横浜日本大通りの建築(2)横浜公園
こんにちは、Akiです。
建築好き通訳ガイドの視点から、建物の魅力について紹介しています。
横浜の建築集中地帯のひとつ、横浜日本大通りの周辺にある建築を巡る記事の三回目です。
京浜東北線が走るJR関内駅の南口を出て、前回紹介した旧横浜市庁舎を左手に見ながら1分ほど歩くと「横浜スタジアム」が見えてきます。
横浜スタジアムは日本で、そしておそらく世界で最も鉄道駅からのアクセスがよい球場、といわれています。
横浜公園
横浜スタジアムを含む一帯は、「横浜公園」という日本で最も歴史ある公園のひとつです。
春には横浜市のフラワーイベント「横浜ガーデンネックレス」の会場のひとつとして、多くのチューリップの花が楽しめることでも有名な場所です。
横浜公園は、お雇い外国人、リチャード・ヘンリー・ブラントンが日本大通りとともに設計し、1876(明治6)年に造成された日本で2番目の洋式公園といわれています。(日本初は同じく横浜の山手公園)
ブラントンは明治の横浜のさまざまなインフラを整備し、街づくりに貢献しました。横浜公園には彼の功績を称えた銅像があります。
ちなみに、ブラントンの来日目的は日本の灯台建設で、犬吠埼灯台(国指定重要文化財)をはじめ、全国に26の灯台を建設し、「日本の灯台の父」といわれています。
横浜公園の門には、関東大震災からの復興期に流行した、スクラッチタイルという表面に細い溝を刻んだレンガのように見える外装材が使われています。横浜スタジアムでも近年の改装で、このスクラッチタイルが使用され、横浜の歴史や街との一体感を演出しています。
横浜スタジアム
「横浜スタジアム」は、1978(昭和53)年に竣工した、日本で最初の多目的スタジアムです。「ハマスタ」という愛称で親しまれています。
設計は、横浜の建築家・吉原慎一郎(よしはらしんいちろう)が率いた創和建築設計事務所(現 株式会社創和三幸設計)が手がけました。
野球だけではなく、サッカーやアメリカンフットボールの試合ができるように、電動式の内野席や昇降式のピッチャー・マウンドなど、当時の最新式設備が導入されたことで話題になりました。
東京2020オリンピックでは野球、ソフトボールの競技会場となったので、ご存知の方も多いことと思います。
今もプロ野球球団・横浜DeNAベイスターズの本拠地グラウンドとして、最新の改装が施されています。
中でもすばらしいと思うのは、スタジアム外周に設けられた「Yデッキ」とよばれる2階の回遊デッキ。
試合のない日は一般に開放され、誰でも利用することができます。
この階段を上がるとYデッキです
スタジアム外周のYデッキから旧横浜市庁舎方面の眺め。
照明灯はYokohamaの「Y」をかたどったといわれる形です。
このYデッキを通って、中華街方面にもアクセスすることができます。
ちょっと横浜公園から離れますが、Yデッキからレトロな雰囲気の建物が見えますので、そちらに行ってみましょう。
ストロングビル
この建物は、1938(昭和13)年に建てられた、イギリスの商社「ストロング&カンパニー」のオフィスビルの外装を再現したもので、「ストロングビル」とよばれています。
この写真の場所は横浜公園の東側にあたり、幕末から明治にかけて外国人居留地だった場所です。ここには多くの外国商館が立ち並んでいました。
設計者の矢部又吉は、横浜出身の建築家で妻木頼黄に師事し、多くの銀行建築を手がけました。
彼の建築は多くが解体されましたが、このビルのように外装が再現されたものを、いくつか横浜で見ることができます。
ストロングビルは、西洋古典主義様式の雰囲気を持ちつつ、かなりシンプル化された意匠が見られます。
四角い窓が並ぶ外観は、モダニズム建築の持つ機能的な要素も感じます。
建物の1階に入ってみましょう。
正面の扉は閉じていますので、右脇のドアから入ります。
1階に入ってすぐ、かつての建物で使われていたと思われる部材を見ることができます。
軒飾りとドアの蝶番(ちょうばん、ちょうつがい、とも)のようです。
1階はホテルのエントランスホールになっていて、玄関の裏側を見ることができます。
そろそろ記事が長くなってきましたので、今回はここまでにして、次回は横浜公園から日本大通りに入っていきたいと思います。
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