スティーブ・ジョブズ

マカオのMac屋さん。

オンライン配信で映画「スティーブ・ジョブズ」(2016)を見た。
ジョブスが主人公の映画はいくつかあるが、この映画、主に彼のプライベートな部分に光を当てて彼の人となりを浮き出させ、そこに大小とりまぜたコンピュータ関連エピソードを組み合わせたもの。

アップルの社史や人脈に詳しい人でないと分かりにくい諸々、時間が前後にポコポコ飛び何の話か見失いそうになること、などで映画の出来はイマイチ感はある。

分かっている人前提な作りだから、語り尽くされている彼のコンピュータ界での実績うんぬんは省くのは分かるが、あまりに私的すぎるかな、と。

でもジョブスの「困ったちゃん」なキャラは分かりやすかった。
どの伝記を見ても彼のクセのあるキャラは周囲との軋轢があったことが書かれているから、多分あんな感じだったんだろうな、と思う。
近くにいて欲しくないタイプだ。

自分のビジョンを実現させるために周りが見えなくなる。
邪魔になる因子は徹底して排除しようとする。
それが他の人より遥かに強烈なだけ。

そんな強いこだわりの塊がMacintosh、iPhoneを生み出した。
彼が指揮をし、美しいカタチに仕上げた。
常に周囲との軋轢を生み出す人が「残された人たち」のためのコンピュータ(The Computer for the Rest of Us)を作りあげた不思議。

「Mac Paint」をLisaが使うシーンはぞくぞくした。
この時のLisaのように、教わる事なくいきなり使えちゃう、というのが私がMacユーザーになった切っ掛けだ。
モノクロの小さな画面の中でポインターがあちこち動きまわり、マウスの軌跡が線になり、クリックひとつでデーター保存できちゃう。

使っていて楽しかった。その気持ちはカラーになりクロックがGHzになった今も同じだ。

Macがもし存在してなかったら、あと数年は「残された人たち」のままだっただろう。
iPhoneもしかり。スマホデビューはずっと後になっていた。

iPhoneで写真を撮り、加工し、このブログを書く。
ジョブスのこだわりの塊に感謝。

何はともあれ大晦日。みなさん、良いお年を。

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