『妻は他人』=『夫は他人』
そうだった。
すぐに忘れてしまいそうになる。
夫は“他人”なのだ。
妻は他人 だから夫婦は面白い
タイトルにある『妻は他人』というワードは、さわぐちけいすけさんの著書から。(他にもシリーズあり)
妻は他人。=私の場合、夫は他人。
まぁ夫婦に限らずなのだけど
この本を読んだとき、すごく腹落ちした。
奥さんと出会ってから8年(今はもっとかも)
ケンカ0だと言う著者さわぐちけいすけさん。
“円満夫婦の秘訣”というよりも、夫婦に限らず人間関係において為になる考え方がぞろぞろと出てくる。
もちろん賛否はあるようだが、この夫婦はお互いの考え方が自立していて、とても良い夫婦関係だなぁと私は感じた。
違いを受け入れること
私の夫の話を少し。
夫は、物事に集中すると途端に何も見えなくなり、聞こえなくなる。
良くも悪くもとにかく集中力が強いのだ。
一つのことに集中していると、話しかけてもその瞬間まったく耳に届いていない。無視しているわけではなく、本当に届いていないのだ。
30秒くらい後に返事がかえってくることもしばしばだが、何回か声を掛けないと気が付かないこともある。
そんなとき、まぁいつものことだと流して終わらせるときもあれば、「またか。」と必要以上にイライラモードになることもある。
(この話をnoteに残しておこうとふと思ったのも、様々な原因でこのイライラモードになっていたからだ)
何が言いたいのかというと。
私には私の性格や考え方のくせ・特性があって、
それは夫も同じであるということ。
生まれ持った性格に加えて、生きてきた環境も違うのだから、当たり前といえば当たり前なのだけど。
周りが何も見えなく聞こえなくなる程の集中力は、とてもじゃないけど私にはない。夫に「もっと周りを気にして!」を言ったところで、きっとできない。(言っても短時間・短期間で終わってしまう。)
変えられるのは自分
いつだったか、ある人に言われたことがある。
「他人が変わらないことにイライラするのではなく、自分の考え方を変えると良いのだ。」と。
これが簡単なようで結構難しいのだけれども。
日常の中で、出来るだけ意識するようにしている。
(当然できない時も大いにある)
だから、イライラした時には思い出すのだ。
夫は他人である、と。
自分ではないのだと。
他人だから何を言っても響かない、とか
そういうことではない。
他人。でも、家族。不思議な繋がり。
『各自が1人でも生きていける夫婦』
話は戻るが、冒頭に紹介したさわぐちさんは、こう述べている(↑)シーンがある。
理想の夫婦を友人に聞かれたときの一コマ。
私も、そうありたいと思った。
この内容も私は好き。↓
夫婦関係や人間関係に悩んでるときに読んでみると、純粋にそっかー、と思えることや新たな考え方の発見があるかもしれないので気になる方は一度ぜひ。