悩めるママの子育て日記 〜新年度から保育園〜
4月から保育園・・・
気がつけば、もう3月。あと数週間で4月になります。
時の流れはほんとうに早いものです。4月になったら新学期が始まります。
そう、私の娘は保育園に通い始めます。
0歳で。
こういうと、小さいうちから可愛そう。お母さんと一緒にいたいだろうに
そんなに仕事が好きなの?って言葉が聞こえてきそうです。
かくいう私も、実母からそんなことを言われました。義両親からも否定はされないものの、どんな保育園か(住まいは遠方なので送り迎えをお願いするわけではない)とか、仕事の状況とか、根堀り葉掘り聞かれています。
きっと親なりに心配たり、良かれと思ったりして言ってくれてるのでしょう。でも、すごく傷つきますよね。
私だって、娘とずーっと一緒にいられるものなら一緒にいたいし、0歳から保育園に預けていいのかなという葛藤もある。一方で、私は一社会人でもあり、今後キャリアを積んでいきたいとも思っている。
保育園申し込みの手続きをする時、娘はまだお腹の中にいて、早く復職することに対して、さほど気にはしていなかったのですが、産まれてからは「なんで会社に4月から戻りますって言っちゃったんだろう」とか「保育園受かりませんように...」とまで考えた。
仕事も職場に無理を言えば、休めないことはない。仕事をしなければ、生活が出来なくなるくらい苦しくなるというわけでもない(やっていた方が楽は楽だけど、なんとかやっていける)。だから、受かってからも「辞退してしまおうか」とか「何か理由つけて育休延長してもらおうかな」とか、たくさんたくさん考えた。
悩んで悩んで悩んで悩んで・・・
働くという選択をした。
こうやって決めたことなのに、かわいそうとかとか、子供は自分で育てるべきよとか、語られるとどうしようもない気持ちに陥ってしまう。
娘にとってこの選択がよかったのか、なんてことはわからない。
だけど、娘には働く母の背中を見て欲しいし、いつか働き続けてよかったと思いたい。
私は、早く復職するのが良いと思っているわけでも、幼稚園まで親が育てるのが良いと思っているわけでもありません。
色んな人がいて、その分色んな選択をする人がいて良いと思っています。
大事なのは、納得のいく(時には納得のいかない)選択をして、それに真摯に向き合って、子供になんでそうしたの?って聞かれたときに、伝えられるようになることなのかなと思っています。
多様性を考える
子どもを出産して感じたのは、単に子どもを育てると云うこと以外に、誰が決めたかわからない、暗黙のルールがたくさんある。
1人目の子どもは男or女がいい
ミルクより母乳がいい
離乳食は全部手作りがいい
100日のお祝いは盛大に
3歳までは親元で育てるのがいい
(子ども産む前は結婚したら○年くらいで子どもがいたらいいとか・・・)
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昔はそうだったかもしれない。全部満たせる人もいるかもしれない。だけど、そういう古き良き?風習を満たしていくことが子どもの幸せにつながっているとはどうしても思えず、むしろ親たちの首をしめるというか、そうでなかった人たちを傷つけているようにしか見えてなりませんでした。
苦しめたいわけじゃない、むしろ大事だと思うから、伝えている思いが結果として人を苦しめたり、傷つけたりしてしまっている。
"どうしてだろう?"と考えてみたのですが、価値観の押しつけがそれを招いているような気がしています。
「自分はこうして良かったからいいはずだ」
「自分はこれを頑張ったから、親っていうのはこれを頑張るものなのよ」といったものです。
「昔の人のいうこと・親のいうことは聞いておけ」とよく言われますが、それを否定しているわけではありません。ただ、昔の人がいうことを"自分にとっていい"と思うか、"自分には合わない"と思うか、その判断をも合わせる必要はないと思うんです。時代も変わり、色んな選択肢もあるので、色んな考えが出てくるのはごく自然なことだからです。
私の母親はじめ、年上の大人たちが、0歳から保育園なんてダメとか、母乳あげなさいとかいうのは、なんでだろうと考えてみました。
多分ですが、"そうでないやり方を知らないから"なんだろうと思います。私の母の時代は、専業主婦が今より多かったし、母親の親、私にとってのおばあちゃん世代からは母乳で育てなさいと言われてきたはずです。だから、それが良いと思って自分の子を育ててきてくれたし、それ以外に良いものがあるなんてことを考えたことがなかった、またはそれ以上に良いものがあることを拒んでいるのかな、と思います。
知らないことは誰でも怖いし、だからこそ否定したくなる。もっといいものがあることを認めると、自分がしてきたことが否定されるという気持ちになる人もいるかも知れません。
だから、自分がやってきたことが良くて、それ以外がダメ、そんな考えになるのかなと思いました。
自分と違うことがダメなんじゃなくて、違うものを共有し、違いを認め合う世の中になっていくといいですね。
終わりに
まだ半年間という短い期間ではありますが、親をやっていて純粋な子育てというか、娘の世話をすることよりも、子育てに伴って生じた云々について考えたり対応したりすることの方が疲労してしまったように思います。
自分の子ども責任は自分がとる。だから、私が良いと思ったように育てる。と割り切って、何を言われても、気にしなければ良い話なのですが、なかなかそうもいかず、悶々とした日々を過ごしていることも少なくありません。
こんな風に悩んでいる人がどこかにいるかもしれないし、こうやって悩んだり、自分の考えを人に発信したりすることも、「子育て」という大きな枠組みの中に含まれているのかもしれない、と思い、noteを書いてみました。
こんなことを考えていると、私の大好きな金子みすゞさんの詩を思い出しました。
私と小鳥と鈴と
私が両手をひろげても、
お空はちつとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のやうに、
地面を速くは走れない。
私がからだをゆすつても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のやうに
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがつて、みんないい。
改めて読むととっても深い。
みんな違ってみんないい。
そんな風に考える人が増えれば、もっと子育てもしやすくなるのに。
そんな世の中になりますように。
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