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顔が長四角になっている気がする

だいぶん前に、美容院の鏡にうつる自分の顔を見ながら、あれ?こんなに顔が四角だったかな?と思いながら、首をかしげていたら、それを見ていた美容師さんに
「どうしました?」と、言われた。
「なんだか顔がこんなに四角だったかな?長四角になった気がしたんですけど……」と言うと、さも普通のことのように
「そうですよ、人間はだんだん筋肉がゆるんで下に下がってくるのでね、だんだん四角になるんです」
……とのこと。ははあ、なるほどなあ。

人間はどんどん老いていくのだ。ずっと今のままではなく、大人の階段をのぼりながら、次々とステージが変わっていく。

老いていく事と、病気をすることは人生の後半に特に大きくのしかかってくる。自分や家族、周囲の関わる人々にもだ。周りの人々には、いつまでも健やかに元気で居て欲しいとおもいながら、願うものが側にあればお地蔵さんや、縁結びや色々な神様に願掛けをしている毎日である。

毎週日曜日はきょうだいの家に母を連れていくのだが、その前に父の散歩に付き合う。側湾症が悪化して随分と骨が曲がってしまい、歩行がいよいよ難しい状況になってきている。歩行器を使って歩くことも痛みをともない辛そうだ。

二世帯住宅の外側の階段にある手すりをつかまり一段いちだん確かめるように降りるが、歪曲してしまった背骨が目立ち痛々しさがある。手を貸そうとすると
「いい!」と機嫌が悪くなるので、声を掛けるタイミングも見計らいながら関わっている。

家族の中で、健康なのは私しか居なくなってしまったのだが、そのぶん何が出来るのだろうと考えながら毎日をすごしている。

ここまで大きくなるまで育てて貰ったので、何にも親孝行が出来ていないぶん、私に出来ることを探したり手伝っていく事が出来たらなと思っている。

地元に「イタリア小僧」というパスタの名店があるが、両親が食べに行った際にテレビの撮影が入っていたらしい。その様子が先日放映された。そこにはまだ姿勢も良くシャッキリと歩く父の姿が写っていた。母を守るように2人で並んで食事をする後ろ姿がなんだか切なく見えた。これは1月末ぐらいのこと。本当にわずかの月日の中で、父の身体は不自由になってしまった。

それを父はただただ残念そうにじっと眺めていた。

変化していきながらそれを受け入れて生きていくのは人間なんだろうが、大変だ。その中でわずかな光を探していこう。そう思いながら、鏡に写る長四角の顔面を今日も眺める。

自然は必ずそこにあるから


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