#01-05 「えがく未来」
みなさま、こんにちは。
のびたまごです。
1月11日からはじめた、あゆみさんとの往復書簡。
わたしの番の3回目(厳密には2回目)です。
☟前回のあゆみさんのnoteはこちら。
最後、わたしが前回受け取った彼女からのテーマに文章が帰結していて、なんだか不思議なloopの中に入らせてもらったような、不思議な浮遊感を感じました。
空間って、全体で、どこまでも広がっているものだけど、同時にある条件によって、閉じてもいると思うのですよね。
ああ、そうか。
この「空間」というものの形や有限・無限についても、いつか話してみたいなぁ。
話が脱線しそうなので、この辺で元に戻しますね。
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今回のテーマ
ということで本題に。
今回のテーマは、こちら。
ほうほう!
未来とな。
了解です(*`・ω・)ゞ
ふと検索してみたら
なんとなく、ひらがなで提示されてるのが気になり、何気なく「えがく」と入力し、ポチ、としてみた。
そしたら、こんなに言葉が出てきた。
なるほど、単に「えがく」といっても、英単語にするとこんなに言葉があるようだ。これはものすごい発見だった👀🔍✨✨✨
何気にテンションが上がった⤴︎⤴✨
ちなみに、小説などで深層心理を“描く”ときは、depictを使うらしい。
ちなみに、わたしが愛してやまない(心が魅かれてたまらない)場所である砂漠はdesert。もしかして載ってる…?とページをスクロールしてみると…ありました。
(他にもいろいろ楽しいのでぜひこちら見て見てください!わたしは大の語源好きなので、わくわく拝見しました。もちろんブックマークしました𓀤✨)
その言葉を目にした途端、彼女の心臓は文字通り早鐘を打ち始めた。…と、謎に小説ふうな表現をしてみましたが(何となく流れで)、本当にここまでの気付き?点?の流れが完璧で、ビックリしました。
それは、この言葉をみて、自分にとっての「えがく未来」、自分にとっての「えがく」が何かがわかったからです。
なので、とりあえず今思ったことを書いておこう的に書き始めたこのnote(お題に対する返信)ですが、もう一気に書けてしまいそうなので、かける所までとりあえず書いてしまうことにしました。
書き終わったらupするし、止まったらそこで寝かせます(*_ _)zzZ
ということで、続きを。
「えがく未来」
未来。それは結んでいくもの。
それが、わたしの中にすっと現れた「えがく未来」に対する答え。答えなのかどうかは分からない。ただ、わたしにとってのそれは、何かを結んでいった先にあるものでもあり、自分が結びたいものをイメージして繋いでいったさきに思い描かれるものかもしれないということ。
また、えがかれた未来というものがわたしの中には同時(だけど別のところ)に存在しているということも(が?)わかった。
このあたりのことは(地味に話が戻ってしまいますが)、冒頭部で少し触れた「空間」の話ともつながっています。
「えがかれた未来」
俄には信じてもらえないかもしれないけど、わたしには勝手に浮かんでしまう未来というのがある(見えると表現されることと同じだと思っている)。
それは、五感を通して体感としてやってくる。特に視覚、そして聴覚がわたしは強いと思っていて、あとは見えない感覚(そもそも感覚とは全て目には見えないかもしれないけど)が強い、と思う。わかるという感じ。ただ、全部が全部(大体全部ってなんだ?)はわからなくて、まだまだ修行 兼 検証 兼 考察?などなどの最中なんだけど、その感覚でふいに閃く(もしくは受け取る)ビジョンがあるのですね。
そして、そのビジョンは必ず現実になる、というとちょっと怪しいけど、でも本当にそんな感じ。これは自分の中ではだいぶ確証が得られてきていて(というかこの書き方をわたしがするときはほぼ確実に確証があるのです、こういう検証的な話をするときにはまず100%はないから、濁したいだけです)、だから、現実になるんですけど、それはものすごく簡単に言うと、時々未来のある時点にチャンネル(チューニング)が合ってしまう、ということだと思っている。
見えた(チューニングできた)ということはその未来は存在している。そもそもパラレルワールドだから、人の想像する全ては創造できるし存在すると思うけど、その中でも限りなくリアルになる可能性が高いところ(リアルになった未来の時点)にチャンネルが合う、ということがおこる。
ちなみにこの感覚は過去世的なところに使うと、過去世とかの感覚は掴めます(ビジョンが見えることもある)。←使いこなせるようになりたい。使いこなせるようになるのかはわかりませんけど。
長々と書いてしまいましたが、つまりは上記のような感覚があるので、「えがく未来」と「えがかれる未来」を分けて話をしないと、話がこんがらがるなと思いまして、先にこのことを書きました。
もういちど「えがく未来」を
ということで、「えがく未来」の方の話に戻ります。
と、さっき書きました。
そして、わたしの中に、未来というあるタイミングと今を結んでいるタイムラインが2つあるということについても書きました。
だからこそ、わたしは悩んでいたときがあったし、今も時々そっちに引っ張られる。自分が創りたい未来が見えないとき、それはつまり「えがく未来」が明確でないとき、結びたいものがわからない・見つからない・自分には無いと思っているとき。
・・・そんなときは、見えた未来に行く方が楽だ(タイムリーに見えればの話 )。
だから、見えるまで待ってしまう、ということが起こるし、そうしたくなってしまう。失敗したくないし、傷つきたくないし、そもそも、何をしていいかもわからないんだから、そりゃそうだよなといえばそうなんだけど。でも、実は、そんなときほど見えない。見る気がないし、結ぶ気もないし、結ぶものもないと思ってるんだから当たり前かもしれない。
でも、難しいのは、そういうときでもわかるときはわかるということ。だから、今がしんどいなら足掻くことはしなくても、ヒントがくる…かもしれないのだ。他の誰でもない、自分自身から。
それが1番難しい(難しかった)ともいえる。
逃げる理由がある。逃げていることが正当化できるだけの根拠もある。だから、逃げではないと思い込むことはできる。ただ、本当のところがどうなのかは、自分の奥の奥の奥では、自分はハッキリとわかっているのですけどね。
自らえがく
だから、《自らえがく》ということを、ある意味放棄しがちな状態で生きてきたところがわたしにはある。
また、それと同時に、禁じてきてもいたのかもしれない。
待っていればわかる(厳密にはわかるかもしれない)のに、わざわざ違うことをするなんて、意味ないじゃないか、と。
正しいことだけをすればいい。余計なことはしたくない。その正しさがわかる力があるんだから、それだけすればいい。それが自分を生きることだと。
でも、結論からするとそれは100パーセント正しくはない、ということがわかってきていて。
ただ、まだまだ未熟だった当時のわたしには、その違いが見い出せなかった。
それは、他人軸と自分軸の境界線が不明瞭だったということでもあるし、自分を知らなかったということでもあるし、自分(とその感覚)に自信がなかったということの裏返しでもある。いや、裏なのかな?裏のつもりが表かもしれない。
つまり、の結論
今の時点での答えは?と自分に問いかけたところで、唐突に理解しました(この話どうなるんだと思って問いかけてみたのにびっくり)。
上で述べた、2つのタイムラインを結ぶことが、わたしにとっての「えがく未来」であり、それは自分と自分との橋渡しでもあったということ。
そして、「えがく」は、今まさに直面していて、創り出していっている(その練習・訓練をしている)のだとわかりました。
On your Mark。
このnoteを書くことを通して、自分が今どの“位置について”いるのかが、よくわかりました。
お礼とさいごに
本当に、ありがとうございます。
いつもだけど、今回もまたものすごいお題をいただいたのだな、と改めて。
最初に、彼女のnoteが彼女の出したお題に帰結していて、と書いたけど、わたしも今回のnoteを通してまた、「素の自分」または「自分にかえる」を体感・再現している。
参った、参りました。
何にって、これを宇宙の采配と言わずして、なんというのだろうと思ったから。すごいな。すごい。すごいです。(←今ここでクレヨンしんちゃんのある映画の1場面が浮かんだ方!同士ですね!)
※ またまたちょこっと検索したら、こんなnoteを書いておられる方が!
はー、今回は自分の中のテンションの上がり下がり(下がってはないか)と、ここに書いたことのリズムと、過去現在未来の繋がり、結びのリズムがとても心地よく、楽しかったな。
なんだかまとまってるようでまとまってない気もするのですが、ここまで読んでくださった方、ありがとうございました!!
あゆみさん、今回も素晴らしいテーマをありがとう☺️🙏🏻🌅✨
ということで、次回のテーマは、「クレヨンしんちゃんにまつわる何か」です。これもなにか意味がある…のかも?!
よろしくお願いいたしますm(*_ _)m
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