「居た堪れない」と一緒にいる
いたたまれない。
ここんとこ、自分で自分に対して1番よく使っていた言葉。
今はちょっと抜けたので使っていないが、たぶんそれはある一定の定期をもってやってくる可能性があるので、今の記録として書き留めておく。ちなみに、定期、と書いたが今のところ定期かは不明。
いたたまれない、と言っている自分をすこし客観視できたとき、そもそもいたたまれないってどんな字を書くんだ?と思った。そもそもの定義を知りたいと思った。居るに耐えられない、みたいな意味だろうなとは何となく思ったけど、こういうときわたしは言葉について一旦感じるままに想像してみて、そのあとで一応辞典を確認する。
ちなみに、対義語が「居心地がいい」であるというのをみて、なるほどなぁと思った。
だからこそ尚更なのかもしれないが、「いたたまれない」気持ちとちゃんといることで、「いたたまれない」と同居することができるようになったというか、ホントの意味で「居心地がいい」と感じられるようになったんだと思った。
「居心地がいい」ということの本当の意味は、「今ここにある気持ち(存在)に居場所を与えること」なんだろうなと思う。それ{ここにある気持ち(存在)}があることでこんなに居心地悪くなっているわたし(の気持ちの中)に、その自分に至る原因となったそのある気持ち(存在)の居場所を与える。判断しない、NOを言わない、異物として排除しようとしない、その全てを包み込む。つまりは、1人でどうにかしようとしない、と いうこと。
わたしとってこの感覚をみつけられたことは本当に大きい。あとから振り返った時に、必ずあの時人生が変わったと思うに違いない。既にそう思っているので確信があるというか。
だからこそ、「いたたまれない」という気持ちと一緒にいた(いることができた)時間を、わたしは絶対に忘れない。
・・・渦中のときは「居た堪れない」としか思えなくて逃げたかったその感情のおかげで、わたしはものすごく変わった。セカイの面積が拡がって、世界が味方になって、わたしもまた、味方になった。
※ この辺の感覚については、こちらで少し触れています。
たくさんのいたたまれなさと、そのいたたまれなさと一緒にいれた体験は、わたしのこと大きく変えた。さっきも書いたけど、人生(人生観も)がきっと変わったと思う。
この先どうなるのかはよくわからないけど、太陽蟹座の間は意識して少しじわじわしてみる時間を持ちたい(蟹8hのため)。
おしまい。