小説を読む❷多分まだ続く 2024/11/04 -2
小川糸さんの新刊『小鳥とリムジン』を読んでいる。
今、2/5くらい読んだと思う。自分が想定していた(何を想定していたんだろうね)内容とのギャップに、色々と心を抉られながら読み進めている。
1つ前のnoteに、こういう風に書いた。
なので、内容がどうであれ、今の自分のことを色んな角度から照らし出してくれて大変ありがたい気持ちになっている。日常の中の丁寧さが描かれていて、同じ気持ちになれるのは小説の醍醐味だが、小川さんの言葉は本当にそのままそれを感じられるというか、自然に同調できるので心の負担が少ない。でも、同時に無意識に深いところまで滑り込んでくるので、負担が少ないと思っていたらあとからずーんと効いていることも多い。
この、何気ない日常の中の出来事が自分自身に及ぼす影響というか、小説を読んで起こっていることって、普段起こっていることと実は同じだったりする。だから、小説を読むということは、自分自身をみることで、だから本は鏡で、今のわたしがそのまま、顕著に映し出される。
まさにそのままのことが今も起こっていて(頭の中でコブクロの「轍」が流れている)、これまで、"ずっと触れてきたけど、だからこそ逆に触れるに至ってなかったこと" とかが出てきて、正直当惑しながら読んでいるので、なかなか進まない印象もあったが、それは先程の自然な描写により救われていたり、発生と同時に浄化されたりしていて、どうしてなかなか言葉自体がマントラとしての役割を果たしてくれている稀有な小説だと感じた。そして、わたしが好きな小説はきっとこういう小説なのだろうな、と同時に思ったし、さらにいえばそれを同時に理解した。
ということで、一旦ここでおしまい。晩ご飯を食べようっと。そうそう、小川さんの小説が好きな理由、上述の引用の通りなのだが(『生きることから逃げていないこと』)、その中には主人公が食事をするシーンであったり、食べるということの距離感が近いこと(ときにちゃんと遠いこと)にあると思っている。食べることは生きることだから。
2024/11/04 -2(249/366)
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