三国志13 蜀志劉備伝 #5
大賢良師張角
184年6月
劉備は黄巾党との緒戦に大勝した勢いを活かすべく、都城『中山』東方の要衝『安国』の制圧に動いた。この要衝を制圧すれば、約四万の民を『中山』に加えることができる。劉備勢一万九千は、『安国』に到り、徐々にその支配権を黄巾党から奪い返していった。
陣中には様々な情報が入ってくる。中でも劉備を驚かせたのは、天公将軍と大書された軍旗が『河間』の地に集結中の黄巾勢にあったという噂だ。
天公将軍とは黄巾党の首魁『張角』の称号、この黄巾の乱の首謀者であり、天下を乱す元凶の一人が『河間』という目と鼻の先にいることを示していた。
「以上、敵首魁張角出陣の噂を報告します」
「兄者ぁ、今から張角の首取りにいこうゃ」
「翼徳、そう馬鹿なことを申すな」
「雲長の言うとおりだ、翼徳落ちつくのだ」
劉備は今にも飛び出して行きそうな張飛を宥め賺し、関羽と相談して、まず密偵を深く潜らせることにした。
『張角』は冀州鉅鹿郡の人で道教の一派である『太平道』を創始した人物、信者からは大賢良師と尊称されている。その昔『南華老仙』から『太平要術の書』を授けられてその秘術を習得、奇蹟を起こし符呪によって民衆を治癒してその信奉を得たとされる。当初は善行によって民衆を導いたとされる『張角』が何故暴虐によって漢王朝を転覆させようとしたのかは定かではない。
数十万の信者を抱える『太平道』を基盤にして黄巾党を結成、張宝、張梁の二弟と挙兵し、それぞれ天公将軍、地公将軍、人公将軍と自称した。
華北全域に『易姓革命』の始まりを連想させる「蒼天已死黃天當立歲在甲子天下大吉」という標語を流布させて、既に漢王朝は滅亡しており、次の世は黄巾党が統治することになると触れ回った。
黄巾党の出現は苛政に苦しむ民衆をあっという間に引き寄せて、勢力が急拡大したのはいうまでもない。誰もが黄巾党の世が到来するのではという不安が脳裏をよぎった。
数日後、劉備が放った密偵から密書が届いた。『河間』にいる『張角』は本人であること、総勢三万の兵はとても士気が高いこと、『張角』の妖術に注意すべしと短かく記されていた。
用語説明
『中山』・・・ 冀州の都城のーつ。薊の南西、鉅鹿の北、南皮の西にある。古くは遊牧騎馬民族の狄が起こした国とされる。
『安国』・・・ 中山と河間の中間に位置する要衝の集落。都城に従属させれば四万の民が増加することになる。
『河間』・・・ 薊と南皮と中山への三つの道が交差する要衝の集落。都城に従属させれば二万の民が増加することになる。
『南皮』・・・ 冀州の都城のーつ。北平の南西、薊の南東、中山の東、鉅鹿の東北東、甘陵の北東、晋陽の東、平原の北。後漢から三国時代の華北における重要な都市。
『張角』・・・ 黄巾党の首魁で太平道の創始者。天公将軍と自称し漢朝の転覆を画策、太平道の信徒数十万人を扇動して黄巾の乱を起こさせる。類い希な統率力と公正無私の振る舞いが多くの信奉者を惹きつけ、その忠誠心を狂信の域まで高める。戦闘は苦手だが戦場では太平要術を用いて敵を惑わし 、その攻防と機動力を下げ、士気を極限まで挫き、火をつけて追い払うという。文官として才能が高く、特に弁舌の能力は多くの人を従える力がある。弟の張宝、張梁を将軍にして華北一帯に勢力を広げている。
『太平道』・・・ 道教の一派で張角が創始した。張角が南華老仙から授かったという太平要術の書をもとに、符呪によって病を治癒するなどで信仰を得て、華北一帯に数十万人の信徒を集めていたとされる。
『南華老仙』・・・ 道教の始祖の一人、戦国時代の思想家荘子が道を得て不老不死の仙人となり、南華老仙になったとされる。荘子は無為自然を尊び、俗世を離れて道を得ることを目指していた。張角に太平要術を授ける際、「太平要術で世直しを行え。悪用すれば天罰を受ける」と忠告したという。
『太平要術の書』・・・ 張角が南華老仙から授かった奇書。三巻あり、それぞれに妖術や練丹などの秘術が記されている。所有者の知識を高め、兵撃を回避できる鬼謀の特技を付与する名品。
『易姓革命』・・・ 古代中国から受け継がれる王朝交代を説明する理論。王朝の徳が断絶されると天命が革まるとされる。五行思想とも絡み合い独自の理論となっていて、漢王朝の徳は火徳(赤)であり、火の次は土徳(黄)の王朝となると信じられていた。
『字』・・・ 会話中に関羽の字「雲長」、張飛の字「翼徳」を使ったのは、字は諱(いみな)を呼ばないために使うものだからである。字は中国など漢字文化圏の東アジアで用いられる実名以外の名。名は諱(いみな)として軽々しく使われず、主君や親など特別な人のみが使うものだった。男子は通常二十歳で成人すると字を持つ。因みに字に「伯」「仲」「叔」「季」が使われている場合、伯は長男、仲は次男、叔は三男、季は末子という兄弟の順序を示している。