線路のような交わらないけれどずっと並走している関係
随分と前からの知り合いが居る。知り合いではないか、友人かな。友人の定義がよくわからないが、仲が良いというわけでもなく、遡ると何年も前から知っていて、前の奥さんや、付き合っていた彼女や、喧嘩した男友だちや、色んな関係を遠い場所から何となく「ふ〜ん」というスタンスで私は眺めていた。人あたりは良く見えて、多分初対面とかには強いとは思うが、おへそが曲がってしまっているので、別れた奥さんから貰った財布をずうっと使っていたり、彼女が乗っていた自転車を手離せずに、あてもなく乗っていたりする。「もう、何とも思っていない」と、言いながら区切りをつけられない面があり、使える物は使えなくなるまで使いたい、物持ちが良い(ケチなのかも)
私の事は全く興味が無くて、人にも期待をしていない人なので、理不尽な事をされてもあまり怒らないが、例えばボランティア活動の内容で段取りが少し違っていたり、突発的な何かが起こると怒りを物にぶつけたり、近しい人に対しての態度が物凄く悪くなる。見通しが持てない事に対して不安感が凄くある人だ。
しかし、ある程度距離がある人に対しては凄く丁寧だし、仕事はキチンとこなすのだろうな、という事が活動の様子からも見て取れた。
私が退職した際に丁度ボランティアでパンを作った頃と被っていたタイミングだったので、パン部の皆で国立市のFUKUSUKEに行った。その時に
「あまり仕事と仕事の間は空けない方がいいよ。ずっとゆっくりするって言っていつまでもダラダラしてそうだもん。」と言われた。
「そんな事ない!」と頭にきたが、それを叔母に話すと「あんたの事、よくわかってるじゃない、ありがたいよ、そんな事言ってくれるのは」と言われた。そうなのかな?よくわからないな。
そして、私は予言通りにずっとダラダラしてしまう事になる。(ようやく働き始めたけれども)
向こうは幸せな2度目の結婚と、可愛い赤ちゃんも産まれたので、ボランティア以外で連絡も取っていなかったが、ふとした時にLINEが来て
「働き始めたのか、今どうしてるんだ」と、父親が心配するテンションで送ってきたので、「うるさい」と返信を返した気がする。
先日、映画のエキストラに参加させていただく機会があり、馴染みのFUKUSUKEでの撮影があったのだが、ずっとこの知り合いには黙っており、9月中旬になりLINEで報告も兼ねて連絡をした。
「録音の方に、もう少し声張れますか?って言われたよ」と送ると
「ああ、声張れなそうだなあ。小さそう」
「普段大きな声で通るのになあ、なんでだったんだろ」と私が送ると
「だって君は内弁慶だから」「そういう場では声は小さくなる」という文章が送られてきた。
「声占いか!」と自室で叫んだ。
なんか不意に泣きたくなった。そこまで分かっていたんだな、としみじみとした。
公民館の喫茶店に文豪が居るのだが、その話しをすると「え、内弁慶でした?」と言われた。あまり人にはわからないらしい。
距離もあるし縁があり離れた場所でお互いの人生を俯瞰で見ているが年月の長さというものの得体の知れない何かを感じて、しみじみとした9月。
幸せでいてくれよな!