“攻撃は最大の防御”の呪い
大層なタイトルに見えるかもしれないですが、別に本当に呪い云々の話を書きたい訳ではありません。
なんか、ふと、「傷つきたくないなぁ」と思ったもので。
そりゃそうだよなぁ。どうした、そんな素直になって( ๐_๐)と、自分でびっくりしてしまった(自分に失礼ですけどね)。
でも、その割には、わたしって普段は自分から傷付きにいってるよなぁと思ったんですよね。で、それは何でだろうとふわふわと考えていたら、「攻撃は最大の防御」だからというのが出てきたわけです。
で、あ、これって恩恵...じゃなくて、その逆(意味は真逆だけど芯にあるものはおなじで、副作用・副産物的なこと)だなぁと思い、ググッたところ「損害」「呪い」「仇」とかが出てきたので、なるほど『呪い』が1番ニュアンス的に近いかなということで、☝︎のようなタイトルになりました。
最近受けたシータヒーリングのセッションでも、前線で戦う戦士のわたしが出てきたりしていて、あ、繋がってる、と思ったのでnoteに書いておくことにしました。ちなみに、このとき出てきたのは男性だったらしいです。他に自分で見たのは女戦士だった時もあるし(2つ知っている)、別の知り合いにも女戦士の過去世は言われたことがあり、どうやら戦士の過去世はたくさんあるらしい。
どんだけ戦うんだ、私😇
そんなわたしは今世でもしっかり戦っていまして。いや、武器は持ってないけど、いろいろと。今世は、外で戦うのはもちろんのこと、内面での戦いも相当あるので、内外両方の戦いを担っているようですね🥲(みんな多かれ少なかれあるとは思いますが)
わたしは、ずっと自分と戦ってきているという自覚はあって、それは少しずつではあるけど緩んだかなという気がしているのですが、そしたら次は外に戦いに行かせていたりして...結局戦っているんだなぁと思うと、なんだか悲しい気持ちになります。
そんなに戦わなくてもいいじゃない。
そんなに傷付きにいかなくてもいいじゃない。
そう思ったときに、「でも、その方がましなんだもん」みたいなことがふと出てきたんですよね。「傷付きたくない」から何もしないでいるのではなく、あえて傷付くことを厭わないことで、自分を守っている。
・・・つまり、攻撃は最大の防御を地でいっている、と。
どっちみち傷付くなら、傷付きにいく。...というのが、どうやら過去世でも今世でもわたしのスタンスのようです。
ただ、最近は、とにかく傷付きたくないが実はそんな自分のことを上回っていて、「傷付かないように」を第1選択にして決めていたことがいろいろとあったことがここにきて明るみにではじめて、またまたビックリしました。
「傷付きたくない」を第1選択にすると、たくさん歪みが生じるから、結果として行きたい場所には行けなくなる。でも、それは自分が選んだ結果だから、仕方ないと思うようになる。でも、その仕方ないは実は間違っていて、本当はただ純粋にしたいことをする、という選択をしたらいいだけなのだと思う。じゃあ、同じように行き詰ったり、仕方がないと思うことが出てきても、「傷付きたくない」を第1選択にしたときと比べて、仕方がないの種類が違う気がする。
どっちを選ぶかは自分次第だけど、傷付く覚悟がある方がいいなと思った。傷を癒せる自分であるという信頼と、自分だけではできないときに助けてもらう(癒してもらう)人がいるという周りへの信頼。このふたつがあるのとないのとで、全然自分の在り方が変わってくる。
とかなんとか言って、カッコつけてみたところで(本心ですけど)ほんとはめちゃくちゃ怖がりで傷付きたくなくて、すぐに泣いちゃう泣き虫で弱虫なのがわたしの本質なので、普段は相当分厚い鎧を着ているんだろうと思います。着ないといられないというか。
そうやって頑張って自分を守りつつ、でもしたいことをするためには傷付きたくない自分を超えて、傷付きながら進むしかない。傷付いたら癒すを繰り返すしかない。なんか、もうそれしかないんだな、と急にしみじみ思いました。
ちゃんと失恋するのが大事、とよくいいますし、わたしもそう思います。それと同じで、ちゃんと傷付いて、涙を流して、その事実を受け入れて、そして前に進むことが、変に回り道して横道に逸れて行くよりもいいなって、やっと思えるようになりました。
ということで、まだまだ片付けと自分整理の時間は続きます。これまでの横道分があるので🥲
でも、その先で必ず待ってくれている、また知らないわたしと合流するためにも、今度こそ地道に頑張ります。
おしまい。