骨を埋めるなら木曽がいいって話。
何回かに渡って秩父の話をしていました。
あの日、武蔵の山を遠くに憧れていた少年も、そろそろ若者とは呼ばれなくなる歳になります。
そんな私も相変わらず心は少年のまま、ただただ山に恋焦がれ車を走らせていたら行き着くのは、どうしたって日本でも有数の山岳地帯、長野県。
日本の登山のメッカ、飛騨山脈こと北アルプス。
少しマイナーながらも日本で2番目に高い北岳を有する赤石山脈こと南アルプス。
そして木曽山脈こと中央アルプス。
この日本アルプス三つの山脈には、山が好きなら憧れて当然です。
が、登ったことは一度として無いのです。精々木曽駒ヶ岳に千畳敷カール見に行ったくらいです。あと上高地。だって大変そうじゃん。
そういうのは登山家に任せて私は麓を周ります。登山道具も一応ありますし、八ヶ岳くらいは登ったことあるのですが、いつしか興味は山そのものより、そこに根付いた人の暮らしに目が向いてました。
そんな私が何度行っても憧れてしまうのが木曽の自然。今回も大雑把に紹介していきますよ。
木曽路は全て山の中である
文豪・島崎藤村が記したように、木曽路は山の中です。
塩尻市から国道19号を進めば山を分け入るように道は続きます。木曽川や奈良井川といった清流沿いには中山道の宿場町が当時の様相を呈したまま残されています。
我が町埼玉県にも中山道は通っていますが、残念ながら面影はほとんど残っていません。くそう。
こういうとこ、埼玉のダメなとこです。
また川の透明度も見事なものであり、阿寺渓谷に代表される清流の里でもあります。
私はたまに夢を見ます。
分け入っても分け入っても山の中、遠くには木曽駒ヶ岳のような大きな山が聳えています。
初めて木曽を訪れた時、デジャヴを覚えたのは私が夢に見た光景によく似ていたからかもしれません。
こんな景色が見たかった。
埼玉から木曽は決して近くはありませんが、それでも何度も通いたいと心の底から思うのです。
木曽路は地場産業の手本のような町である
木曽はその自然の豊かさから檜を使った木工細工や木曽漆器などの地場産業が盛んです。
赤沢森林休養林で森林鉄道に乗ると檜で作った記念切符(?)が貰えます。しばらくそれ嗅いでました。シンナーでもやってんのかってくらい嗅いでました。檜に勝るアロマはない(断言)
木曽漆器は木曽春慶塗り、木曽堆朱塗りを始め、多種多様な技法の下作られています。
木曽平沢という地区ではこうした漆器店が昔ながらの街並みで密集しています。
輪島に代表される豪華絢爛な蒔絵や沈金が主たるものではないですが、だからこそ普段使いにピッタリであり、また現代の生活に馴染むよう、ガラスや陶器、プラスチック製品にも漆塗りを取り入れ、より若い人も受け入れやすい製品を作っている印象があります。森林に囲まれた田舎から常に最先端を目指しているのです。
原材料となる木材に溢れ、植生・伐採・加工・販売が一つの地域の産業として成り立っている。それもただの産業としてではなく、日本に誇る伝統工芸として連綿と受け継がれている。
まさに山の中の生活風景として漆器や木工細工は木曽路に溶け込んでいるのです。
骨を埋めるなら木曽にしてください
人が生活していく上で大事なことってなんでしょう?人それぞれとは思いますが、私は利便性より豊かな自然やそれに則した暮らしが重要だと思うのです。いくつか挙げていきましょう。
まず、川が綺麗なこと。
別にこれといった理由はありませんが、川が綺麗って良いですよね。綺麗な川を見るたびに「こういうところで暮らしたい」って思います。
多分これは生物としての本能なんじゃないでしょうか。
全国各地どこでも安心安全な水が飲める日本ではありますが、やはり目に見えて水が綺麗だと心も穏やかになります。
生物が生きていくのに必要不可欠なものだから、こうした清流を求めてしまうものなのでしょう。
2つ目は四季を感じ取れること。
私の住んでいる埼玉のベッドタウンで四季を感じられることといえば、街路樹の移り変わりや、温度くらいなものです。
しかし山岳地帯は春には山が萌え、夏は眩しい緑に包まれ、秋は紅葉で色づき、冬は雪を被り、四季折々はっきりとした時間の流れを感じることができます。
そうしたはっきりとした四季は心を豊かにしてくれます。だからせめてもと毎シーズン山に向かいます。四季の移ろいを他の地域でめいっぱい感じてくるんです。
3つ目はその地域で暮らしているという実感がわくということ。
地域の特色があり、木曽で言えば食卓に山の食材や木曽の漆器などが並べば、自分がその地域で暮らしているという実感が沸きます。
この実感、東京周辺じゃなかなか分かりません。タワマンでバスローブでシャム猫で年代物のワインなら話は別ですが(想像力の限界)
さらに地域の産業に携わることができれば、なかなかの生きがいになりそうです。伝統を受け継ぎ、地域に貢献している。素晴らしい仕事の一つだとは思いませんか。思います。
結局のところ、私が望むのは日本らしい土地で自然に囲まれ、生きていき、死んでいくということです。
大規模なイベントもありません。賑やかな街並みもありません。きっと不便です。時に環境は厳しく襲います。
けれども、そこに心の豊かさや、安穏とした空気があるのです。正直、もう刺激はいりません。コロナ以降、東京に行くこともなくなりました。
私はただ一日一日を心静かに過ごしたいのです。
なので、骨を埋めるならこういう山の中にしてください。
そういう場所で、私は眠っていたいのです。