻しながら、ふと気になる会話が思い出された。

彼女が忌み嫌っていた雑務担当の女、、、勤めていた病院で2回堕胎をしたと言う、男性関係にだらしなく、色々問題を起こしてクビになったと、言っていた。

「そういえば、あの掃除のひと、、、うちの娘の友人の親だったのよ」

沙織の突然の話に友人は「え?誰?」と言った。

「ほら、2回堕胎したって、担当医師と噂になった、、、」

「ああ」友人は嫌な顔をした。

「あのクビになったオンナでしょ、気色悪い」吐き捨てるように続ける。

「あのひと自宅で男を呼んでカネ稼いでるらしいわよ、しかも娘にもやらせているって」

沙織は衝撃を受けた、自宅に時々遊びに来ていたあの子だろうか、ぽっちゃりした笑顔の可愛らしい、でも、何を考えているか良く分からない、あの子?

「あんな親の娘はロクなもんじゃないわよ、お嬢ちゃんにも話して付き合わないように言った方がいいんじゃないかしら」

「そ、、、そうね」

長女はあの娘と仲が良いのか、悪いのか良く分からない、あの娘が無理やり長女が在宅中に押し掛けて来るようにも思う。

しかし長女の態度も腑に落ちない、以前、彼女が来ても追い返してほしいと言われ、その通りにすると自分が言った事を忘れて烈火の如く怒ったり、、、

「あの女、婦人科の先生をストーキングしていたんですって」
友人は腹立たしそうに言葉を吐いた。

「ストーキング?先生と関係があったのでは無くて?」

「あんなの相手にするわけないでしょ、しかもそのドクターだけでなく、他のドクターも被害遭ってたって。しかもドクターだけでなく、クビの直接原因は患者も何人か被害にあったらしいのよ」

友人の話だと、本人だけでなく家族にも纏わりつき、執拗に現れる為、病院にクレームが来て明るみになったという。

「でもどうやってそんな患者さんの情報を、、、」

「そこが薄気味悪いのだけど、病院のネットにアクセスしたのじゃないかって、ほら少し前にセキュリティ強化したでしょ、あの女の件で病院も反省したんじゃない?」

婦人科の待合室にすっと現れた女の姿を思い出し沙織はぞっとした。

「私は初めからあの女の事は上に報告していたのだけどね、やっと私が正しかった事が認められたのよ」友人は誇らしげに続けた。

沙織は話題を変えようと友人に話しかけた。

「あとどのくらいで退院になるの?」
「それがまだ先なのよね、色々数値が悪いらしくて」友人は暗い顔をした。

「そうそう、入院する前に息子と××神社にお参りに行ったのよ」そう言って手元のスマホを取り上げた、写真を探しているようだった。

「××神社って、あの街外れの?」

女が願いが叶うと言った××神社、、、嫌な気持ちになった。

「そう、息子とあの階段を登ってね、、、あ、これこれ、その時の写真よ、自撮りなんだけど、息子と無事退院を祈願したの」
友人は嬉しそうに沙織に写真を見せた。

沙織は写真を見てハッとした。

神社拝殿の前で微笑む友人とその息子、二人とも笑顔で親子の仲の良さを現わした微笑ましい写真だった。

沙織の目はその背後に映っている狛犬に目を奪われた。
狛犬の背には青と黄色の毛糸で編んだらしいものが載せてあった。

これは、あの夜、夫が恐怖していた編み物ではないか。


長男と 沙織


目の前にいる長男を見て二人だけで食事なんて何年ぶりかしらと沙織は思った。自分の息子が立派な社会人になり眩しく映る。

「どう?仕事は慣れた?」沙織は明るい気持ちで問いかけた。

普段から寡黙で自分でサクサクと物事を決めていく長男は育て易い子供であったかもしれない。大きくなっても変わらず自分で決めて両親には事後報告が多かった。

今は成人して大手企業に職を得て都心で1人暮らしをしている。

「もう何年働いていると思っているんだよ」長男は大げさなと言わんばかりに笑いながら答えた。

夫が渋々単身赴任を決めた時、一時長男と同居も検討したが、長男の方が今の住居を移りたくないと、父親との同居を断った。

「きっと付き合っている女でもいるのだろう」
夫は残念そうな、それでいて満足そうな顔をした。

いきなり電話があり二人で会いたいと言われた時、付き合っている女性でも紹介されるのかと沙織は思ったのだが、どうもそうではないようだった。

「このお店は良く来るの?素敵なレストランじゃないの」

沙織は上品に装飾された店内を見まわした。
都内でも有数な評判高いフレンチらしい。

「仕事で何回か使ったかな、、、母さんの好きそうなコース頼んであるから、何飲む?」

沙織は頼もしそうに自分の息子を眺め飲み物も任せると伝えた。

俊哉にも声かけようかと提案したが、息子は二人で会う事を希望した。

仕事の悩みかしら、転職したいのかしら。

夫は長男の仕事選びに関してはかなり厳格だった。

男は家庭を幸せにするためにも良い仕事を選べと言うのが夫の言い分だった。女を幸せにするにはそれ相応の収入が必要だと。

どの口が言うんだか、、、沙織は冷めた目で見ていた。

それでも自分の道を見つけて今の会社を選んだのは長男本人だった。

ギャルソンがシャンパンをグラスに恭しく継ぎ去っていくのを見て、沙織は待てなくなり「今日はどうしたの?」と聞いた。

「そうだね、その前に乾杯、母さんに会うのも久しぶりだし、先ずは食事を楽しもうよ」

二人はグラスをカチンと鳴らした。

コースはとても美味しく口にあった、そして、久々の息子との会話も楽しく、ここに長女がいないのを残念に思いながら、沙織は満足して最後のスイーツを口にした。

「それで、、、何か用があったのでしょう?乾杯するお祝いごと?」
沙織は明るい気持ちで長男に話かけた。

「本当は乾杯してするような話じゃないんだけど、、、」と息子は少し考えてから口を開いた「父さんの事なんだよ」

「え?お父さん?」沙織は予期せぬ話で戸惑った。

「うん」そう言って天井を見るような仕草さをしたが、その顔が自分に良く似ていると沙織は思った。

「父さん、変なオンナと付き合ってないかな?」

沙織はぎょっとした。

「ちょっと小太りの小柄な女性で年代は母さん位かな、、、父さんは、、、母さん気が付いてたと思うけど、女関係華やかでしょ、でもあれは、あの女は父さんの好みじゃないと思うのだよ」

沙織は激しく動揺した。

俊哉の女癖の悪さは当の昔に長男に気付かれていた、それを知っていて表面化していなかった妻である自分の事も。

「父さんは母さんが一番好きなのは分かってたけどね、仕方ないよ、女癖は父さんの生まれ持った性分なんじゃない?」長男は父親を他人を評するように話す。

「それで、その変な女だけど、、、俺の会社やマンションにも時々来るんだよ」

「え?どうして貴方の会社やマンションが分かるの?何しに貴方のところに???」沙織は頭が真っ白になった。

「最初は妹の親友の母親だとかで偶然マンション近くで声掛けられて、、、友達ってあのぽちゃとした女の子じゃないかな、時々家に来てたじゃない、妹が嫌がっても押しかけて来てたよね」

長男は思い出すように話す。

ああ、やはり、娘はあの子を嫌がっていたのだ、でも、何処かがおかしい、何かがおかしい、誰かの力で動かされているような。

そんな非現実な、、、でも一体何なんだろう、説明がつかないこの一連の出来事は、、、。

「そ、その女の人は何しに貴方の会社まで?」

息子は会社と言うより会社周辺かなと訂正しながら静かに話す、しかしその話の内容は震撼するものだった。

「父さんに会いたいとか言ってくるんだよ、その女、会わせろとは言わない、でも薄気味悪いのが同僚と立ち寄ったレストランに偶然いたり、この間なんて顧客先に行く途中に偶然だと言って電車内で会ったり、、、」

「な、何それ、、、お母さんもこの間、偶然だと声掛けられたのよ」
沙織は自分の声が震えているのが分かった。

「え、母さんのところまで?」
長男の顔が一瞬きつく警戒した顔つきになった。

「その母親の、、、妹のところに来る子の住所でもいいや、分かったら教えて、ちょっと調べて貰うから」
長男は眉間に軽く皺を寄せ「母さんは心配しないで大丈夫だから」と優しく沙織に言った。

「有難う、住所確認してみるわ」
沙織はそう言いながら自分の手が震えているのが分かった。
それは恐怖ではない怒りからだ。

この子に何かするなら私は許さない。

沙織の心に激しい怒りの念が湧き出て来た。


長男と 俊哉


あいつから誘ってくるなんて珍しいな。

息子から一杯飲もうと連絡を貰い、俊哉は行きつけの小料理屋に席を用意した。

女将を相手にビールと軽い摘まみを前に飲み始めていると息子がやって来た。

「遅くなってごめん、待ったかな?」声の方に目を向けると沙織の面差しによく似た息子が立っていた。

こいつが息子で良かった、娘ならよからぬ気持ちを抱いたかもしれない。

俊哉は先日の夢を思い出し、そう思う自分に対して不快な気持ちになった。

「いや、今始めたばかりだよ、好きなものを頼みなさい」
自分の気持ちを振り払うように慌てて席を勧める。

「あら、息子さん?」お店の女将が声を掛けて来た。
「いつも父がお世話になっています」
「まあまあ、イケメンさんで、自慢の息子さんね、お母さん似かしら」
「なんだよ、俺に似てたらイケメンじゃないと言いたげだな」

軽口を叩きながら、酒とつまみの何皿か頼み、女将はさり気なく長男を観察している。長男も女将を見ていた。

「父さん、あの女将とも付き合ってるの?」
女将が席から離れるとさらっと聞いてきた。

ぎょっとしている俊哉を見ながら「だってあの女将、ちょっと母さんに似てない?」と続けた。

「な、何を言うんだよ、父さんはただの常連客だよ、女将に失礼なことを言うんじゃない、ここの料理はうまいんだよ、母さんの料理には劣るがね」
俊哉は息子から見透かされかなり狼狽した。

そんな父親の姿を黙って見ながら長男は運ばれて来た料理に箸をつけた。

「うん、うまい」満面の笑みで頬張る息子をみて俊哉の顔も綻んだ。

「仕事はどうだい?」俊哉が息子に聞くと笑いながら「母さんと同じ事聞くんだね」と答えた。

「え?母さんと会ったの?」
何か仕事に関しての相談かと思っていた俊哉は意外な返答に面食らった。

「うん、まあね」息子は手酌で日本酒を注いでグイっと飲み干した。

なんだ、沙織は水臭いなあ、昔から余り無駄口するタイプでは無かったが、自分の息子と会った事位教えてくれても良いのに。俺は今日息子と酒飲む事は沙織に伝えているのになあ、自分が単身赴任になってから余計距離を感じる。この席に沙織もいたらどんなに楽しいだろう。

長男がじっとこちらを見ているのに気が付き、俊哉は何だろうとまっすぐ息子を見た。

「父さんさ、変な女に手を出してない?」
鋭い目をして長男は自分を見た。

「えっ?!」
驚いてビールを持ったグラスを落としそうになった。

息子はガサガサと封筒から写真と書類を出し俊哉の前に出してきた。

「なんだこれは?」

俊哉は目を白黒させて息子が持ち出した書類を手に取った。

書類には、小太りな中年の女、そして、若くこれもぽっちゃりした女性がそれぞれ写った写真が数枚クリップで留められている。

その女達の写真を見て俊哉は顔が青ざめて来るのが分かった。

こ、、、こいつら、、、俺の夢に出て来る女共だ。

「この親子、相当ヤバいよ。母娘で自宅アパートで売春している噂がある、また、この母親は今まで色々な男達にストーキング行為をしていて訴訟も起こされている、あ、母親はその件で執行猶予付き。」

長男は写真を指さしながら淡々と説明をする。

「この母親はかつて母さんがいる病院にも働いていた。が、不祥事がバレてクビ、しかもこの娘の方は妹と同じ大学にいて自宅にも時々押しかけてきている、中学頃からの友達、と言うか、この娘が妹に張り付いている」

俊哉は空いた口が塞がらず、また、考えもまとまらず、ただただ長男の顔を黙ってみるだけしかできなかった。

「この女、母さんの周りや、俺の自宅や会社周りに偶然を装って現れるようになったのだよ、母さんの方は立証出来ないが、俺の方は証拠取ったから弁護士を通して内容証明で警告しようと思う。父さんのところにも来てないかな」

「沙織やお前のところに?!」
俊哉に恐怖と怒りの気持ちが渦巻いた。
大事な家族の周りにも?目的は何なんだ?

「このひと知っているひと?」

「知るわけないだろう、もしかしたら母親の方は俺が沙織の病院担当の時にすれ違っているかもしれないが、、、娘の方も知らない、家に来ていたと言っていたが、、、会った事も見かけた事も無い」

まさか度々夢に出て来ているとは息子には言えない。
でもあの夢の二人が実在していたとは、、、気味が悪い。

「あっ!」俊哉は思わず声を出した。

「どうしたの?」息子は目を大きく開けて父親を見た。

そうだ、あの薄気味悪い青と黄色の毛糸の編み物をバーやホテルに届けに来た女、、、部下が俺の周りで良く見かけるという女、、、全てこの母親の仕業だったのではないか。

「多分、この女、俺の周りを嗅ぎまわっているのかもしれない」

でもなんの為に?

俊哉は全身が鳥肌立つのを感じた。


長女と自宅にて 沙織


息子のリアクションは早かった。

知人の弁護士を通して薄気味悪い母親に警告を出し、これ以上続けるなら警察に訴えると伝えた。

彼女からは返事が無いが書類は受け取ったようだった。

難しかったのはその娘の方だった。

これも長女には近寄ってほしく無かったが、娘の方は何ら客観的に見て不審な行動をしていた証拠も無く、同じ大学にいる以上、長女への接近を止める事が出来ない。

そもそも長女は運悪く受験を失敗して、学力以下の大学に行っているのだから、いっそ海外留学をさせて、あんな親子から距離を置いてはどうかと長男は言った。

当の本人は兄から言われてまんざらでも無いようだった。

「留学してみたい、まだ何をやりたいか決まらないし、留学先で何か得られるならチャレンジしたいな」

久々に明るい本来の娘の笑顔を見たような気がした。
自分が愛する可愛い娘の顔だ、夫に良く似ているが、私はこの顔が愛おしいと沙織は思った。

俊哉は長女が海外留学をするのは反対していた、溺愛しているので、手元から放したくないのだろう。

沙織にとって憂鬱なのは俊哉の同居申し入れだった。

俊哉は1人になりたくないというより、気持ち悪い母娘が自分の家族の周りをうろついている事を知り危機感を高めたのか、セキュリティ高いマンションに転居する事を強く進めて来た。

また、沙織が拘っている仕事についても、系列の本院病院への異動話も出て来て、俊哉に単身赴任させておく理由が無くなってしまった。

「お父さんがね、またみんなで暮らしたいって」沙織は娘に話すと、娘は嬉しそうな顔をして「またみんなで暮らせるなら大学は大丈夫よ、もうそんなに単位も残ってないし、通おうと思えば通えるし」と答えた。

そんな長女の顔を見ると自分が夫と離れたいからこの家に留まる事に執着するのは自分の我儘とも思えてしまう。

「今年の家族旅行は何処に行く?」娘は色々とパンフレットを見ながらウキウキしていた「お兄ちゃんも来ないかな~?」

そんな会話をしながら夕食の片づけをしていると家のチャイムが鳴った。

「私出るよ」娘が玄関に小走りに歩く。

「こんな時間に誰かしら?」台所に立ちながら片付けながら玄関に耳を澄ますがしんとしている。

「どうしたの?誰が来たの?」

今度沙織が玄関に行くと棒立ちになっている長女が、そしてその肩越しにあの娘が立っているのが見えた。

「なんなんです、こんな時間に!」沙織は自分でも驚くような声を上げて長女を庇うように自分の後にさせて、玄関前に立っている女を睨みつけた。

「私、今日約束して遊びに来たのです、ノートを渡そうとして、、、」小柄でぽっちゃりした女は戸惑ったような笑顔を浮かべた。くせ毛がゆらゆら肩にかかっている。

「ノートなんて結構です!娘に近寄らないで下さい!」沙織は叫んだ。

「お母さん、~ちゃんを家に入れてあげてよ」長女は呟くように言う。

「ダメ、何言っているの」と長女の顔を見て沙織は気が付いた。

おかしい、これは長女の顔ではない。。。

「しっかりして!」沙織は夢中になり長女を揺さぶった。

沙織はにた~と笑う女を追い返し、長女を部屋に連れ戻したが、案の定、何も覚えていなかった。

これは一体どういう事?!

あの気味悪い母親の「満願成就」の願掛け話を思い出しゾッとした。


長女と車中にて  沙織


沙織はこの土地を離れて、俊哉に同居する事を伝え、職場も近いところに異動する事も伝えた。

俊哉はかなり喜んでいたが、沙織は残りの人生をこの相手と過ごすのかと思うと気分が暗くなって行った。

しかしながらあの不気味な親子から家族を離す為には他の解決策は思いつかなかった。

俊哉の動きも早く、家族と住む自宅購入の内覧会の申し込みや、現在住んでいる家の借り手も早々に見つけて来た。同居へ待ったなしである。でも長女の事を考えるとこれで良かったのかとも考え始めていた。

弁護士からの内容証明通達以来、俊哉や長男の周りにも薄気味悪い女は徘徊しないようだった。

「あのおばさんの興味が次のターゲットに移ったんじゃない?」
と長男は淡々と話す。

そうだろうか、またあの娘の方が長女に接触するかもしれない。
それに私の周りにも現れるかも、、、と思うと安心できないし薄気味悪い。

沙織の考えは杞憂なのか、長女は着々と留学計画を立てていて以前よりかなり明るくなって行った。

中学時代まで友達も多く明るい子だった、と沙織は思う。

それが中学以降、段々変わってしまい、自分が良く見てあげていなかったからかも知れないと沙織は長女に対して申し訳ない気持ちになっていた。

俊哉は認めなかったが、長女の言動にはおかしなところもあり、旧知のドクターに相談したところ一度連れて来て欲しいと言ってくれた。心療内科だと言うと長女が拒絶する可能性もあり、時間外の早朝に診てくれると親切に申し出てくれた。

約束の日、沙織は早朝に長女に頼み、急な仕事が入ったから病院まで運転して欲しいと伝えた。

長女は眠そうな顔をしながらも心良く運転を引き受けた。

「この街とももう直ぐお別れだね」長女は他人事のように呟いた。

「引越しは嫌?」この子が子供の頃から育った街である、思い入れがあって当然だろうと沙織は聞いた。

「ううん、嬉しい。留学も凄い楽しみ、お父さんやっとOK出してくれたし」長女は嬉しそうに話した。

「留学先にお母さん遊びに行くわね」沙織が言うと「お母さん気が早すぎ、でもお父さんと一緒に来てよ、その頃までに案内出来るようにしておくから、お兄ちゃんも来ないかな」と明るく長女が答える。

お父さんと一緒に、、、沙織の気分は想像するだけで落ち込んだ。

車が街外れを通り××神社の近くを通った時、長女は少しスローダウンした。

どうしたの?と聞こうとして、ふと神社の階段を見ると人影が見えた。

こんな朝早く?

まだ早朝と言う事もあり薄暗い中、小さな影は階段を一段一段ゆっくりゆっくり上がって行く。

あれは、、、

背の低い小太りな中年女の背中だった。

あの母親、、、まだ、願掛けをしているのだろうか。

沙織は体の底からゾッとした、いや、別なターゲットへの願掛けかもしれないし、、、でも嫌な予感を止める事が出来なかった。

と共に長女が吹き出した。

「どうしたの?気味悪いわね」沙織はぎょっとした。

「あ、ふふふ、ごめん、なんでもない」長女は嬉しそう堪えきれないように笑った。

沙織がもう一度確認しようと振り返り「えっ?!」と声を上げた。

目に入った階段を登るその姿は、先に目に入った小太りの中年女ではなく、小柄なぽっちゃりした、あの若い娘に変わっていた。


病室にて  俊哉と沙織


どうしてこんなことに、、、

こんこんと眠り続ける娘を見て沙織は涙も出なかった。
出来たら自分が身代わりになりたいと願った。

あの××神社の石段から落ちたと連絡が来て何日経っただろうか。
大学の友人と肝試しに行って、しかも友人の一人を巻き込んだと。

あの朝、心療内科の診察を受け、特に問題無いとの診断を受けた。何処か釈然としない思いもあったが、あの母娘やこの街から離れれば、本来の明るい長女に戻ると沙織は楽観的に考えていた。

それが突然こんな事に。。。

隣には俊哉が呆然として娘の手を握っていた。

「どうしてこんなことに、、、」俊哉は声を出した、その声は涙声になっている。

奇しくも自分と同じ文言を頭に浮かべていたのだと沙織はぼんやり思った。

長女は階段から落ち頭を強く打ってしまい、意識不明の重体のまま、月日が過ぎて行っていた。

「あの、お見舞いの方がいらしてますが如何されますか?」ナースが遠慮がちに声を掛けて来た。「お嬢さんの大学のご友人だそうです」

沙織が対応すると時々病室に来てくれた女の子に連れられ、もう一人がっちりした体形の女の子がいた。

二人は部活の先輩、後輩の間柄らしい。

そのがっちりとした体形の子が長女と一緒に階段から落ちたと人物と聞き、選手としては暫く活躍出来ない怪我を負ったとも聞いていたが、目の前に現れた子は思ったより軽症のようだった。

沙織は深々頭を下げ何度もお詫びの言葉を述べた。

この子のご両親にも何度もお詫びをしたのだが取り付く島が無かった。

怒って当然だろう、選手として活躍させるのがご両親の夢だったと聞く。

「そんな謝らないで下さい、怪我は治りますし、~ちゃんにはいつも仲良くして貰っていて、私の憧れなのです、カッコよくて皆とも迎合しなくて、、、」

彼女は緊張しながらも一生懸命話しているのが伝わった。
目をクリっとさせる愛らしさがあり人柄の良さを感じる。

「わざわざいらして頂き有難うございます、是非お会いして下さい。まだ意識は戻ってないですが、、、声は聞こえていると思うのです」

病室に案内すると俊哉は慌てて立ち上がり挨拶をした。

彼女は俊哉を一瞥するとペコリと頭を下げ、長女のベッドに駆け寄り声を掛けた。反応もせず微動だにしない長女を見つめるとポロポロ涙を流す。

「なんで、なんで、、、」最後は言葉になっていなかった。

病室の中が一瞬静かになり、機械音だけ響く中、どれだけ過ぎただろうか、突然病室のドアが開いた。

病室にいた人間全員がドアの方を見ると人影が1人立っている。

沙織はぎょっとしてその人物を見た。

小太りで背の低い中年女。あの母親だ。

何故ここに?

沙織はツカツカと歩くと「どうしてここにいるのですか?」と強く言うとドアの前に立ちはだかった。

母親はニタニタ笑いながら「お嬢さんのお見舞いに」と言った。

「主人の周りにも接近禁止命令出てますよね?」再び強く言うと俊哉が沙織の隣に来て止めた。

「どうしたんだ?落ち着きなさい」
「だって貴方、このひとあの女よ!」

「え?」俊哉はきょとんとして目の前にいる人物を眺めた。
そして何かに気が付いたのか唸って息を止めたのが分かった。

「お母さん、この子もお嬢さんの大学の友人です、いつも三人で一緒に仲良くしていて、、、」先に来ていた長女の友人は女を庇うように沙織に言った。

「え?娘の友人?」沙織は驚いて目の前にいるニタ~と笑う中年女を見た。

「今日お見舞いに来るとは知らなかったよ」続けて長女の友人はドアの前に立ちすくむ人物にため口で語りかけた。

「どうして私もお見舞いに誘ってくれなかったの?」その人物はねっとりとした声で答えた。

沙織がもう一度見ると目の前にいるのは、くせ毛を肩まで垂らした、小柄なぽっちゃり体形の娘だった。

「あ、貴女、、、」

沙織はあの××神社で見た光景を思い出し、何かのトリックに遭ったような気分になった。

俊哉は目の前に居る若い女を見て眩暈を感じた。

この女だ、毎晩、毎晩、夢に出て来るのは、、、。

そんな俊哉に気が付いたのか、若い女はにた~と笑った。


呪詛  俊哉と沙織


長男も交えて今後について相談したが、明るい話題も出て来なかった。

長女の容態は変わらず、生命維持装置でかろうじて息をしている状態だ。

俊哉が変な夢を見続けると乾いた声で話始めた。
どんな夢だかは覚えて無いなどと言って話したく無さそうだが、あの不気味な母娘がほぼ毎晩夢に出て来ると憂鬱そうに語った。

沙織も強ち夫の言う事が嘘とも思えず、あの母娘はとにかく尋常じゃない事だけは感じていた。

長男はそんなことを信じないだろうと思っていたが妙な事を言い出した。

「何か呪詛されているんじゃないのかな?」

「じゅそ?」俊哉と沙織で同時に声を出した。

「呪いね、、、あの母親、、、以前私の前に現れて××神社で願掛けしていると言ってたわ」自分の声が震えてるのが分かった。

「願掛けって何の?」俊哉が聞いた、その声もわずかに震えている。

「あ、貴方にもう一度会いたいから、って、あの母親、貴方が好きなのよ、貴方を手に入れたいのだと思う」

沙織はそう言いながら、なんてバカらしい会話だろうとも思った。
あの母娘に翻弄され過ぎている、でもどうしたら止められるの?

「え?俺の事?どうして、どうして?会った事も話した事もないし、俺はあんな女を全く知らないんだぞ?」
俊哉の顔が紙のように白く、額から汗が光っていた。

「きっと病院で貴方を見かけたか、、、長女のPTA関係で覚えて無いだけで何か接触があったのかも知れない」

「接触なんて言い方やめてくれ!気分が悪い」
俊哉にしては珍しく声を荒げて立ち上がった。

沙織は俊哉を見上げてふと思った。

あの母親が欲しいのは、、、もしかしたら俊哉では無いのかもしれない。

あの女が欲しいのは、、、

私の立場?私の家庭?

沙織は考えながらゾッとした。

でも、一体どうして?こんな事をして手に入れられるとでも思っているの?

「父さん、気分悪いのは分かるが母さんを怒鳴っても解決しないよ」

長男の声で沙織は我に返った。俊哉も少し落ち着いたようだった。

長男はスマホを弄りながら画面を二人に見せた、そこには有名神社のHPが出て居た。

「××神社は意外と歴史があるんだよ、その系列の一之宮でお祓いするのも効果あるかもしれない」長男らしく淡々と話す。

「こんな大きな神社の系列だったのね」

案内画面は動画になっていて神社の紹介場面は自動的にクルクル変わった。

鳥居の先に立派な狛犬が写されていたが、その背中には何も乗せられてなくホッとした。

「家族三人で参拝行こうか?」
俊哉も画面をのぞき込み真面目な顔で言った。

「あなた、、、」沙織は俊哉を見て言った「あの女本気かもしれない」
「××神社の狛犬の背に青と黄色の編み物が置いてあるの」

俊哉は「青と黄色の編み物」が何か直ぐわかったらしく白い顔で沙織を見つめた。

「編み物って?」長男が不思議そうに聞いてきた。

「あの女がしつこくお父さんに送りつけて来た編み物よ、今は××神社の狛犬の背に置いてあるのよ」


呪詛返し 長男 


長男の運転で連れて来られた××神社の系列である一之宮は有名神社だけあって参拝客が多かった。拝殿で30分近く待ち、家族三人でお祓いをして貰った後、神社のお札を拝受した。

自宅には神棚も無いし、お札をどうしたら、、、と沙織が思っていると、長男が「こっちこっち」と参道の外れへと手招きをした。

「どこに行くんだ?」俊哉が驚いたように後に続いた。

境内の末社がある裏に両親を招きいれた長男は手に持っていた紙袋をガサガサさせた。

「燃やして埋めるんだよ」

長男は青と黄色の編み物を紙袋から出すとライターで火を付けた。
編み物はメラメラと燃え出した。

「おい、大丈夫なのか?火を使って!?」俊哉は慌てて声を上げた。

「いつの間に、、、××神社に行ったの??」沙織は唖然としていた。

「しっ!静かに」長男は唇に指をあてた。

「父さん、母さんそこを掘って、穴掘るんだよ」地面を指さした。

「掘るって、、、」

「早く!」長男の声が鋭くなり袋から割りばしを二膳出して来た。

俊哉も沙織も慌てて地面を掘りだした。

「凄いね、この毛糸の編み物、体毛だが髪の毛か分からないけど、沢山編み込んであるよ、気持ち悪いオバさんだな」

長男は鼻で笑いながら火が消えないように棒のようなもので突いて編み物を燃やしている。

「凄い執念だね、父さんモテ過ぎるんじゃない?」と笑いながら続けた。

沙織がちらりと見ると、俊哉は聞こえて無いのか必死に穴を掘っている。
うっすら額に汗を浮かべていた。

一体私たちは何をしているんだろう、、、沙織は眩暈がした。

「もう良いよ」長男は両親をちらりと見て、枝に引っかけた編み物の燃え残りを穴に落とした。

ばさっと乾いた音を出し、燃えカスと化した編み物は浅い穴に落ちて行った。

「埋めて、早く」長男に言われるまま両親は黙って再び掘った土を元に戻した。

埋め終わった後、長男はその土をバンバンと片足で踏みしめて固める。
その顔は真剣そのものだった。

「これであの母娘と縁が切れるのかしら、、、あの子も、あの子も元気になってくれればどんなに嬉しいか、、、」

沙織が呟くと俊哉は沙織の肩をぎゅっと抱いた。いつもならゾッとするほど嫌なのに今は肩から伝わる俊哉の暖かい手が有難かった。

「呪詛返しだよ」

長男は真剣な顔で冷たく答えた。

「相手を不幸にした分、地獄に堕ちるだろう」

帰りの車の中で三人とも少しだけ安堵した気持ちになっていた。

「お前がああいう事に詳しいのは意外だったな」と俊哉が言った。

「今ネット調べれば何でも出て来るよ」
長男は運転しながら調べた方法を色々と語ったが笑いながらも目は真剣だった。「効果あると思うよ、だって俺たち真剣に怒っているんだから」

藁をもすがる思いで参拝に来た俊哉も沙織も余り期待していなかったが、長男だけは呪詛返しで効果があると信じているようだった。

この中に長女もいればどんなに楽しかったか、、、車中全員が同じ思いだった。

その後特に変化は無かったが、俊哉が変な夢を見る事が無くなったと嬉しそうに言っていた。

「おまじない聞いたのかしらね」
沙織は俊哉の好きな料理をテーブルに並べながら、長女のことを思った。
「あの子が目を覚ましてくれないかしら」

その数日後、あの母親が亡くなったと長女の友人から連絡があった。

あの母親の死  俊哉と沙織


娘の方が丁度数日旅行に出て居て母親の死は帰宅してから分かったらしい。

俊哉は薄気味悪くなり長男に電話を入れた。

事情を説明すると「それってあのおばちゃんが我々の誰かの死を願っていたんだよ、おばちゃんの掛けた呪詛を返しただけだからさ」長男は当然とばかりに応え「自業自得だね」と電話の向こうでフフフと笑っている。

仮に息子の言う事が本当だとして、自業自得と言えども、このタイミングで亡くなるのは流石に気分が良いものではない。

「沙織、お焼香に行こう」と俊哉は沙織に言った。

「自分の娘の友人の母親だろう、葬儀に行くのは変じゃないし、このままだと気分が悪いよ」

沙織は葬儀の詳細は貰ってはいたが乗り気にはなれなかった。
告別式は数日後となっていた。

「そうね、、、葬儀は来週のようよ、でも、あなただけで行ってくれないかしら」
「こういうのは夫婦で行くのが良いんだよ」

俊哉は沙織の手を取った、俊哉の手を見ながら、数日前に見た奇妙な夢を思い出していた。

長男の言う事を丸々信じる自分もどうかしているが、見た夢を思いだすと嫌な気分になった。

呪詛は私達の誰かが死ぬことを望んでいたのだとしたら、、、

俊哉では無い、多分その対象は私か長女だったのだろうか。

あのの夢はやけに記憶に残っている。
今でも思い出せる、奇妙な夢だった、夫が言っていたのはこの夢の事だったのだろうか。

悍ましい光景だった。。。

半裸の母娘が裸の俊哉に絡みついている、俊哉は苦悶の表情を浮かべ腕を弱弱しく上げている、そんな光景を見ているのは自分でありながら、長女であるような、不思議な感覚であった。

俊哉が自分に気が付き口をパクパクする、その口は




と言っているようだった。

私は「お父さん」とも「あなた」とも叫んだ、、、叫んだと思う、、、。母娘は私の方を見るとにた~と笑っていた。。。

母親は娘であり、娘は母親であった、二人の容姿が交互に変わる。

「ちょうだい」1人がニタニタしながら沙織を見て言った。

「このひとちょうだい」もう一人が同じようににた~として俊哉の腕に絡みついた。

沙織は声を上げられずただただ立ちすくんだ。

「だってあなたこのひといらないんでしょ?」母娘のどちらかが叫んだ。

二人は同時にケラケラ笑い、彼女達の目が光った途端、沙織は大きな黒い穴に吸い込まれた。

その後目が覚めたのだ。

沙織は夢の全容を思い出し背筋が寒くなった。


葬儀場で 沙織と俊哉


沙織は俊哉に連れられてあの母親の葬儀場に向かった。

俊哉は気が抜けたような沙織を気遣いながら色々と話しかけたが、沙織は上の空だった。

沙織は大丈夫だろうか、でも夫婦で来て焼香をすればけじめがつくし、こんな事終わりにしないと。。。

なぜか俊哉は、この葬儀に夫婦で来ることで今までの不気味な出来事が終結すると感じていた。

葬儀場を見まわすと、焼香に来ている人達は娘の大学関係の若い学生風の人達が何人か来ているようだったが、親戚はいないのか、誰も来ておらず、母親が働いている職場の人が数人いるかどうかだった。

長女にお見舞いに来てくれた陸上部の女の子も見かけた。

「沙織、あのお見舞いに来てくれた子もいるよ」

沙織からは返事は無かった。

あの娘は1人座り母親の遺影をじっと見つめて、時々話掛けているのか、唇が動き、その口元には微笑が浮かんでいるように見えた。

俊哉は悲しんで無さそうな娘の様相を見て、まだ現実として受け入れないのかもしれないとも思い、あの日のお祓い以来、悪夢も見なくなり、これで終わるのかと、どこかホッとした気持ちであった。

焼香が終わると沙織が「気分が悪いので休ませて」と葬儀所の入口で座り込んでしまった。

「だ、大丈夫か?」俊哉は慌てて沙織を支えて椅子のある場所まで動いた。「今、タクシー呼ぶから待ってなさい」

沙織がじっと椅子に座っていると誰かが自分の前に立ったのを感じた。

頭を上げるとぽっちゃりした背の低いあの娘が目の前にいた。
軽くカールしたくせ毛を指で弄りながらニタニタ笑っている。

「選択肢を与えるわ、二つのうちの一つ選ぶの」

沙織の目は恐怖で固まった。

「一つだけよ、選ぶのは貴女よ、お母さん、二つのうちの一つだけ」

その姿は死んだはずのあの母親に変わっていた。

沙織は昨晩見た新たな夢がグルグル頭の中で廻った。
そしてその中に再び押し込まれたような気持ちになり気を失った。

目覚め 長女


「沙織、長女が目を覚ましたぞ!」

俊哉の声が電話の向こうで明るく踊っている。

「分かったわ、これから病院に行くから病室で会いましょう、私の方にも先生から連絡があったから今から出るから」

沙織は沈んだ気持ちのまま病院に向かった。

病室には俊哉と長男、そして担当医師やナースがいて、病室に入って来た沙織を一斉に見た。

「お嬢さん、目を覚ましましたよ」ナースが駆け寄って来た。

ベッドに寝たままの長女は目を開けて何か話そうとしていたが声にならないようだった。

「沙織、遅いじゃないか、見てくれ、この子の意識が戻ったんだよ」俊哉が泣いていた。長男も嬉しそうにしている。

違う、、、違うのよ、、、

沙織は暗い気持ちのまま長女を見つめた。

長女の目はグリっと動き沙織を認めたようだった。
その顔には笑いが浮かんだように見えた。

「良かったな、これからリハビリして行けば社会復帰も出来るかもしれないぞ」俊哉は嬉しそうに沙織に話掛ける。「早く退院できると良いな」と続けた。

「気が早いわよ、それに誰が面倒を見るの」沙織は呟くように言った。

「何それ、あの子の面倒を見るのが嫌なのか?自分の娘より自分の仕事が大事なのか?」俊哉は気色ばんだ。

そうじゃなくて、、、沙織は言葉にならない言葉で一杯になった。

「まあまあ、父さん、気が早いよ、母さんだってまだ気持ちの整理が付いて無いだろうし、自宅での介護は生半可ではできないよ」長男が間に入った。

「そうだな、沙織1人に任せようと思っているわけではないよ、悪かった」俊哉は沙織の肩を優しく抱いた、その手はとても暖かかった。

長女の回復は早かった。

少しずつ言語も取り戻し、ゆっくりだが会話もできるようになり、ベッドから車いすで移動もできるようになった。

沙織は出来る限り病院に通うようにしたが気持ちは重いままだった。

何かを察したのか病院に見舞いに来ていた長男が、元気のない母親を近くのカフェに誘った。

「母さん元気ないね、大丈夫?」長男はコーヒーを二つ運んで席に座った。

「そう?そう見える?」沙織は弱々しく答えた。

「父さんも心配しているよ、折角妹が元気になりつつあるのに、今度母さんが倒れちゃったらがっかりしてしまうよ」長男は母親をいたわるように語る。

「多分来月あたり退院したら自宅に引き取れると思うの。私も休職手続きする予定よ、私が全面的に面倒みるし元気になってくれたら嬉しい」

そう、元気になってくれたら嬉しい、それは偽りの無い自分の気持ちだった。

「母さん、何か言えない悩みあるの?」長男は鋭く聞いてきた。
「え?!」沙織はしどろもどろした。
「まだあの母娘の幻影を見ているんじゃない?」

沙織は少し考えて長男に話した、自分の見た夢を、あの母親の葬儀に参列した前日に見た夢を。。。。

長男は聞き終えた後、少し考えてから、沙織の手を握って言った。

「それで母さんを惑わすのがあいつらの目的なんだよ」

長男は沙織が見た夢を否定もせず「母さん、気を強く持って」と続けた、
「あいつらの思うつぼに嵌ってはいけない」

あいつらの思うつぼ、、、

この世を去っても自分の念を相手に刻む、、、あの母親の執念なのか。

彼女のにた~と笑った顔が目の前に浮かんだ。

沙織は亡くなった親友ナースの病室を見舞った事を思い出した。

検査入院したはずの彼女がどんどん衰弱していく様を見ていた。
友人はあの母親のことを忌み嫌っていた。
あの女が病院を辞める一因の一つを友人は作ったと思う。

ベッドで弱々しく横たわる彼女に沙織は色々と話掛けたが答えは無く、別なことを語り出した。

「眠るとね、あいつらの夢を見るのよ」

「あいつらって?なんの夢?」
沙織は友人から突然出た話に驚いたが、優しく聞いた、薬の副作用が出て居るのかもしれないと思った。

「あの女の夢、母娘で出て来るのよ」友人は弱々しく笑った。

「このままだとあいつらの思うツボだわね。。。」

沙織が困って彼女の息子の方を見ると「なんだか近頃ずっと同じ事を言い続けていて」困った表情を浮かべていた。

その後友人は亡くなってしまった。

葬儀で1人息子は人目を憚らず泣いていた、そう、号泣していた。

「ねえ、貴方も私のお葬式には泣く?」沙織は息子に聞いてみた。

「何言ってるの?母さん本当にしっかりしてくれよ!」長男が沙織を握る手に力が入った。

いや、違うの、、、今の状況は私が選んだのよ、、、


回復 長女


「おかあさん、、、退院できるの楽しみ、、、」長女は掠れた声でゆっくりと話した。

「そうね、お母さんも楽しみよ、貴方とこんな話出来るなんて夢のようだわ」長女の車いすを押して病院の庭園を散歩しながら沙織は答えた。

「でも、何だか変なの、自分が自分でないようで、、、」長女は再びゆっくり話す。

「仕方ないわよ、長い間眠り続けたのだから、でも若いし大丈夫よ、来年の今頃はもっと元気になっているわよ」

沙織の方を振り向いた長女はコクリと頷いた、その顔は沙織が良く知っている可愛い長女の顔だった。

そうよね、あの母娘の思うつぼにならないように、、、心配そうな長男の顔を思い出していた。子供たちの為にも自分がしっかりしなくては、と沙織は思った。

病室に戻ると誰かがいる。今日は誰か見舞客が来るとは聞いていない。

「何方ですか?」沙織が声を掛けるとカーテンの陰からぴょこんと小柄な女性が出て来た。

あの娘だ。

「何の御用です?お見舞いの場合はナースステーションに断ってからいらしてくれないと」沙織が苛立って言うと女は頭を下げた。

「ごめんなさい、知らなくて」女は沙織を見てニヤニヤしている。

「今、散歩から戻って来たばかりで娘も疲れていますからお帰り頂けますか?」沙織はナースコールを押し「すみません、病室に勝手に入って来た方がいて、お帰り頂きたいのでお手伝い下さい」早口に伝えた。

「お母さん、待って、折角来てくれたから、話したい」
長女が途切れながら話す。

「ダメよ、こんな子を見たらダメ、もう私達には関係無いの」
沙織は長女を抱き締めた。

「お母さん、、、」女がくせ毛を弄りながら沙織に話掛ける。
その声はあの母親そのものだった。
「忘れたのですか、貴方が選んだんですよ、もう変えられない」

沙織の脳裏にあの夢が再び蘇って来た。

あの母親の葬式の前日に見た夢が鮮明に繰り返し映像として目の前に現れた。

母親は娘になり、娘は母親になる、二人はケタケタ笑いながらまるでエコーのように二人で繰り返し同じことを沙織に言う。

「私は貴女みたいな女が一番嫌い
「そう一番嫌い

「全てが揃っているのにまだ不満がある
「そう不満がある

「綺麗な容姿、賢い頭脳、仕事も出来る、人望もある、妻として愛され、母親として慕われ、お金も困らない、賢くて可愛い子供も二人もいる、そして素晴らしいダンナ様
「そう素晴らしいダンナ様

「私、貴方のダンナ様欲しい
「そう、欲しい

「私知っているのよ
「そう知っているのよ

「貴女、ダンナ様要らないって、神さまにお願いしたこと
「そう、要らないって神さまにお願いした

二人はさもおかしいとばかりにケタケタ笑う。

沙織は頭を抱えて蹲った。

そう、私は××神社に行って俊哉と別れさせてとお願いした。
自分は1人になりたいと。

あの母親に言われた事を真に受けた訳じゃなかったが、軽い気持ちで参拝してしまった。。。

「要らないんでしょう?だから貰って良いのよね
「そう、貰って良いのよね

「違う、、、あの時は私は色々あって1人になりたいと思ってしまった、でも今はそんな事思っていない」沙織は叫んでいた。

夫とは女性問題で悩まされたが、今はもう一度やり直したいと思っている。
夫だって自分と、、、

「もう遅いよ
「そう、もう遅い

「神さまは貴女の願いを叶えてくれる」

母娘二人同時に笑いながら言葉を吐く。

「貴女の女の子はどうするの?階段から落ちた女の子」

沙織はハッとして顔を上げる「どうするって??」

「二つ選択がある、
「そう、選択がある

「貴女の旦那様貰う代わりに貴女に選ぶ権利をあげる
「そう、権利をあげる

「女の子がこのまま目を覚まさない、か
「そう、目を覚まさない、か

目を覚まさないか?あと一つは何?沙織はおろおろした。

「女の子は目を覚ますが中身は別人」また二人同時に喋りケタケタ笑った。

「さあ、どうする、どうする、どっちを選ぶ?」
二人の声はエコーになり沙織の頭の中に響いた。

沙織が蹲っているとナースがやって来て「大丈夫ですか?」声を掛けて来た。

「あ、ごめんなさい、眩暈がして」沙織はヨロヨロと立ち上がった。

「あの、お嬢さん、ご友人ともう一度外に散歩に行くと仰っていて」ナースは沙織を支えた。

「二人で出かけたのですか?」

「え、ええ、大学のご友人との事でお約束していたそうなのです、次回からはナースステーションを通すように伝えました。でもあの方が病室にいるの誰も気が付いて無くて、今後気を付けますね」

いや、気を付けても無駄かもしれない、あの母娘は諦めない。

先ほど病室にいたのは、、、娘の身体に入り込んだ母親だ。
そして長女の身体に入り込むのは、、、

沙織は再びがっくりと椅子に座り込んだ。

漆黒の闇 俊哉


そろそろ長女も退院だと俊哉は足取りも軽く病院に向かった。

自宅での介護は大変だから沙織の負担にならないよう考えなくては。
沙織とももう一度良く話し合おう。

そんな事を考えていると車いすに乗った長女が庭にいるのが見えた。
「散歩に出るほど気分が良いのかな?」
陰にもう一人誰かいるが良く見えないので近寄ってみた。

「あ、貴女は」俊哉は一瞬怯んだ。

「お父さん、大学のお友達、、、お見舞いに来てくれたの」
長女はゆっくりと話した。

「お父さん、今、娘さんと色々と話していたのです」
娘はまっすぐ俊哉をみて話す。話し方が年代に合わないように感じたが、以前のような不気味さは感じなかった。

そうだ、そうもう終わったんだよな。

「あの良ければ座りませんか?」娘はにこやかに笑いベンチから少し腰を浮かして俊哉に座るように勧めた。

隣に座るとふんわりと良い香りが漂って来た。

あれ、この香り沙織が使っている化粧品と同じじゃないかな。

「あ、気が付きましたか?この間沙織さんと話してたら勧められたのです、良い香りですよね」

「え、ええ、そうですね」自分の心の中を読まれた気がして俊哉は慌てた。

なんだ、沙織のやつあれだけ忌み嫌っていたのに、意外と仲良くなっていたのか、俊哉は少し安心した。

「お父さん、、、私、退院したらあの子と一緒に住みたい、あの子が住んでいたアパートに行きたい」

「え?どうして、お前の部屋は新しい家に用意できているんだよ、この間車いす仕様に工事もしたんだ」俊哉は驚いて言った。

しかもあのアパートは母親が遺体で見つかった場所じゃないか。

「あの子、今1人ぼっちだし、私の世話もしてくれるって」長女は途切れ途切れに話す。

「お父さん、私は大丈夫です、娘さんの世話出来ますから」

お父さんって、、、二人からお父さんと呼ばれ俊哉は戸惑った。
沙織が納得するわけない。

「沙織さんとも話し合いをして同意されてるんです」女の目が光った。

「ええっ?そんな大事な事、沙織から何も聞いてないぞ」
俊哉は仰天するとともに腹立たしく思った。

「きっとご自身で決断されたかったのでは?」
長女の友人はくせ毛を指で絡めてまがら俊哉を見つめた。
そして華やかに笑った。

「いや、でもそんな簡単には、長男にも相談しないと」

「お父さん、、、私の希望なの」長女が言った。

「時々お父さんが私達のアパートにいらして頂ければ大丈夫です」
再び女は柔らかに笑う。

笑い声に誘われて俊哉はもう一度隣に座っている女を見た。

どうしてこの女を今まで不気味に思っていたのだろう。。。

「私達一緒に暮らしたいの」二人の声がエコーのように響いた。

それもありなのかもしれない、、、

女の横顔が沙織と少し似ているように俊哉には見えた。
愛してやまない自分の配偶者の顔に。

先ほどあれだけ家族と相談せねばと思った気持ちがほろほろと崩れて行くのが分かった。

そうだな、長女の希望だし、時々俺が二人のアパートを訪ねれば良い話だ。

俊哉はふらりと立ち上がった、その足元には漆黒の闇が広がっていた。


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