特にない 2024/08/27
全国民の8割以上が何某かの方法で触れたのではないかと思われる藤井風くんのstadium liveを、漏れなく全国民に含まれるわたしもYouTubeで観た。
体調が激悪く(地味に激悪いのだということに今頃気がついた08/27のam01:30)、意識が虚ろな中、YouTubeを観たり(映像を)観なかったりbackground再生したりしていた(YouTube Premium入っててよかったと思った)。
そしてメンタルが落ち込んでいる、というかネガティブがこれでもか!と出てきていたときにnoteを少し書いて(書きさしのnote)、でもなんか違うと思って途中でやめて、そしたらまた寝ていて、気が付いたら23:10になっていた。水も何も無くてこれはどうしても買い物に行かねばならず、ひとり暮らしの切なさをぼーっとする頭の片隅で(いやむしろ真ん中で?)、考えられないのに何かを考えながら買い物に行った。何も考えずにいればいいのにそれはできなかった。考えている内容なんて無いに等しいのに。
そこから帰ってきて、とりあえずなにかお腹に入れた方が身体に良さそうだとご飯を食べて、すぐに寝たいけど寝れそうにないので録画していたドラマを観た。
「海のはじまり」というタイトルのそのドラマは、今クール観ている唯一のドラマで、普段感じないことにしていたり感じずにいてしまう不必要な不器用さを感じずにはいられないドラマで、わたしは勝手に過剰に心を抉られながら毎週地味に楽しみに観ている。先週は色々あって家にいないことがおおかったので、先週の録画は昨日(一昨日)と今日(昨日)で観て、今日(昨日)の放送を楽しみにしていたのでそれを観ようとしたら、どうやら主演の彼が体調不良により撮影ができなかったとかで、スビンオフの特別編と称して「恋のおしまい」というストーリーが放送されていたので、「ふーん」と思ってそのままそれを観た(特別編が放送されることになった理由は再生する前にさらっと調べた)。
先週の続きを観たいと思っていたからガッカリしたのは最初だけで、見終わるころには「(これを放送してくれて心から)ありがとう・・・」という気持ちになっていた。何回も録画を止めては自分の内側から出てくる感情に寄り添った。気が付いたら今になっていた(だからam01:30⇒ちなみに今は01:41になったところ)。
そして、藤井風くんのstadium liveで気になった「特にない」という曲の歌詞をもう1度見直した。特にない。何もない。何もなくていい。大義名分とか、決まりとか、ちゃんととか、責任とか、のびたまごとか、そういうのどうでもいいのだなと思った。特に、のびたまごをどうでもいいと思えたのは大きい気がした。そう思ってもわたしはのびたまごであることに変わりはないし、これからものびたまごしていくと思うけど、でもきっとそれは今日までと今日以降で違うのではないかと思った。し、ここには違っていてくれという願いも篭っている。
風のように生きる。でも風でなくてもいい。風が吹いてなくてもいい。凪でもいい。ときには嵐でもいい。何が良くて、何が悪いとかそういうことではない。風は風で、でも風でなくて、でもどこまでも風で、吹いていても吹かなくても風は風だ。
つまり、
わたしは、わたしであろうとしすぎるのかもしれない。
でも、きっと、わたしはわたしであろうとしたところから、わたしではなくなっていくのだと思った。
何も無いところに、これ以上ないトラップがある。
ありのままの自分とか、自分であるとか、悲しいことに(誰が、何が悲しいんだろう)そんな言葉すら、わたしをわたしにしばりつける枷になる。わたしをわたしにするための、解放するための、自由になるための言葉が、わたしをわたしから遠ざけ、縛り付け、束縛する言葉になっている。
わたしとは誰か。
その答えは、というか問いも答えもどちらも「わたし」でしかない究極のシンプルな問答は、これよりも難しいことは何も無い究極の難問である。でも、難しく考えなければそこに既に答えが書いてあるのだから、実は問いですらなかったりするともいえる。だからこそ難しいのだし、そこには哲学がある。でも、何も無くてもいいのだと思った。素人が、とてつもなく乱暴だけど、そんなことを思った。
わたしは、わたしに囚われている。
誰よりも何よりも、このわたしに囚われている。
そう思った。
そしてこれは、わたしをわたしから解放するための魔法で、わたしにとってのパンドラの箱の中身だと思った。
意識は依然として朦朧としている。書き始めたときよりもぼーっとしていて、画面ももうぼやけて良く見えていない。でも、ここに書いたことはこの上なく焦点が合っていて、だからわたしはこれを書いてよかったと思っている。考えていることは、この他には特にない。
特にないという非凡に徹することが、わたしの輪郭をわたしにするということ。でもそう思った瞬間また囚われていくから、一瞬前の過去に囚われず軽やかにその狭間を縫っていくこと。
どんなときもわたしを捕らえるのはわたしだということ。そのことだけは、忘れずに覚えていようと思った。
2024/08/27 (193/366)
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