スリーズブーケの『残陽』を考える。

こんにちは、蓮ノ空1stライブに現地参戦したのびえもんです。

今回はタイトルの通り、スリーズブーケの『残陽』について考えてみたいと思います。

※既に他の方が『残陽』の考察をあげていますが、この記事はそれに対する反対意見とかそういうものではないです。その方の記事と同じことを言っている部分もあるかと思います。ただ、せっかく書いたのを捨てるのももったいないなと思って二番煎じと分かっていながら公開するに至った次第です。

【残陽】…沈もうとする日。入日。夕日。残照。


スリーズブーケとは

スリーズブーケは、『ラブライブ!蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ』に登場する、日野下花帆と乙宗梢からなるユニット。ユニット結成までのいきさつは『リンクラ』の活動記録を見てくれ!

『残陽』とは

『残陽』は、2023年9月に発売されたアルバム『夏めきペイン』に収録されているスリーズブーケの楽曲である。各種サブスクでも配信されているのでまずは1度聞いてみてくれ!そして1stライブ福岡公演のDay1でも披露されているからアーカイブも観てくれ!

『残陽』はハッピーエンドではない

花宮:「残陽」は今までのスリーズブーケとかなり違うよね。ハッピーエンドじゃないもん。

楡井:スリーズブーケは今まで常に相手と手をつないでいる歌詞だったから、初めて手をつなげない曲というか。

蓮ノ空1stライブ 公式パンフレットより

 まず紹介したいのは、1stライブの公式パンプレットにあるこの発言です。キャストの方が「ハッピーエンドではない」と明言しているのです。この記述が、僕に『残陽』を考えるきっかけを与えてくれました。

意味深な振り付け

1stライブで『残陽』が披露された際、ラスサビの直前で花宮初奈(以下、うい様)が楡井希実(以下、のんすけ)を後ろから抱きしめる振り付けがありました。現地で観ていた時は歓喜の雄叫びをあげるばかりでしたが、よくよく考えるとかなり意味深です。2人とも辛そうな表情を浮かべていますし、直後にはどこかに行こうとするのんすけをうい様が止めようとするかのように右手をつかむ場面があります。

特徴的な歌詞割り

 『残陽』を考察するにあたってまず注目しなければならないのは歌詞割りです。
 この曲は、1番を主に花帆が、2番を主に梢が歌唱しています。すなわちこの曲は「1番は花帆の視点で、2番は梢の視点で歌われている」と推察できます。

さて、ここまで長々と歌詞以外の部分について述べましたが、ここからいよいよ歌詞の考察に入っていこうと思います。

歌詞考察

日陰の中を抜け出した 後ろ姿を追いかけた

『残陽』2番サビ

 この曲は1番よりも2番の方が分かりやすいと思います。
 このサビの部分で歌われている「後ろ姿」とは、花帆のことを指していると考えられます。これは、前述したライブでの振り付けでうい様がのんすけを後ろから抱きしめている点からもそう解釈するのが自然だと思います。
 つまり、花帆が梢に背を向けて、日陰の中を抜け出す、すなわち日陰の外に行ってしまう姿が描かれていると考えることができます。
 そのように考えると、1番サビの内容も紐解くことができます。

日陰の外に魅せられた 思わず手を伸ばしていた

『残陽』1番サビ

 1番のみを考えると、「病気がちで部屋の中に閉じこもっていた花帆が、日陰の外にあったスクールアイドル、そして梢先輩に魅せられて手を伸ばした」と解釈できそうですが、先程述べた2番の歌詞を踏まえると違うのではないかな、と僕は考えます。
 
 この1番サビで描写されている「日陰の外に魅せられている花帆」の姿を後ろから追いかけているのが2番サビの様子なのではないか、と思うのです。

 つまり、「日陰=スリーズブーケ」なのではないか、と僕は考えました。
 そしてこの『残陽』という曲は「梢のもとを去っていく花帆とそれを追いかけようとする梢を、それぞれの視点から描いた曲」である、と考えました。
 もちろん、現状のストーリーでは、花帆が梢のもとを去っていくようなそぶりは微塵もありません。しかし、梢は日々の練習の中で花帆の成長を目の当たりにしているはずです。そんな中、梢がこんなことを考えても不思議ではないのではないでしょうか。

「去年は綴理にスカウトが来た。今年は私にスカウトが来た。じゃあ来年は……?」

 つまり、「スカウトを受けて自分のもとを去ってしまう花帆」という、梢にとって「あり得るかもしれないもしもの未来」を表現した曲なのではないか、と思う訳です。そのように考えると、梢がスリーズブーケのことを「日陰」とマイナスな印象の言葉に例えたのも頷けるのではないでしょうか。

 それを踏まえて、1番の頭から順に辿っていきたいと思います。なお、ここから断定の形が多くなりますが、それらも一考察にすぎず、「絶対にこう!」と断言するものではありませんのでご了承ください。

どうして ねえどうして 笑えないよ
変だね まずいよね 欲張ってしまう
どうして ねえどうして 怖くなるよ
暮れる景色の一つで良かったのにね

『残陽』1番Aメロ

 先述したように、1番は花帆の視点です。

 スカウトが来ることは嬉しいことのはずなのになぜか「笑えない」、その一方でスカウトを受けてさらに先の世界に行きたいと「欲張って」いる、そんな自分の心情に「怖くなる」と感じています。

「暮れる景色の一つ」は「日常の1シーン」の比喩で、ここでは「梢先輩と一緒にスリーズブーケとして活動している」ということだと思います。

まとめるとこのAメロは「梢先輩と一緒に活動するだけで満足だったはずなのに、スカウトが来て揺らいでいる自分の気持ちに怖くなっている」ということだと考えられます。

日陰の外に魅せられた 思わず手を伸ばしていた
朧げな夕陽と 君のかげぼうし
憧れ以外の感情に 塗りつぶされてしまいそう
光の中へ 翳すたびに

『残陽』1番サビ

 先述したように「日陰=スリーズブーケ」です。
 スリーズブーケという日陰の中から、日陰の外へと手を伸ばします。
 ここで論点となるのが「君」とは誰か?そして「憧れ以外の感情」とは何か?です。
 「君のかげぼうし」であり、「日陰=スリーズブーケ」ですから、「君=梢先輩」ではないです(かげぼうしは日に当たるところにしかできないので)。

 僕は「君のかげぼうし=未来の花帆自身」でないか、と思うのです。
 
 花帆が「魅せられて」いるのは「日陰の外にある自分の可能性」です。それを追い求めて「思わず手を伸ばして」います。
 重要なのは、1番の時点では「手を伸ばしている」だけで、花帆自身はまだ日陰の中にいる、という点です。
 日陰の中から外を見ると、朧げな夕陽があり、それに照らされるように「日陰の外に行くことであり得るかもしれない自分の未来の姿」を不確かな幻として見ている、それが「君のかげぼうし」なのではないか、と僕は思うのです。「日陰の中にいるままの自分」と「日陰の外へと踏み出した自分」は別存在であることを「君」という二人称で表現しているのではないでしょうか。

 次に、「憧れ以外の感情」についてです。花帆が憧れているのはもちろん梢先輩であり、そこに疑う余地はないでしょう。
 では「梢先輩に対する、憧れ以外の感情とは?」という話になってきます。これを考える手がかりとなるのが、「光の中へ翳すたびに」という歌詞です。ここでいう「光の中」とは「日陰の外」のことでしょう。日陰の中から手だけを外にかざして、そのたびに「憧れ以外の感情に塗りつぶされてしまいそう」になるわけです。

 僕は「憧れ以外の感情=梢先輩を超えられるかも、超えたいという感情」だと考えました。

 日陰の外に手を伸ばすたびに「このまま外に出たら、憧れだったはずの梢先輩を超えることができるかもしれない、超えたい」という感情が花帆を支配しそうになるのです。


遠くに ねえ遠くに行かないでよ
なんてね ごめんね やめておこう

『残陽』2番Aメロ

 先述した通り、2番は梢の視点です。

 この歌詞が向けられている相手は花帆です。日陰の外に向かいそうになっている花帆に対して「行かないで」と思っているけれど、それを実際に口にするのは「やめておこう」と思っているわけです。

すっかり忘れた落とし物に
はっきり形を与えられてしまったら
辛いだけだ

『残陽』2番Aメロ続き

 「すっかり忘れた落とし物」とは何なのでしょうか。僕は「過去の過ち」の比喩ではないかと考えています。梢にとっての過去の過ちとは、やはり綴理についてのことでしょう。

 綴理は一年のとき、他の学校からスカウトを受けました。それを引き止めるために梢は強引な形で地区予選を突破し、スカウトの話を立ち消えにしました。そして綴理を傷つけ、不干渉条約を結ぶまでに至りました。

梢「綴理がスカウトに乗ったら、この部活は廃部になる。そう言ってクラブを人質にとることもできたかもしれない。でも……クラブのためだと思って、綴理に非情になることも……私にはできなかった。
……いえ。そんな風に私はちゃんと、綴理を想えていたのかしら。ただ、そんな脅しじみた言葉さえも振り払って綴理が去ってしまったらと……結局は自分のことばかり考えて怯えていただけなのかも。」

『リンクラ』活動記録第8話「あの日のこころ、明日のこころ」PART5

 梢は自分が傷つきたくないがために、綴理に「行かないでほしい」と直接伝えることができませんでした。そのため、もし綴理にそう言った場合に綴理が何と答えていたのか、それは分からずじまいです。

 曲の話に戻ります。

 梢が過去に落としてしまった、つまり放棄してしまったのは、「直接自分の想いをぶつけること」です。すなわち、ここでいう「すっかり忘れた落とし物」とは「直接「行かないで」と伝えること」だと解釈できます。

 そして「はっきり形を与えられてしまう」というのは、裏を返せば「今はまだはっきりしていない」ということです。
 綴理スカウトの件で「はっきりしていないこと」は、「梢が直接「行かないでほしい」と伝えた場合の結末」です。これについては、今となっては知るすべがありません。

 しかし、今回はそうではありません。梢は花帆に対して「行かないで」と言うことができます。そうすることで、梢は花帆の本心を知ることができます。ただやはり、もしも自分を無視して行ってしまったら辛さばかりが残るので「はっきり形を与えられてしまう」のは嫌なわけです。

 まとめるとこの部分は、「過去の過ちを踏まえて、花帆に直接「行かないで」と伝えたいけれど、やっぱりそれでも「自分を無視して行ってしまう」ことへの辛さが勝ってしまって、そうすることができない」という意味なのではないかと思います。

(※この部分の解釈は一番頭を悩ませました……。この部分は特に他の人の解釈を聞いてみたいところです。)

日陰の中を抜け出した 後ろ姿を追いかけた
気づかれなくてもいい それがかげぼうし
戻る場所はいらないから ただそばにいさせてほしい
これ以上はもう 望まないから

『残陽』2番サビ

 「日陰=スリーズブーケ」を抜け出した花帆の後ろ姿を、梢が追いかけます。
 ただ梢は、自分が追いかけていることを花帆に気づかれなくてもいい、と思っています。いっそのこと花帆のかげぼうしになってしまいたい、とすら考えています。
 
 「戻る場所」はスリーズブーケのことでしょう。花帆がスリーズブーケに戻ってこなくてもいいから、せめてかげぼうしのようにそばにいたい、と願っているわけです。それほどまでに、梢は花帆を離したくないのです。


 ライブではここの間奏で問題の振り付け(うい様がのんすけに抱きつく)が起こります。
 先程述べたように、梢は直接花帆に「行かないで」と言っているわけではありません。ですのでここは梢が実際に花帆を引き止めていることを表しているのではなく、「花帆を引き止めたいという願望」を表しているのでないか、と考えられます。 
 一方で、のんすけも抱きつかれたことに気づき、顔をそらします。
 この部分が表しているのは、「梢が「行ってほしくない」と思っていることに花帆も気付いている」ということではないでしょうか。花帆は梢の気持ちに気づきながらも、それに気づかないふりをしているわけです。


日向の熱に浮かされた 独り善がりも分かっていた
永遠に近い場所で 今はかげぼうし
臆病で狡い答えでも 赦してもらえるでしょうか

『残陽』ラスサビ

 1番と2番はそれぞれ花帆、梢の視点でしたが、ラスサビはどちらの視点なのでしょうか。僕は「両方」だと考えています。といっても、2人が同じものを見ているというわけではなく、この部分は花帆視点と梢視点で2通りに解釈できるのではないか、と思うのです。

【花帆視点】
 「日向の熱に浮かされた」とは、「スカウトを受けて新たな世界に行くこと」でしょう。それは梢先輩を裏切るということでもあり、だから「独り善がり」なのも十分分かっているのです。

 まだ日陰の中にいた1番での花帆は、「君のかげぼうし」として「日陰の外へと踏み出した自分」の幻を見ていました。それが今は、自分自身が日陰の外へと飛び出しています。つまり、「あの頃見ていたかげぼうしと同じになった」というのが「今はかげぼうし」という歌詞の示すところです。

 最後に「臆病で狡い答え」です。僕はこれを「自分は行ってしまうけど、スリーズブーケや蓮ノ空は今まで通りであってほしい」という願いなのではないかと考察しました。臆病だから、自分が抜けることでスリーズブーケや蓮ノ空が壊れてしまうのは怖いのです。だから、狡いと分かっていながらも「自分がいなくなっても、今まで通り活動してほしい」と願うのです。これについては直後の「また明日さえあればいいから」という歌詞にも表れていると思います(詳しくは後述します)。

【梢視点】
 「日向の熱」とは、花帆のことでしょう。梢は花帆のそばにずっといたいと思っているわけです。しかし、先程花帆視点で述べたように花帆は「今まで通り活動してほしい」と思っています。梢はそんな花帆の意思を無視して「そばにいたい」と思っているから「独り善がり」なのです。

 「今はかげぼうし」というのは、2番でも言っているように、自分がかげぼうしのような気付かれない存在になって、花帆のそばにいるということでしょう。

 最後に「臆病で狡い答え」です。「臆病」というのは、2番の考察で述べたように「直接「行かないで」と言えないこと」を指していそうです。「狡い」というのは、繰り返しになりますが「花帆の意思を無視して、気付かれないように花帆のそばにいる」ということなのではないでしょうか。

また明日さえ あればいいから
ただ明日さえ あればいいから

『残陽』ラスサビ終わり

 ここの歌詞はパートが分かれており「また明日さえ~」の部分は花帆が、「ただ明日さえ~」の部分は梢が歌っています。

 「また」というのは繰り返しを表す言葉ですから、「また明日さえあればいい」というのは、「今日と同じ明日がきてほしい」という意味だと推察できます。つまり、「明日には私はいなくなるけど、みんなは今日と同じように過ごしてほしい」という花帆の願いだと考察できるのです。

 一方で、「ただ明日」というのは「また明日」と対比して用いられていますから、「今日と同じ明日じゃなくてもいい」という意味だと推察できます。つまり、「明日から2人の関係性が変わるけど、それでもいいから明日もそばにいることさえできればいい」という梢の願いだと考察できます。

まとめ

 ここまでの考察をまとめると「遠くに行ってしまうことを決意した花帆と、それを追いかける梢」という構図である、ということです。
 といっても、これは実際に起こったことではありません。先に述べたようにこの曲は梢が考える「もしも」の世界なのです。
 梢は1年の時に慈を失い、綴理を失いかけました。だから大切な誰かと離れることに、人一倍恐怖を覚えているのではないでしょうか。そんな恐怖を表出させたのがこの『残陽』という曲なのではないか、と思うのです。

そもそも……

 ここまで長々と述べてきましたが、そもそも1番の歌詞が本当に花帆視点なのか、と問われれば自信はないです。僕は特徴的な歌詞割りから「1番は花帆、2番は梢の視点」と断定して話を進めましたが、そうではない解釈も当然あると思います。
 もっというなら、そもそもこの曲は梢が作ったものではなく伝統曲である可能性すらあります。もしそうだった場合はこれまでの考察は全部水の泡です。

最後に

 ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。
 冒頭で述べた通り、これは僕自身の一考察です。考察というより妄想に近いかもしれません。それぞれが各々の解釈を持っていて良いと思います。

 この記事もまた「独り善がり」に過ぎないのですから―――。

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