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いちばんのじかんのむだってなんだとおもう?

ワ―ママと呼ばれるようになって早一年とちょっと。
産休前までは時間にものを言わせていた働き方をしていた分、思い通りにいかないことも多い。
独身の時はワ―ママのこと、"育児を理由にすれば早く帰れるし、保育園が休園って言えば急にお休み取れちゃうし、行きたくない飲み会にもいかなくていいし、良いな~"とか失礼ながら思っていたけど、いざその立場にたってみると、それなりに大変(それでも週の半分以上はリモートワークで、やることをやっていれば、時間にうるさくない会社にいるので、楽な方なのだけど)。
隣の芝は青く見えるとは、よく言ったものだなと思う。
(いや、私の心が狭かっただけ。当時のワ―ママさん、失礼しました。。。)

大変なのは特に朝。
2歳に近くなった娘はだんだん意思表示をするようになってきた。
保育園へ行くために、「自転車乗ろう!」というと、「いやよ~(笑顔)」とか言って、全然乗ってくれない。
今日もこのパターンか・・・とため息を一つついて、覚悟をきめる。イライラでじっくり娘に付き合おうという覚悟を。

無理やり乗せようとしても、全身でエビぞりみたいに抵抗して、ギャン泣きするし、周りからチラチラ見られて、それをなだめるのも大変になることがわかっている。それでも無理やりのせたこともあるけど、自転車から落ちてしまうんじゃないかくらいの抵抗をされ、大けがしたらシャレにならないと、断念したことがあるから。
自転車に乗りたくなるまでひたすら待つ(娘が歩くスピードに合わせて自転車を押す)しかない。
スムーズにいけば、自転車で5分足らずの道のりを30分くらいかけて・・・。

この方法が良いのかはわからない。
わがままって思われるかもしれない。だけど、娘と過ごす時間も限られているし、少しのわがままくらいは聞きたいなという想いもあって。ま、そんなことをしているから時間がなくなるのかもしれないけど。


一年たっても、子供を保育園に預けることの申し訳なさというか、抵抗感というかは、なかなか拭えず、納得いかない仕事をしていると、"この時間、娘と過ごせていたらな~"とか"これは娘との時間を削ってまでやることなのか?"なんて思ってしまう。
仕事の移動中に、子連れのママをみると、"あーこんな日中も一緒にいれてあげられたことないな"とかちょっと寂しくなる。
娘は娘で保育園の生活を楽しんでいるのかもしれないし、自分といる方が幸せだという自己満かもしれないけど。

そんな話を、友人にしたら、「私は自分の子供が何かしたいって言った時にやらせてあげたくて、そのために今からお金を貯めることが大切だと思うから、全然後ろめたさは感じたことないかな。」って言っていた。

んー、確かに。

あたりまえだけど、仕事をしてお金をいただいて。それをちゃんと子供に使うための投資だと思えば、後ろめたさもなくなるのかも。。。
目の前の一個一個の出来事に反応して、気持ちが揺らいでいては良くないね。そこまで割り切れるかはわからないけど、友人の考えには同意なので、私もそう思って、仕事を頑張ることにした。

自分がむかし"ワ―ママさんはいいな~"と思っていたこと。
"他の子はママと一緒にいられるのに、自分は保育園に預けて良いのかな"と自信がなくなっていたこと。
そう思ってしまっていたのはなんでだろう??

「人と比べていたから」なのだと思う。

"あの人はこうなのに、自分は・・・"
"あの子はこうなのに、自分の子は・・・" って、無意識に比べてしまっていた。
比べずにいることってすごく難しい。
ついつい誰かと自分、誰かのものと自分のものを比べてしまって、焦ったり、落ち込んだり、うらやましく思ったりしてしまう。

そんなことは意味がないことなのに。

自分の大切にしているものを、自分ができる方法で大切にして、それを伝えること、そしてひとと比べず、ありのままの自分を認めてあげることが、心が落ち着く方法なのかもしれない。

"いちばんの時間のむだってなんだとおもう?"
ぼくがたずねると、モグラはこたえる。
"じぶんとだれかとくらべることだね"
(『ぼく モグラ キツネ 馬』より)


あ、一番大好きな本に書いてあった。
感動して覚えておこうと思ったのに、ついつい忘れてしまう。
だから、久々にnoteへ書きとめてみた。

もうしばらく忘れませんように・・・。

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