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「決める」 2024/08/07 -2

逃げられる間は人は逃げてしまうのかもしれない。
逆をいうと、人は逃げられないと"わかる"と逃げなくなるのかもしれない。だって、逃げられないから。その選択肢を選んでいられなくなるから、選ばなくなるし、選ばなくなるから、選択肢のなかに上らなくなる。

逃げている場合ではなくなる、に近い。とか書いているけど、わたしだって逃げている。頭の中で・・・・まだ逃げておけるものについては全力で逃げている。でも、逃げられないものについては逃げないと決めている。決められるようになった。そもそも、自分が決めているのだけど、自分が・・・決めているのでは無いのだ。選択肢などない。そもそも与えられていない。与えられていないのではなく、わたしが与えたくないのだろうとも思う。たぶん、今世を生き切ることにフルコミットしているから。

なんか言葉にしてみるとめちゃくちゃカッコイイことを書いているけど、実際はそんなにカッコよくはない。いつだってぎゃーぎゃーいっているし、怖いことはいっぱいあるし、委ねるに天秤が傾いているから大丈夫になっている(というか手放さざるを得ない)だけであって、そしてもうそこを考えることに意味が無いので考えないだけであって、ひとつひとつ丁寧に観察していったらどうしてわたしは生活できているのか正直よくわからない。ただ、自分であるを表現してはいる。そこに矛盾がないように、今できる全てをかけてはいる。でも至らないところはあるし、まだまだなことはわかっている。でもやるしかないからやっている。とどのつまりはそれだけなのだ。

一朝一夕に辿り着いた訳ではない。でも積み重ねてきたからここにいる。それだけは確かで、これはきっと全ての人に当てはまることだと思う。自分の最前線で、前を向き続けたことは間違いない。それがときに間違っていたとしても、その間違えるを全力でやってきて良かったと思っている。

逃げない方が楽しい。もっというと、自分からは逃げない方が楽しい。これは間違いないことで、でもそうしたいと思っていても怖くなったり、無意識に避けたり、挑んでいるつもりが逃げていたりする。そんなときは、自分の前を歩いている人に相談することだ。そういう人は1人でなくてよい。自分よりも前だったり、隣だったり、遥か向こうだったりする場所にいるその人(たち)に、その場所から、忖度なしに自分を見てもらうこと。それが、ただのわたしをみるための方法。見てもらうときの注意は、そのまま聴くこと。そのままを意識しても、自分の中にある不分離の枠によって受け取れたり受け取れなかったりする。でも、それを踏まえた上で、そのまま受け取ってみること。そうすることで、そのときにもらったことが少しずつ自分の中に浸透していくから。

雨垂れ石を穿つ。自分の中でそれが満ちたとき、きっと他者の声がわたしの声であったと、その雨は自分の内側の潤いであったと、わかるのだと思う。

決める。それは自分で決めているようで、元々あったもの、与えられているもの、そうでしかないものを受け取っていくこと。能動的であるようで、限りなく受動的な行為だ。かつて決めること大っ嫌いだったわたしは、今は「決める」をそう捉えている。決めるんじゃない、決まってしまうんだ、と。「それを受け取る」と決める決めているだけなんだと。



2024/08/07 -2(182/366)

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