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倦まず 弛まず 2024/10/23

父が、「致知ちち」という月刊誌を購読している。
大変興味深く観察しており(本も、父がその本を読むことも)、たまに読ませてもらっている。

仕事をやめて休んでいるときは、脳の機能がだいぶ回復してからではあるがバックナンバーを何冊も読ませてもらっていたし、届いたものを一通りを目を通してすぐ貸してくれてもいた。もう3年と少し前になる。書いてみて、想像以上に時間が過ぎていることに驚いた。

わたしの父は、結構哲学的な思考の持ち主で、学生のときの話しを聞いていても枚挙に暇がないほどである。さすが、わたしの父!といいたいところであるが、恐らく周りから見たら(父とわたし以外の家族から見ても)、この父にしてこの子ありといったところであろう。

家の中で父とそういう話をするのはわたしだけで、そういう話をするときの父をわたしはとても好きだ。子どもの頃から、そういう知識や知恵、問いかけをしてきてくれたおかげで、わたしは生意気ながらも博識というか、その年齢にしては変なところの見識の広い子に育ったのではないかと思っている。

特に、仕事や作業をするときの頭の使い方や気の回し方については、子どもの頃から大いに研鑽を積ませてもらったので、成長とともにとても役に立った。一応伝えたことはあると思うが、本当に感謝している。

今日は、誕生日を両親が祝ってくれるというありがたい日で、実家に帰ってきたら父の部屋に置いてあった「致知」のバックナンバーが目に付いた。それが、その号の特集タイトルであり、わたしがこのnoteのタイトルにした『まず たゆまず』という言葉だったというわけ。

「倦まず」は「飽きない」、「弛まず」は「心をゆるめない」ということである。1つのことを始めたら途中でいやになって投げ出したりしない。孜々ししとして努力を続ける。その大事さを説いている。人間の心が陥りやすい通弊を戒めた言葉と言える。

『論語』の子路しろ編にこういう有名な言葉がある。

子路 まつりごとを問う
子曰く 之に先んじ之を労す(先之労之)
益を請う 倦むことなかれ(無倦)

弟子の子路が政治の心得を尋ねた。孔子が「皆より先に苦労をし、皆をねぎらってやることだ」と答えた。この答えに満足しなかった子路が「もっと他にありませんか」と聞くと、孔子はこう言った。「無倦──飽きることなく続けることだ」

「致知」電子版 2024年5月号

まず たゆまず」。
音の響から既にそうであると受け取っていたが、ここまでの記事を読んで改めて今のわたしに必要な言葉だったと有難く受け取っている。

続きは、父に致知をかりて、紙の雑誌で読もうと思う。
(ありがとう、お父さん!)




2024/10/23 (240/366)



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