概念分析メモ

有論

有論→質・量・度合い

質→有・定有・対自有 


「有」=ある。有を取り出す理由は「運動」を知るため。有と無は不可分であり、この世に「運動がある」のは、無から有と有から無へと変化するから。


「定有」=何かがある。性質は否定的(規定することは否定すること)。性質を持つ存在は別のものに生成変化すること、ある存在はその存在であり同時に他の存在であることを知るため。

・この人は青年だ(定有の即自有)

・この人は壮年でも老年でもない(定有の対他有)


「物自体」。人が知ることが出来るのは生成変化するものであり、生成変化しないものは知ることができない。


「変化の必然性の理由」。即自有と対他有を区別しつつも同一としているし、いずれかに偏る。だから変化は必然的

・…→即自有→対他有→即自有→対他有→…


「真無限」。対象は有限であるだけではない。無限と併せて見なければならない。ただ無限とは有限と完全に独立する概念ではない。そのように有限から独立している無限を悪無限、有限と区別しつつも同一的なありかたをする無限を真無限と区別する。


「対自有」。これは真無限の定有。対他有を幾回も媒介して至る"即自有=対自有"のと。質から"一"という量への転換として表される。"一"者のイデアリズム。対自有はイデアを実在的な性質としてもつ

・対自有は"一"者である(定有の対自有)


「量」。定有から性質を排除したもの。また単位と集合で表されるもの。量的変化から質的変化が生じると捉えるのではなくて、量的変化も質的変化から生じる。だから質と量を同時に尊重しなければならない。


「度合い」。質と量の統一。量により質は変わるし質により量は変わる。

・酒は百薬の長

・酒は万病の元

本質論

本質論→本質・現象・現実性


本質論。事物を二重に捉える。


仮象と現象。仮象は本質の歪んだ現れ。空無的であり本質が照らし出した歪んだ有である。地動説に対する天動説が仮象。本音に対する建前が仮象


現象・仮象・本質。それらは不可分に結びついている。だから人は現象・仮象の奥に本質(科学法則)を探求できる


本質と仮象の関係。仮象は本質の歪んだ表れということで本質と区別されつつも互いが他方をうちに含む同一的な関係性である。直接性と媒介性、区別と同一のカテゴリー。非本質的現象が仮象。


形式論理学。形式論理学は「同一律・矛盾律・排中律」を用いる。それらは論証においてAとして論じたものを最後までAとして扱う共通点がある。


形式論理学批判。区別を区別として、媒介を媒介として論じるだけで真理の一側面しか捉えられていない。全ての事物は運動・生成変化し、互いに関係しているから。


区別→差異・対立・矛盾


差異。Aに対する非Aをいう。Aと非Aは同一性がある故に比較可能性をもつ。例えば2つの商品の交換には共通して「価格」がある。


対立。不可分な関係をいう。例えば、右と左・肯定と否定・教師と生徒など。「対立物の相互浸透」がそれぞれ関係を作り出している。


矛盾。差異から矛盾は生じない。差異→対立→対立物の闘争(矛盾)→矛盾の激化→矛盾の止揚というプロセスで矛盾は生じる。


生動性としての矛盾。矛盾に対して同一性は直接的なものであり「死んだ有」。それでは運動を捉えられない。「全ては対立している」のである。そして事物は自らのうちにある自らを否定するものと対立・発展する。矛盾は自己運動の原理である。


根拠(概念)。根拠と根拠づけられたものは、本質と現象に対応する。本質を根拠、現象を根拠づけられたものすると、本質と現象の関係性は同一でありながら、現象は本質より豊かに現れるため区別される。


概念と現実性。ヘーゲルの概念は、ライプニッツの言うどのような理由も認める充足理由律と違い、「絶対的に規定された内容」をもつ「自ら活動し産出するもの」をいう。この適切な概念こそが現実性を可能にする。
















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