こたえのさきにあるものと、さらにそのさき
今日は、自分の核心に迫る日だと何となくわかっていて、昨日から観たかったけど観てなかった配信を2つ観て、何だかやけに冷静にそこに辿り着いた。
自分でカード引いてメッセージもらったり、それをTwitterにあげたりしてるけど、それは同時に全部自分が受け取らせてもらっているメッセージでもある。その時は意識飛んでますけどw
で、今日のメッセージ。
天秤座は、《きちんと受け取る》。
こちらは寝る前に書いたツイート。
これまで、ルノルマンカードは使ったことがなかったんですよね。これもある意味、導かれた的な要素もある...気がする。
で、朝(なう)。
自分の中に出てきた《答え》を書きます。
問いは、カードからのメッセージ。
Twitterに書こうとしたのでエッセンス飲みしかないですが、この方がぶれない気がするからそのまま貼り付けます(長くなったので呟くのやめたというのも実は少しあります)。
『わたしはその人が出した答えとかにはあんま興味がない。
その表れに何が秘められているのか、どういう心の葛藤の末の今なのか、何によってその人が出来ているのかが気になるし、知りたい。理解できるとは思っていないし、しなくてもいい気がする。でも知りたい。だって、知らないと、わたしの見解でジャッジしてしまうから。それが嫌だから相手を知りたい。わたしの思考を一切挟まず、その人の思考や体感覚を持ってそのままのその人を見たい。相手を知りたいとき、自分という存在は邪魔でしかない。だから全部消します。』
これがわたしの解で、想いで、芯らしい。
また気付いたら変わるかもだけど(そんなにめちゃくちゃ、大きく揺らぐことはないと思いますが)。
ここからはこの解に至った理由を書きますね。
ご興味ある方はどうぞ(^^)
自分を消したい理由は、自分を相手に染めたいかららしい。
ここでいう相手とは人には限りませんので悪しからず。環境、会社、家族、国、文化、世界観、何でも当てはまる。
条件は、自分以外であること。
でも、わたしはずっと自分の中にたくさん自分以外をいれてきていて(だってそれが質だから、相手で自分を置き換えるという質)、自分がわからなくなっていたので、ここ10年くらいは自分という感覚を取り戻すために死ぬ気で頑張ってきたんです。
自分の中にあった固定概念をぶち壊すために、まず外に助けを求めた。自分だけで解決するのを手放して、学びに行った。そこでロジックから壊したら、感情を抑圧しすぎて何も感じなくなっている自分に気付いた。こう思った方がいい、という思考と過去データからその場にあった感情を答えとして差し出す生活に心底嫌悪感がした。自分のことがこんなにも分からなくなるわたしってなんなんだ。心底怒りが湧いてきて、同時に悲しくて涙が止まらなかった。蔑ろにした、見捨てた、置き去りにした。そう思ったから、自分自身の感情の発掘からやり直しました。そしたら次は、自分が生きるため愛されるため、居場所を獲得するための最善策がそれだったんだとわかった。幼い自分が自分への決め事としてそれを選択したのであれば、受け容れるしかないと思ったし、これからは両方を視野に入れて、今のわたしで選択していこうと思った。
そして、そこから数年たって、わたしは次にまたその自分を必死に消す作業に入ることになる。その始まりは2017後半~2018年前半で、ここから苦悩の日々は続いて(丁度土星の3年間的な感じでしたけどね)、今に至ります。
最後急に端折ったのは、今はそこはいいかなと思ったからで、また機会があれば書くかもしれません。
で、結論。
ずっと扱いきれず弄んできた自分を空にできる能力(?)は、今はとても気に入ってます。
相手(などなど)にめちゃくちゃ興味があるし、全く興味がないともいえる。
対象の中に流れている方程式、構成成分、聴こえてくる音、そのまわりにある不文律や、粒子の流れ...その全体性というか、そこにただあるもの。流れている音。それに興味があるということなのかもしれない。
そして、それがわかったら、わたしはこれからどういう展開をしていくのだろう。楽しみな反面、そこはやはり不安なんかもあったりして、そういういい意味で素直に怖がれる自分は結構いいなと思う。
ちなみに、この感覚は、リリスの感覚な気がします(自分アンドロイド感覚=自分にとってのタブーの感覚)。水瓶座なので、リリス。
これはまた別に書きます(たぶん)。一応、まだ仮説なので。
ゆじさんの今日の星しらべとも符号するかな。
残ったのは、ここに書いたような事だった、ということで。
なんか、靄が晴れた気分です。
今日の最大の仕事は終わった気がする😊
今日もいい日になります(ように)!