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夢:空想と理想の入り混じったレテリジェンス %

前奏



また話は変わるんだけど。まだ若かりし高校生の時のことさ。
ある日眠っているとき夢に倫理の先生が登場してきたんだ。それでその人が自分にこう言ったんだ。

「見えてないんだよ」

それを聞いて(2つの意味で)目が覚めた。デルフォイの神託かとも思った。
それを聞いた後はしばらく泣いてたっけ。そのことはいまでも鮮明に憶えている。その倫理の先生は別に恩師でも何でもなく、授業もちっとも面白くなかったんだけどね。

まぁそんな絶望の最中哲学と会った。でも当時は今ほどそんなに哲学が好きと言うわけでもなかった。ただ哲学が在るんだなくらいにしか思ってなかった。

本は読んでたけど哲学書に近いものを読むようになったのは本当に最近のことさ。
けど哲学入門ならたくさん触れてきた。高校生だったある時エトムント・フッサールのいってることがよくわからなくてYoutubeになんかないかなーとおもって漁っているととあるYoutuberの動画に当たった。実に私はそのYoutuberに啓蒙されてしまったということになるのだ。

でもその出会いで絶望から立ち直ったわけでもなく。というかあれから何年も経った今でも立ち直っているのかそうでないのかはよくわからないんだけど。
そのYoutuberとの出会いの後にも面倒な事がたくさんあってある時「もう疲れた。疲れたと思うのも飽きた」「なんかもうどうでもよくないか?」と思うようになった。以後それからというもの、ヘラヘラして生きるようになった。
人間の思考する全て事物は模倣に過ぎないとする模倣主義の立場になってこの世を見てヘラヘラしていたこともあり、自分の失敗をヘラヘラ笑って、人が喜ぼうと悲しもうともヘラヘラ笑って……
まぁ完全に異常になってしまったよね。非凡でもなく凡人になることさえ許されなかった中途半端な自分はその凡と非凡で結ばれた線上からドロップアウトすることを余儀なくされた。それですべてを楽しいかそうでないか、面白いかそうでないかで判断し選択するようになった。そのせいもあって最近は人間をよく観察するようになったんだよね。人間ってなんだかんだいって面白いからね。



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