「ぐんぐんぐぐんぐんぐーんぐーん」と延々とうたう人が居た忘年会。
朝、田中からLINEが来ていた。
「今日、Hさんが国立に来るみたいだから、西国分寺か国立で食事しませんか」
と、いう内容。Hさんは私と同年代の山が好きで子煩悩、奥さんがこわい家庭を大切にしている面白い男性だ。そのほかに先生やら、Kんと君やら、久しぶりに会う面々が来るらしい。
そして、いつのまにか自宅の床で寝てしまっていた私は、田中からの電話で目覚めた。飲み会場所は国立市の「さかえや」に決まったとのこと。彼は用件だけ言うと、長電話は面倒という感じで「じゃ」と言ってすぐさま電話を切った。
起きてみると何故か気持ちが悪い。コンビニに寄り、へパリーゼを流し込む。
「さかえや」には、先生、田中、Hさんが勢揃いしていた。後からKんと君も来るらしい。ボランティアで知り合った面々で年齢も20〜40代とさまざまだ。
すでにHさんは歌をうたっていた。
「ぐんぐんぐぐんぐん!ぐんぐんぐぐんぐーんぐーんぐーんぐーんぐーん!」
即興なのかオリジナルなのか既存の曲なのかはわからないが、何やらとても楽しそうで、トイレで中座しても離れた場所から
「ぐん!」
と元気な声が聞こえてきた。
結局、話らしい話はしないまま、Hさんの
「ぐんぐんぐぐんぐん」
を何度も聞いているうちに、話をしない飲み会というのもあるんだなと思い始めた。
「ぐんぐんぐぐんぐん」
が加速していき、ボトルを入れたHさんは
「ぐん!」
と言いながら空に飛んでいくかのような姿勢になった。しかしその合間に後輩たちを褒めようと短い激励の言葉を投げかけてみるが、しかし
「ぐんぐん」
が勝ってしまい、また歌い出すというループを繰り返していた。
その後は公民館隣のたこ焼き屋「三太」に移動。
移動した途端に「さかえや」から
「黒いニット帽子を忘れていかなかったか」
と、親切にも連絡があった。
飲んでいないのは私だけだったので、自転車で「さかえや」までかっ飛ばす。
やはりニット帽子はHさんのものだった。
「三太」でも、特にこれといった話をしないまま時はすぎ、「そろそろ帰ろう」と、その頃にはHさんは田中といつもは泥酔する先生に両脇を抱えられながら駅へと向かう。
Kんと君は
「こんなに楽しいのに万全の体調じゃない自分が悔しいです」
なんて真面目な事を言っていた。
ぐんぐん言っていたHさんはまるで山にでも登ってきたかのような大荷物で、登山用リュックの他に穴のあいた大きなビニール袋を持っていた。
それらをひとまとめにして態勢を立て直しつつ、両脇は若者に抱えられながらHさんは、それはそれは楽しそうにしていた。
結局わたしは次の日も、そしてまたその次の日も、
「ぐんぐん」が耳から離れなかった。あまり喋らなくとも力強い歌(なのか?)だけでその場の時間がすぎさるという2024年年の瀬。
変わらないことをたいせつにしなよ、そんな歌だったのかもしれない。