「知ること」「知ってもらうこと」そして共創
弾丸京都旅をしたらやる気がみなぎった。
なんだったらワクワクしてきた。
『今こそ有給を使おう!』というコピーの元、shikiami conconで行われていた夏祭りに行ってきた。一緒に仕事をしたことがあるとか、住んだことがあるとかではなく、純粋にファンだからという好きの心に正直に移動してみたら想像以上の刺激を受けて心の筋肉もほぐれてとっても気持ち良くなったのだ。
秋晴れの元、綺麗な日差しに照らされるコンテナ畑?コンテナ群にはぼくが思う「かっこいい大人」が集まってキャッキャしていた。染め物屋さんもいればデザイナー、飲食、広告、撮影班もいて建物でありながらconconという名前の元に魂や命が醸造されてあったかい何かになっていた。その場の見えないオーラなのか空気がとっても気持ちよかった。
共創自治区という言葉を”コミュニティ”というカタカナではなく用いていて、その共創についてのトークがこれまた最高によかった…
創設メンバー:第1世代に始まり、その次・またその次の第3世代の本音トークだったりその場の空気から感じることも含めてめちゃくちゃよかった。第3世代は自分と年齢が近いこともあり、世代を跨いだトークや運用
試行錯誤していることが正直にズルいとまで思ったくらい。共創トークがめっちゃ面白かったのだ。
第2世代と第3世代のトークの中で出てきた『共創ってのはお互いのことを知っているからできること』という言葉(完璧に正しい引用ではないかも)がロンギヌスの槍として心を貫いた。
『相手を自分のリソースと思っているからこそ共創できる』という言葉も二の矢として心に刺さった。「自分のリソースとして考えて良いものなの!?」って。
素敵だなーと思う共創は、肩書きなんてとっぱらった上で「一緒に創ろうや」って、そんなイメージだけはある。だからこそなんだ。肩書きや明確な役割名なく創ろうとすればするほど、自分も相手も会話が必要なのだ。
・何ができて
・何に興味があって
・(最近は)何をしているのか
確かになー…conconにいる方々は人の紹介と自分の紹介がとっても上手な印象だった。だからこそ「だったらこれできそう!」とニューロン同士がつながり合う瞬間が多いのかもしれない。ビビビビーッ。
5年で3世代が同じ方向を向いて進めているというのは、ぼくみたいな若造でもそのパワフルさを感じられる。良い意味で震えてしまうくらい。
その中でも第3世代と自分を重ねた時、本音トークってほんまに大事だなーと、文字に書くと当たり前なんだけれど、改めて染み入った。
「第1世代の大きい声にかき消されることもある」という話があったが、ぼくの場合は”声すら出せていないこと”の方が多い。薄っぺらい綺麗事とかではなくて熱い・厚い本音や言葉が必要な感覚だから。
だからこそ、きちんと話をしてゆく。ぼくの場合は腐っても一人社長でもあるので契約やお金のことも含めてきちんとリサーチして・考えて、会話をしてゆく必要がある。ボーッと生きてんなよーと良く言われる理由はそこら辺を蔑ろにしていたからな気がしてきた。
一緒に創ってゆきたい人がいる。
それはここまで”なんとなく”でしかなかった。なんとなく惹かれて好きだから、みたいなさ。それゆえ今思うとまだまだ相手のことを知らなかったりするし、特に自分のことを知ってもらう努力もしていないことに気がついた。そこから変えてゆこう、そして共創をしよう。
いま思うと創ること以外もそうかもしれない。
一緒にやっていこうと思ったらその事柄について知って、それに対して自分も曝け出す必要がある。家計だってそう、どんな費用がかかるかを知り・(自分に自分のことを)知ってもらうことに近い。また天秤が見えてきた「知ること」「知ってもらうこと」という天秤。
11月の初旬に吉祥寺のパルコ屋上で行われるZINEフェスへ申し込んでもらっていたものの何を創ったものかと考えていた(もう1ヶ月切っているのに!)。
自分は何ができて・何に興味があって・何をしているのか?を整理するだけでも面白いかもしれないなーと。
ある種、今後ポートフォリオとして提示出来るZINEなんて創ったら面白いかもなーって。それもフォーマット化してしまえば自分以外の人のヒアリングにも応用できるかも。
小学生の頃に女子の間で流行っていた一期一会のプロフィール帳を思い出した。(ズッ友ってやつ)
相手のことを知る、自分のことを知ってもらう。
「知ること」「知ってもらうこと」そして共創
とってもシンプルになった。いい感じ。
こんなことを夕方の鴨川で寝そべりながら考えていたらいつの間にか眠っていた、気がついたら夜になっていたので銭湯に入って満ち満ちた気持ちで新幹線の終電に飛び乗った。