“素人”だから見えた景色
今年も残り1ヶ月を切りました。
今日は、私が小国士郎さんの本やネット記事や社内研修でのお話を聞いて
思いだした私の宝物のような景色をつらつらと書きます。
吃音症の方向けに何か出来ないか考えてきました。
何か出来ないか考えたいと思ったきっかけはありますが、私は吃音症
当事者ではありません。
吃音症の方や言語聴覚士の方にヒアリングをお願いしていた時
何か出来ないかなと思ってお手伝いさせて頂いた注文に時間がかかるカフェ
常に私は「当事者ではないのに」そんな声が聞こえてくるのではないかと
不安でした。
去年研修を受けていた時に約3か月間にわたり、1週間に1回はヒアリングを依頼させて頂いたYさんがいます。Yさんとは、色々な話をしました。
痛みをすべては分からない苦しみと
分かったふりをしてしまっているのではないかという苦しみ
様々な感情を抱いたのは確かで、何か形に残せたものがある訳ではないが、大事な日々でした。
研修が終わった時にYさんから連絡が来ました。
東京に出張に行くので会いたいと。
そこで伝えられた言葉が、私の宝物です。
私がこれはどうだ、こっちならどうだ、ではこれは?
と問うていたことによって今までYさんの中で縛られていた考えから
解き放たれて症状が気にならなくなったと。
この言葉が嬉しくて嬉しくて。
私が"素人"だからこそ見えた景色なのではないかと思っております。
吃音症というテーマに取り組んでそろそろ1年。
小国さんの研修講義の後に1年前のヒアリングノートの1ページ目を読み返しました。
「素人ならではの違和感」
大事にしていかなければいけないなと思いました。
Yさんには春ぶりに会いに行こうと思っている次第です。
小国さんの言葉の中で私の好きな言葉をお借りして、終わりにしたいと思います。
どれだけ大切なことだったとしても、伝わらなければ、存在しないのと同じ
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