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三国志13 蜀志劉備伝 #14
孫堅との絆
185年3月
孫堅から恩人の消息を調べて欲しいと依頼を受けた劉備は、黄巾の残党が支配する預州の小沛に単身赴いていた。孫堅の恩人は賊に村を襲われ行方不明となっていたのだ。幸いにも小沛の治安維持を担当する周倉という義侠の人物によって、襲撃された村の人々は小沛で保護されているという。周倉の協力を得た劉備は保護区域での捜索に取り掛かっていた。
「孫徐州の恩人とは貴殿のことでしょうか」
「いかにも孫徐州とは懇意にしておるが」
「貴殿の村が賊に襲撃されたこと、孫徐州はひどく案じておられますぞ、いつでも頼って欲しいと言付かっています」
3月7日、劉備は調査開始から十日で孫堅の恩人を見つけることが出来た。その学者風の人物は避難生活にやつれた様子もなく明るい表情を浮かべていた。劉備からの伝言を聞き、孫堅の心づかいにとても感謝している様子だ。
「周倉殿のお陰で何とか無事に過ごせています、お心使いに感謝していたと孫徐州にお伝え下さい」
「貴殿の無事を孫徐州は必ず喜ばれよう」
話を聞くと、村は賊の一団に荒らされたが、不幸中の幸いにも家族に犠牲者もなく、無事に小沛までたどり着くことができたという。暫くは周倉の保護下で身の振り方を考えるそうだ。
劉備は孫堅の恩人に見舞いの金子を渡して別れの挨拶を済ますと、4日かけて下邳に戻った。
3月11日、劉備は孫堅に恩人の安否を告げた。
「貴殿の恩人は小沛で無事に過ごしておられました、ご心配ないようにとのことです」
「そうか無事であったか、安堵いたした、玄徳殿感謝するぞ」
「貴殿の人を想う心意気に感じ入ったまで、協力できて本当に良かったと思っている」
この出来事を契機に劉備と孫堅は朋友の絆を結ぶこととなる。
朋友の絆を結んだことにより、劉備は孫堅から『威風』を修得し、孫堅は劉備から『人徳』を修得した。『威風』とは兵士統率の極意であり、指揮可能兵数の上限が大幅に増えるというもの、『人徳』とは人心掌握の極意であり、人物との初対面時に警戒されず会えたり人材登用に有利になる特技だ。
劉備は孫堅との絆を強めたことで、幽州と徐州の共同作戦を決行する準備が整ったと判断し、孫堅に幽州へ帰還する旨を伝えた。
3月12日、劉備は帰還する前に、様々な助言により手助けをしてくれた糜竺に別れを告げに向かった。
「此度の滞在中には子仲殿には大変お世話になりました」
「それぞれ幽州と徐州に別れますが玄徳殿のことは徐州より応援しておりますぞ」
名残を惜しみながら劉備は糜竺と別れ、劉焉が本拠地を移した南皮へ出発した。
帰還の途中、呉巨に遭遇した。冀州に腕の立つ武人がいるという噂を聞きつけて捜索に出ているとの事だった。どうやら南皮にいるらしいとのこと。
3月28日、劉備は南皮に到着すると劉焉に孫堅との同盟に関する報告を行うと、呉巨から聞いた武人の調査を申し出た。
「どうやら腕の立つ武人がいるとか、南皮での調査を進言致します」
「良かろう、戦のことは其方に任す、武人の調査進めるがよい」
劉焉は劉備の進言を即断で採用し、調査の許可を与えた。
3月末、春の論功行賞が行なわれ、孫堅と同盟を結んだ功績を評価された劉備が功績一位となった。
「劉備の功績は我が軍の中でも群を抜いておる」
「過分なお褒めをいただき恐悦至極でございます」
劉備の言葉を聞いた劉焉であったが、劉備に親近感を覚える一方で、軍中において将兵の評価が急激に高まりつつある劉備を危惧し始めていた。劉備を妬む側近の讒言も無視できない。
「主君を遥に凌駕する家臣は主家の衰退を招きかねん、黄巾残党の討伐が終われば暫く戦も起こるまい・・・」
抜け目ない劉焉は残党討伐後の将来について、既に水面下で十常侍と接触していた。十常侍は霊帝を宮中から操る宦官の集団で、漢の政治を乱す元凶の一つでもあるのだが、より良い官職や領地を得るためには最も有効な交渉相手である。
黄巾賊に蹂躙された河北一帯は領地としての旨味が薄すぎる、次の任地は平穏無事で朝廷からの干渉を受けづらいところにするかなと劉焉は思い描いていた。そして劉備のことは、いずれ劉焉軍から放出し、黄巾賊に荒らされた河北の貧しい城の主にでもしてやれば良かろうと思い付いたのだった。
登場人物
劉備 ・・・ 主人公。字は玄徳。劉軍師とも呼ばれる。幽洲涿郡涿楼桑村の出身。漢の皇帝の末裔であったが、父が早く亡くなり家は没落、筵を売って生計を立てていた。身の丈七尺五寸(約173センチ)、大きな耳をしている。武器は家宝の双剣『雌雄一対の剣』。現在は劉焉軍の軍師として孫堅軍との同盟を締結させ、共同作戦の準備を進めている。
孫堅 ・・・ 字は文台。孫徐州とも呼ばれる。揚州呉郡の人。孫子の末裔を自称し、十代での賊討伐を切っ掛けに頭角を表す。若くして出世し、現在は徐州刺史。統率力、武勇に優れ、知勇兼備の英傑である。性格は豪胆。多くの兵士を従える威風を全身から発している。戦においては獅子奮迅の働き振りで自部隊の攻撃や士気を極限まで高め、周囲の部隊に兵撃を与える戦術を使う。武器は名品古錠刀。孫策、孫権の父。劉備とは朋友の絆を結んでいる。
周倉 ・・・ 黄巾党の武官。黄巾の残党が支配下に置く小沛で治安維持を担当している。賊に襲撃され難民となった村人を保護するなど、義侠心に厚いと小沛の市民から評判が高い。
糜竺 ・・・ 字は子仲。徐州東海郡の人。広大な土地を有する大富豪で、万を超す小作人に慕われている。義を重んじ、温厚篤実、秀才の誉れ高く、農政に明るい。現在は孫堅の陣営に招かれ農政改革に取り組んでいる。孫堅との外交に奔走する劉備に数々の助言を与えている。
呉巨 ・・・ 劉焉軍の武人。劉備に登用されて劉焉に仕えている。戦場では弓矢を防ぐ術を持つ。黄巾討伐の南皮城攻略戦では騎兵を率いて戦った。性格は小心で強欲。
劉焉 ・・・ 字は君郎。劉幽州とも呼ばれる。漢室の末裔で幽州を統べる刺史(行政長官)。文官としての才能には秀でるが軍事には疎い。その為、黄巾の乱鎮圧に優秀な武官を必要としている。性格は冷静沈着だが強欲。子に劉璋がいる。現在は本拠地を冀州の南皮に移し、私財を増やす為部下に南皮での収奪を密命した。水面下で十常侍と接触し、黄巾の乱平定後の未来を強欲に画策し始めている。
用語説明
黄巾の残党 ・・・ 太平道の教祖である張角が主導した大規模反乱の勢力。目印に黄色の頭巾を被った。主導者の張角は既に処刑され、現在は弟の張宝が跡を引き継いでいる。残党と言われるも依然勢力は強大。
徐州 ・・・ 漢代中国の十四に分かたれた行政区分のうちの東方の州。徐州の都城は下邳、琅琊、広陵。
下邳 ・・・ 徐州の都城の一つで徐州の州都。現在は孫堅の拠点となっている。
幽州 ・・・ 漢代中国の十四に分かたれた行政区分のうちの東北の州。幽州の都城は薊、北平、襄平。
南皮 ・・・ 冀州の都城のーつ。後漢から三国時代の華北における重要な都市。黄巾党から劉備が奪還した。
威風 ・・・ 指揮兵数の上限を増加することができる特技。全身から漂う威風により多くの兵卒を従えることができる。孫堅は孫子の秘伝からその極意を習得したようだ。孫堅から劉備に伝授された。
人徳 ・・・ 人々に慕われる徳が備わる人心掌握の特技。初対面の人物に面会する際に紹介が必要なくなる、人材登用の際に有利になるなど優れた人格者の風格を身に纏う。劉備から孫堅に伝授された。
小沛 ・・・ 豫州の都城のーつ、下邳の北西に位置する都市。沛県は漢の高祖劉邦の出生地でもある。
十常侍 ・・・ 漢の皇帝や何皇后、大将軍何進を宮中から操り、漢の政治を腐敗させている宦官の集団。より良い官職や領地を求めるなら十常侍に賄賂を渡して頼むのが最も効果的である。
宦官 ・・・ 去勢した官吏のこと。主に宮中で皇帝の身の回りの世話を行う。生殖機能を失っているために皇帝に重用され、政治にまで介入するようになった。
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