向原から大塚駅の思い出
昔の大塚台小学校、今の朋有小学校の近くに住んでいました。昭和40年頃の話です。当時、住んでいた家のあたりから、大塚駅まで歩いてみたのですが、ほとんどの店が閉店してしまっています。
春日通沿いの店で覚えているのが、「スーパーママの店」です。自分が小学生の時に開店して、開店サービスとしてプラスチック静のボールを配っていました。自分もガムかなんかを買って、ボールをもらって家に帰ったことを覚えています。プラスチック製ですからダメになることなく、長らく使っていたと思います。
その隣には、中華料理の「東洋軒」がありましたが、かなり前に閉店しています。
同じ中華料理店としては、春日通を渡った角にあった「千葉屋」も最近閉店しました。現在は印象広告という会社になっていますが、中華料理店当時の外観は残っています。
中華料理つながりとしては、ママの店の後くらいに、札幌ラーメンの店がガソリンスタンドの向かい位に開店したことを覚えています。入ったことはないのですが、味噌ラーメンというものを出すらしいという話を聞いて、味噌汁にラーメンが入っているなんてとんでもないと思ったことを覚えています。
その他は、少し池袋よりに行ったところにおもちゃ屋がありました。覚えているのが、月面着陸ゲームを買ってしまったことです。アポロの月着陸でブームになっていたせいだと思います。
簡単なすごろくゲームで、地球から月の周回軌道まで行って、うまく着陸できるマスに止まると着陸できるけど、ダメだと周回軌道を回り続けるというゲームで、たいして面白くないので直ぐに飽きてしまったことを記憶しています。
もう少し、新大塚方面に行ったところには、「大村庵」がありました。店にいったり、出前を取ったりしたものでした。当時は、天ぷらそばは贅沢なので、たぬきそば、きつねそばのどちらかを子供としては頼むべきものでした。
今でも残っているのは、「アサヒ弓具工業」くらいでしょうか? 随分前にテレビで老舗の弓具店として紹介されていました。
いつ頃できたのかは覚えていないのですが、「大王つけ麺」もありました。社会人になってからは結構通った店でした。大王つけ麵は食べたことがなくて、味噌ラーメンとかソース焼きそばを食べていたと思います。
都電の向原から大塚駅の間で覚えているのは、第3プールと呼んでいた空き地?でした。今は、大塚台公園になっています。当時は、半ば壊れかけたプールとその周辺が空き地になっていて、ちょっとした遊び場になっていました。
その他は、皆様の泥棒、泥棒市場とかという雑貨屋ができたことも覚えていますが、現在はマンションになっています。あと、刀剣店も新規にできて、子供心に、こんなところでやっていけるのだろうかと思ったことを覚えていますが、結構長いこと営業していたように思います。現在は閉店しています。
当時に開店して現在までやっているのは、「大松ベーカリー」です。パンを買うと、紙袋に入れてくれて、袋の上部両端を持ってクルクル回して閉じてくれたことを覚えています。今となっては、普通のパン屋ですが、開店当時はとても洒落た店が出来たものだと思ったものでした。
子供の頃にいった店として思い出したのは、大塚台小学校の正門を出て右に行った突き当りの左角にあった文房具屋でした。小さな文房具屋でしたが、ここで少年サンデーを買っていました。
本屋といえば大塚の「大松堂書店」でホームズの文庫本を買ったことを思い出しました。大松堂書店は、まだ営業しているようです。
個人でやっている本屋は結構減っているので、頑張っている店があると少しうれしくなります。
あとは、サンモール商店街にあったお菓子屋には、遠足の前に通ったものでした。ここか、坂下商店街の入り口にあったお菓子屋かどちらかに通っていました。
お菓子屋といえば、いまとなっては何処にあったか思い出せないのですが、もう少し池袋よりにあったお菓子屋を思い出します。母の知り合いの店だったようで、ウルトラセブンの景品があたるガムだかチョコレートで、これを買って御覧と店主に言われて買ったら当たったという経験です。店に仕入れる大箱のなかで当たりが入っている場所が決まっているとかという話を聞いたことを思い出しました。
お菓子屋ということであれば、都電際にあった駄菓子屋の火事で焼けた「みやうち」もありました。駄菓子とか、おでんとか、もんじゃ焼きとかを食べた記憶が残っています。
また、思い出すことがあれば記録していきたいと思います。
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