世界の大半の人が起きる前に 2024/03/09
久しぶりにはやく目が覚めて、寝ようとしてみたけど寝れないんだなとわかったのでnoteを書くことにした。昨日は早く寝たので早く目が覚めたのだと思い、何時間寝たのかを数えてみたら6時間30分ほど寝ていた。とてもいいと思った。朝が早いだけで寝てない気分になりかけていたけどそんなことはない。わたしは昨日早く寝たので、その分早く目が覚めた。それだけの事だ。ここ最近のわたしが、寝るのが遅すぎたのだと思う。
静けさの中で起きていて、自分が唱えたマントラを聴いていると、なんともいえない気持ちになった。遠くで車が走っている音がするくらいで、世界はまだ静寂に包まれている。わたしの内側と外側か一致している。そうか、わたしのなかにある静寂は、どうやら深夜の静寂ではなく夜明け前の静寂だったらしい。もちろん、全ての静寂がそうだということではないが(深夜のものも、雨の中のものも、騒音の中の静寂もある)、しっくりくるのは夜明けのふたつかみっつ…の手前辺りに静かに横たわっている静寂のことのようだ。
「世界の大半の人が起きる前に」このタイトルは少し変遷を辿っている。世界の大半が起きる前に→世界の大半の人が起きる前に→この世界の大半の人が起きる前に→わたしの世界の大半の人が起きる前に→世界の大半の人が起きる前に、と移り変わった。どんどん説明臭くなっていき最後に少し引き返している。書いてみた途端に普通とか正解とかが気になってしまったからと言うのが正直な理由で、気になるところを言葉にすればするほど説明っぽくなってしまい、ギリギリニュアンスが消えないところを探したら今付けているタイトルに落ち着いた。正解とか普通が気になってしまった理由は、そもそも地球の裏側では(裏まで行かなくても1/4くらいでも多分十分に)たくさん人が起きているのだろうし、そもそも起きているってどの状態のことをさすのかでも変わってくるし、さらにそもそも生きているのって人だけじゃないし、世界の境界線ってどこにあるんだという話だからだ。'そもそも'がわたしに正解とか普通とかを不躾に押し付けてくる。ただ、わたしとしては今ここにいる自分と、静寂の先には今日という日があるのだなぁという感覚が静かに横たわっていて、かといって世界に人の気配が全くないわけではなく、或る意味ではもう今日という日の終わりは決まっているのかもしれないけど、それを今ここにいるわたしが新しく生み出すのだと思うと不自由な自由を感じて、または自由な不自由を感じて、そんなことを感じているとは今ここに言葉として紡いでみるまで思いもしなかったのだが思いもしなかった割には思ったよりもすらすらと想像以上にそのままの言葉が紡がれて、頭が透明な日はまだ続いているのかと思った。
長すぎるくらい長々と書いてしまったが、つまり、「今日という日がはじまる前に」、というのがニュアンスとしてはしっくりくるなぁと思った。でも、noteのタイトルとしては「この世界の大半が起きる前に」のほうが少しだけものがたりチックな雰囲気があってよいなと思うので、たぶん「今日という日がはじまる前に」というタイトルは最初には浮かばなかったのだと思った。わたしは自分のこういうセンスが実は結構すきだったりする。もっと素直でいいかもだけど(好き、とか。うん、好き、だな。)。一人称でnoteを書いているし登場人物もわたしも世界なのに、なんだか世界を置き去りにして謎に自分と親密な空気を出してしまった(それもわたしだなと思ったのでそのまま消さないでおく)。
こうしている間にも、少しずつ少しずつ、今日いう日の気配や輪郭が濃くなっていく。さてと。わたしはこの朝の時間を、どう過ごしたいのだろう。この時間に起きたのが久しぶりでよくわからない。とりあえず '何もしたくない' ので、何かしたくなるまではぼーっとしていようかな。そう決めてみた瞬間、身体が勝手に動き出そうものならその流れに委ねようと思う。ちなみに「さてと」という音は「ぽてと」みたいでかわいい。
みなさま、今日も今日という好日を。
2024/03/09 (73/366)
よろしければサポートお願いします!!!いただいたサポートは、必ず循環させていきます!!!