月灯りの下で 「虹色の炎」
「春になると
新しい命が芽吹いて
自身の存在に嘔吐する」
「誰の言葉?」
「私の言葉」
さゆりは微笑む。
これはまださゆりが入院する前のこと。
大学の授業が終わった後、僕らは大学にあるカフェで優雅なひと時を過ごしていた。
二人はガラス張りの窓からキャンパスで行きかう人々を眺めていた。
「あと何カ月かで春になる。また新しい大学生の子が入ってくる」
「…うん」
「私にとってさ。あの子たちはすごくまぶしく見えるっていうか、楽しそうだなって思うんだよね」
「…うん」
「でもそれと同時に私はあの子たちの物語のなかにはいないんだって思う。だって私が死んでもあの子たちの人生には何にも影響がない。あの子たちはいつだって楽しそうに笑っている」
凪人が思ったことを口にする。
「それはみんな同じことじゃないの?みんな何らかの共同体に属してはいながらも当然全ての共同体に属しているわけじゃない。だから物語の中にいないのは至極当然のことだと言える」
「まぁ…それはそうなんだけど…」
さゆりはコーヒーを口にしてから続ける。
「凪人はさ。例えば高校の教室で過ごしていて『あ。自分浮いてるかも』って感じたことある?」
「あるよ。放課のほとんどはずっと一人で本読んで過ごしてたから」
「その浮いてるっていう認識はさ。一応共同体の中に属してるから分かることじゃん。共同体の円みたいなものがあってほとんどの人はその円に入っているけど自分は外れ値みたいなものでそこに入っていない」
「なるほど。そんな風に考えたことは無かったな」
「でもさ。私は当時、浮いてることさえわからなくて。最近になってようやくわかったのは、私は共同体の円すら認識できてなかったんだってこと」
「それが物語にいない、つまり、さゆりはみんなと同じ平面に居なくてどこか違うレイヤーというか違う場所にいたってことか」
「そう」
「私はずっと、いないんだよ」
「でも今いないって感じることができるということは」
凪人はココアをゆっくりと飲む。
「おなじ平面にいるってこと」
さゆりが代わりに答える。
「うん。つまりさゆりは今、物語の中にいる」
「そう信じたいね」
二人の間に長い沈黙が流れる。
「…ねぇ凪人」
「…ん?」
「私ね。叶えられない夢があるんだ」
「何それ?」
「私、虹色の炎に包まれて死にたい」
「…」
「…」
「っはは。ぶっ飛んでるね(笑)吹き出すところだったよ」
さゆりは凪人が笑ってくれたことに安心感を覚えた。最近凪人が気を遣っているのか、暗くなっているように思えたからだ。
「虹色の炎?それは…何なの?」
凪人は笑って尋ねる。
「炎だけど、熱くなくて。冷たいの。海が見えてキレイな花の咲く草原でその虹色の炎に包まれて死にたい」
「そっか。その時は僕も一緒に焼かれたいな…そんなこと考えてもみなかったけど、その死に方は案外素敵なものかもしれない」
「虹色の炎に包まれたらファっと消えちゃうんだよ。後には何も残らないの」
「いいね。痛みがないのは」
さゆりは笑っている。その笑った顔は可愛らしくて愛おしい。
「変な会話してるね。私たち」
「そしてその変というのも物語の中にいるからわかることであってですね…」
「ははっ(笑)」
「(笑)」
こんな時間がずっと続けばいい。
でも永くは続かない。
それはみんなわかっていたことだった。
でも知らないふりをする。
考えても仕方ないから。
さゆりが入院したのはこの翌日のことだった。