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ゆるきち閉館に寄せて
本日、2024年3月31日をもって、中高生のオープンスペースゆるきち が閉館するとのこと。
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今後は、拠点のひとつとして場所は残るとのことではあるが、フリースペースとしての運用は、約7年半の歴史に終止符が打たれることになる。
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私がゆるきち事業に直接関わっていたのは、2016年秋の開館準備の頃から2020年春までの約3年半のあいだ。
当時はいわばゆるきち黎明期であり、今ほど家具や家電やゲームが揃っていなかったものの、子どももメンバーも大勢が集まり、常に活気に溢れた素敵な居場所だったことを覚えている。
ちょうどその頃、運営団体であるNPO法人Kacotamは、主たる活動である学び支援事業について、「目前の課題を解決しながら、子どもの『やりたい』を見つけ、カタチにすることができたか」という成果指標を設定した。
学習支援団体であるにも関わらず、「勉強を教えること」ではなく「やりたいことを見つけてカタチにすること」をその本質としたことは、Kacotamの在り方を定義付ける、大きな出来事だった。
「勉強を教えること」は、「目前の課題を解決」に内包される。「勉強する場所」という建て付けで子どもとメンバーが集まり、「その日の課題や勉強内容に向き合う」という名目で子どもとメンバーが共に時間を過ごす。その過程でお互いの信頼関係が生まれ、「やりたいこと」が出てくる。それは「勉強」に関すること(=もっと学びたい!)かもしれないし、勉強とは全く関係のない、「遊んでみたい」や「行ってみたい」かもしれない。極めてカコタムらしい、面白い建付けだと思っている。
一方で、週に1回、数時間程度の勉強会だけでは、「やりたい」を引き出すことも、「やりたい」を叶えることも、十分な時間とは言えないと思う瞬間もあった。
そんなとき、フリースペースとしてゆるきちが開館したことは、個人的には、大きな前進だったと感じている。
普段の学習支援よりも長い時間を、普段とは違った時間の使い方で子どもと過ごすことができる。そこではあらゆる過ごし方が可能であり、小さな「やりたい」はその場ですぐ実現ができるし、中~大規模の「やりたい」も周囲を巻き込んで実現がしやすい環境だった。
私がゆるきちで過ごした3年半のあいだにも、実に多くの「やりたい」が生まれてカタチになっていた。数々のドラマが生まれ、子どもの成長を間近で見ることができた。そうしたひとつひとつの出来事を、私は密かに「小さな奇跡」と呼んでいた。大げさではなく、カコタムがあって、ゆるきちがあって、その日その場にその子とそのメンバーがいたからこそ生まれた、彼ら彼女らの目の輝きであるのだから、それは間違いなく「奇跡」と呼ぶに相応しい出来事だと思っていた。
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時は流れ、2020年。世界を新型感染症の猛威が襲ったころ、私は札幌を離れて本州へ転勤となった。「3密回避」の時代のなかで、ゆるきち運営の進め方も模索が迫られる一方、学びの格差問題はますます広がった。そんなゆるきちにとっての最重要局面において、私は遠い地域から、残ったメンバーの奮闘を応援することしかできなかった。
さらにそこから4年。ようやくアフターコロナの時代となり、ゆるきちに来る子どもたちは、かつてのような活気を取り戻していると聞く。
運営が苦しい瞬間は何度もあったはずだが、なんとか持ちこたえ、子どもたちの居場所を「存続させる」という、最低限かつ最重要な役割を果たし続けてきた。最も尽力し貢献した当時のゆるきち館長をはじめ、運営メンバー各位には、心からの敬意を送りたい。
…そんな中での、「ゆるきちの閉館」である。
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個人的には、館長の想いも、団体としての決断の背景も聞いていたし、「閉館」について意見を言える立場にはない。
閉館の理由は、公式発表にあるように、「この先ゆるきちをずっと運営していくことが難しい」という、それ以上でもそれ以下でもない。
誰ひとり、心から閉館を望んでいた人なんていなかった中、最も過酷な選択肢である「閉館」を決めたことは、少なくとも私個人としては、今は「英断」だったと思いたい。
企業活動において重要なことは「選択と集中」。検討を積み重ねたうえで、ゆるきちを「選択しない」ことを決めたのだから、私たちが次にやるべきことは、残すことを選択した事業への「集中」である。後からゆるきちの閉館判断を後悔することがないように。そして、ゆるきちで続いていくはずだった小さな奇跡の火種を絶やさないように。。
私もまだカコタムのメンバーではあるのだから、自分に何ができるかを、改めて考えようと思う。
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……と、ドライを装って書いては見たものの、やはり個人的には、思い出がたくさん詰まったゆるきちの閉館は、寂しい気持ちでいっぱいである。
今頃は、最終開館特別日として、ゆるきちは大いに賑わっていることと思う。(内部のチャットを見るに、参加予定者の数がすごいことになっていた……)
最終開館に駆けつけることすらできないのは残念ではあるけれど。せめて今日だけは、ゆるきちにいる全員にとって、最高の一日になりますように。
お疲れさまでした。