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same but different③ 2024/10/17 -3

same but different
同じで、違う。

同じタイトルで、いくつかnoteを書いてみたくなった。
なぜなら、おなじで違うサムネイルに出逢い、どれにするかを決めきれなかったからだ。




同じで、違う。

ここまでは、前のnoteと同じ。

でも、ここからは違うことを書く。
でも、たぶん同じだということを書く。

違う、というのは回り回ってやはり同じなのだろうという結論に至りつつある。

というか、そもそも、この論議自体が恐らく意味の無いものなのだ。なので、そもそも、どんな結論に至ろうが、このnote自体が最早ある意味における茶番なのだ。

そんなことはわかっている。
最もらしく言の葉を並べてみたところで、そこにあるのはある意味どこまでも空虚なものだ。
言葉は伝わって初めて意味をなすもので、わたしが頑張って言語化したところで、誰にも読んでもらえなければ意味が無い。

そして、ここにもまた同じで違うがある。
誰にも読んでもらえなければ、と書いたが、わたしがこれを読んでいる。
書きながら読んでいる。
そして、読みながら書いている。
書くだけ、読むだけ、というのは厳密には不可能というか不可分で、それは限りなく緻密に同時に発生している。
また、同じで違うことが増えた。
書くと読むは、同じで違う。
全く違う行為でありながら不可分で、同時にどこまでも等しく自己表現である。

何だかとても満足した。
繰り返したい。

全く違う行為でありながら不可分で、同時にどこまでも等しく自己表現である。

これは、わたしであるということと、わたしを生きるということの間で等しく起こっていることだ。

つまり、全てのことは全く違う行為でありながら不可分で、同時にどこまでも等しくそうであるということなのだと思う。

だから、何かができていないから何かでは無いという理論は役に立たない。役に立たないというか、最早意味を持たない。
なぜなら、表面上なんの繋がりもないようにみえる全く違うそれらは、実は全く同じものだからだ。

ということで、ここまで同じで違うnoteを3本書いたが、それはすべて牡羊座満月のメッセージだあるようだ。今書いたことがそのまま当てはまっていて面白い。

また続きを書くかもしれないが、一旦ここまで。



2024/10/17 -3 (231/366)

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