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止められてもそうする、だって止められないから。

おはようございます。
のびたまごです。今日はなかなか朝から重いです。でも今出てきたので今書きます。

注意⚠ 朝から重めの話です

今日は朝起きてすぐに、今あるもやもやをひたすらノートに書き出すということをしていました。
なぜなら、夢の中でいろいろあって自分が固まってしまってたからです。その感覚が起きてからも続いていて、この強張りを解くには、今何が起こってるのか、何を感じてるのかを書き出してみないともう無理だなと思ったんですね。

書いたら見ないといけない(というかほぼ同時進行ですからね)。ということは、心の中に仕舞ってさえおけば、見なくていいことを直視するってことなので、本当は嫌なんですけど(だって本音に気付いてしまうから)、本当は嫌じゃない(だって本音に気付きたいから)。それがわかってるから限界まで放置してたんですけど、もういろいろもろもろ無理みたいで、また心が死ぬのは嫌なので、とうとうやってみることにしました。


もろもろ覗いてみた

わたしは人にすぐ合わせてしまうし、それは自分を押し殺してしまうということでもある。

でも、最終的に突き詰めていくと絶対に合わせられないことがあるということがわかってきました。

その件に関しては、どう頑張ってもどんなに考えてみても合わせられない。だから悩む。なぜなら、どうにかして合わせたいし、妥協点を見つけたいからだ。どんな理屈を使ってでも、脳内の知識を総動員してでも理解したいからである。無理やり適当な理由をつけてわかったふりをすればいいのだけどそれはできない(馬鹿正直だし嘘とか筋が通ってないことは嫌い)のであり、合わせられないということが自分の中では自分の中の禁忌に触れることだから、どうしてもどうにかしたい。

のだが、どうにもならないのですよね。
本当は、どんなに頑張ってもどうにもならないことはある。でも、その事実を受け容れたくないわたしがいて、それにも気付きたくないし、受け容れたくもないから悩んでいるということになる。悩みのループの仕組みのひとつはこういうふうになっていたらしい。知らなかった。。。


悩みをループさせている理由

ではなぜループにしているのかというと、真実に気付いたら、それはもう自動的にそっちに戻ってしまうからだ。わたしはそういうふうにできている。

納得する=自分の中の真実(魂と一致したこと)であると認識される=決定事項になる(書き換え不能)、という仕組み。

つまり、こんなに頑張って偽って取り繕ってきた、努力が全部無駄になる。木偶の坊だったかもしれないけど、わたしはずっとわたしという人間を頑張って作ってきたのに、こんなに丹精に丁寧に作ってきたのに、それを自ら壊すのか。

気づいてしまうと、それ以外を受け容れられなくなるから(つまりは木偶の坊を壊すということ)、気づかないふりをして、例のごとく色々なことを葬ってきているんですね。


葬る理由

以下☟、昨日書いた関連noteです。

それは、生存本能でもあり、わたしにとっての生き抜くための術だったんです。あまりに周りと違いすぎる自分を隠して、騙して、上手く合わせて生きていけるように。

そうじゃないと自分も相手も傷付くから。「傷付くのは自分だけがいい。だからそうする。」と、幼少期のわたしが、どこかで決めた、らしい。

一旦、自分自身をそういうふうに決めて封印した。
それは、将来の自分に信頼があったからかもしれない。いつか、真実に気付いて、この封印を解いてくれる日がくる。一旦は偽りの真実に身を委ねるけど、いつか真実(この世の理に通じるもの)に気付けるだけの器になれたら。

そして、たとえそれが自分にとっては悲しく受け入れ難い真実だったとしてもそのまま受け容れて生きていけるようになったら、そのときにまた決め直す。そう決めていたのかなと、ふと思ったりしています。無意識のうちに、自分に賭けたのかな、と。この自分史上最大の謎になるかもしれない(この時点では)謎を、解けるかどうか。器を自分ではかったのかもしれません。どんだけ!


器をはかる

だって、自分の上辺はどれだけ偽り取り繕っても、真実(魂)は偽れないから。偽りのない自分を生きるに値するだけの胆力や精神力(あれ?意味同じ?)を育てられるまで、封印することにした、ということなんでしょうね。それが器をはかるということでもあって。

使命を果たすだけの器を持って生まれてきてるか、を無意識に試していて、無理だったらまた来世に持ち越し、ということ(この辺はあえてリンク貼りませんが過去にnoteに書いてます)かと。
過去世のわたしからの、魂の課題があるので。


魂の課題

わたしはずっと「自分が生きている意味」を問い続け、探し続けてきました。ほんとにずっとやっていたんです。ずっと、「何をしているんだろう」「なんでここにいるんだろう」と思っていたし、何度も「ずっとここにはいない」「ここじゃない」という理由のない直感みたいなものだけは受け取り続けてました(そしてMAX偽ってるからそう思う自分にショックを受けていた)。

地に足がついてないと責めてた時期もあったし、私ってほんと何なん?と怒ってたときもあった。

けど、魂や使命を追求するということは、生きるために習得した自分を偽るすべの全てを見つめ直し、取り繕ってきたことを明らかにし(暴くともいえる)、偽りの自分を生きてきたこと、偽善に徹してきたことを認めることだった。

それは、わたしがずっと避けてきたこと、自分に禁じてきたことで、1番したくないことなんですよね。

過去に“本当の自分を封印していた”として、そのときに思っていたことは、自分を生きることは、他人を拒絶することと直結しているということだったと思われます。
そりゃ傷付くよなあと今さらながら(他人事みたいに書いてますけど)。子どもだったらなお、なおさら。死活問題ですからね。生きていけない。今のわたしが考えてみても、仕方ないなぁと思います。そりゃそうするよねって。でも、それ自体もたぶん自分で仕組んで生まれてきたんでしょうけどね☺️


じゃあ、今これに気付けたってことは、今のわたしであればこれに対する答えが見つけられるってことなのかな。じゃないとたぶん、封印の鍵はあかないので(だってわたしはめんどくさいくらいの完璧主義)。封印するなら徹底的にしたと思う。

実際、振り返ってみてもそうだとしか思えない生き方をしてきてますから。さらに、最悪なことに途中から上手くすり替えて人のせいにしてきましたしね(その方が真実に気付かないから)。

謎を解くのが好きってことは、謎をつくるのも好きなんですね。これはほんとに大きなヒントになりました。

※ただ、このnote書いた後に追加が結構あったので、またまとめなおし必須なんですけどとりあえず載せときます。

このnote書いたのもうほぼ2ヶ月前...!!!
先週か先々週くらいの話かと思っていた(記憶違い)。ほんといま不思議な時間の中に自分はいるんだなぁと再確認しました...( ˙-˙ )


閑話休題

ということで。
なんかものすごいことをつらつらと書いてしまったような気がしてますが、たぶんほんとに、もう起きろってことなんだろうなと思います...

これは自分の声だけど、自分の声じゃ無かったのかも。

前前前世でも聴こうかな。← ちょっと気恥ずかしくなってきたので茶化してしまいました|´-`))))

偽りの自分で生きるために必要だったものは全部手放して、ほんとうの自分を生きるのに必要なものだけにする。

時間がかかるかもしれないけど、それでも少しずつでもやっていこうと思います。

で、たぶんそれは、タイトル(やっとタイトル...!)に書いたように、「止められてもそうする、だって止められないから。」なことに繋がっていくのではないかなと思ってます。

だから、止められてもしたいことはすることなんです。きっと。
自分が決めること(決めてきたこと)で、このタイミングで正解なんだと思う。



少しは晴れてきたかな。

今日はいい日になるといいな。


おしまい。


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のびたまご🌱☀️.°
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