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解に落つ #05

#05 :岡村 千鶴

普通とは何なのでしょうか。
この頃私は考えてしまうのです。
来年の春に高校を卒業致します。
卒業後について、親や先生から「大学に行きなさい」「千鶴はどこの大学に行きたいんだ?」と聞かれ、私は質問を質問で返します。
「何で大学に行かなくてはならないの(ですか)」と。私の母はこう答えました。
「えぇ、だって普通、普通科の高校を卒業した子は大学に行くのよ」と。
普通という言葉が2回もでてきたことに内心、気付かぬうちに鼻血が出ていた時ような驚きを憶えたわけですが、ひとまずこのような返答が返ってきたわけです。
一応。念のため言っておきますが、私は普通に対して反発心を抱いているわけではありません。普通が一体何なのかを知りたいだけなのです。そのために親の言う「普通」に即して、幼稚園、小学校、中学校、高校と過ごしてきたわけなのです。
話は少しそれますが、一年前、高校2年生の時に、倫理の授業でソクラテスという人物の紹介がありました。私が特に強く記憶しているのは彼の知っている思っていることを知らないと考える姿勢。いわゆる無知の知に大変感銘を受けたわけなのです。また、当たり前と思われていることを疑う懐疑論というものにも同じような印象を受けました。
話を戻します。
おそらく私は他の人から見れば普通です。
自分のことを自分のことを普通の女子高校生(JK)だと思っています。
特に秀でた才能もないですし、かわいいものが好きですし、身体もきちんと成長を見せています。友達もいますし、漫画、アニメ視聴という立派な趣味もあります。
そんな普通のJKとして登校中電車に揺られていると、私は自己の埋没にたいして何ともいえない心地になるのです。

そして。
そんな私は今、コスプレイベントの会場にいます。
私は数日前、SNSでこのイベントの情報を目にしました。ここからの最寄り駅から電車に乗って5つ目の駅を降りて近くの場所でこのイベントが開催されると書いてありました。私はそれを目にしたときこのイベントに魅かれました。別段コスプレをしたとかいうわけではなく、コスプレをしてくる人に興味があったのです。
おそらくコスプレをする人たちは普通ではない。すくなくともその場においては。尋常ならざる愛が溢れ出た結果、コスプレをするに至っているわけなのですから。
私はここで普通ならざる者を目にしその差異を認識することで自己の普通を再認識したいと思い、このイベントに行くことにしました。
父が趣味にしようと衝動買いして3回しか使われていない一眼レフのカメラを借りて、母には「今日友達と遊びに行くから」と普通の口実をつくり「あら、そうなの。今日、お父さんと出かけるから戸締りしていってね」と言われ勿論全ての窓、火のもとに余念がないかを三回確認した後、家を出ました。
イベントにはたくさんの普通ならざる人がいました。自分の知らないアニメや漫画のキャラに装している人がたくさんいて、男装、女装をしている人もたくさんいました。私服でカメラを持っている人もたくさんいて、撮影する際には「あの、撮影してもいいですか?」と許可を取るなどの礼儀のある人しかいませんでした。
他のコスプレイベントがどうかはわかりませんが、少なくともこのイベントはとても洗練されたイベントだという印象を受けました。
私は私服でカメラを持っていたのですが女性のカメラ(ウー)マンは少数派のようで、カメラマンは男の人が多めでした。あとは私服で来ている人がほとんどで私服6割/コスプレ4割という感じでした。
せっかく高そうな思いカメラを持ってきたのだから誰かを撮ってみたいと思っていると、木陰に私が好きなアニメのキャラのコスプレをしている人(ともう一人私服の人がいた)ので恐る恐る近づいて少しばかりの勇気を出して「あの、撮影したいんですけど…いいですか?」と緊張しながら言うと、「いいですよ」と快諾してくれました。
その声はどこか女性的な感じがしたからもしかしたら女の子かもしれません。となると先程隣にいた人は彼氏なのでしょうか。デート中に割り込むなどと無粋なことをして申し訳ないです。と心の中で思いながら私は先に見たカメラマンと同じ言動をとるよう努めました。
「では、ポーズおねがいしま~す」
そういうとまるで本当にアニメに出てきそうなその子はポーズをとってくれました。
確かあのポーズは単行本6巻の表紙のポーズだったはずです。その時私は思わず口にしてしまいました。
「それ六巻の…!」
「えっ!?『かげぼうし』みてるんですか?」
「はい。勿論です!私もナギサが大好きで…」
『かげぼうし』は最近アニメ化したことで急速に人気を博し始めていますが、私は人気沸騰まえから漫画の連載と単行本を買い、見守ってきました。
目の前の子扮するナギサは主人公ではないもののクールで強くて頼れる主要キャラでキャラ人気投票で3位になるほどの人気があります。
私は撮り終わった後で言いました。
「ありがとうございました!ナギサそのものですね…!すごいです…!」
「こちらこそありがとうございました」
あれ?
「あの…彼氏さんですよね?さっき隣にいた人…」
「えっ。そうですけど…よくわかりましたね」
「仲がかなり良さそうな雰囲気だったので。そうかなと思って」
そういって彼女はケータイを触りました。
「あっ。今、飲み物買いに行ってるみたいです」
「そうなんですね…あの、その…衣装ってどうやってつくったんですか?」
私は佐藤さんに色々なことを教えてもらいました(軽い自己紹介の後)。ナギサのことや『かげぼうし』のことについて、夢中でしゃべっていました。その時間はあまりにも楽しく、佐藤さんもそうだったようで連絡先を交換してくれました。十分程しゃべっていると先の彼氏さんが歩いてくるのが見えたので、二人の時間を邪魔してはいけないと思い、私は厚く礼を言って去ることにしました。
最後に佐藤さんに彼氏さんについて聞いたのですが、
「こんな僕のことを全部好きって言ってくれる大切な人なんだ」と言っており、ナギサの姿でそれを言ったものですからかっこよさが2倍になり、立っていることも困難なくらい頭が興奮してしまいました。漫画ならきっと鼻血を出していたことと思います。
一人称「僕」もナギサの姿だからそう言っているのか普段から一人称は「僕」なのか気になりましたがもし後者ならやはりかっこよさは2倍で正しいと思います。

その後私は帰りの電車に乗りました。
車内で佐藤さんの写真を見ました。勿論、予想外の流出がないよう、周りに人がいないのを確認してから。これはある種の独占欲かもしれないと思いながら写真を目にしていましたが、やはりかっこよすぎました。

あれ?
「そうですね」
気付けば私は普通ではなくなっていました。あんなに夢中になってコスプレをしている方と語り合えるのは、そして私も佐藤さんと一緒にコスプレしたいとまで思うようになったのは、もう私の思う普通ではないのです。
「でもそれがいいんです」
普通でいるよりも佐藤さんとお話している方がずっと楽しかった。私は普通でいること又はいないことに善悪の価値を付与する気ははなからありませんでした。気の進む方にいるのが最適だと思っています。普通かそうでないかは他人(未来の自分含め)が決めることなのです。
それでもこれまで私の人生は普通に即して生きてきた人生だったので普通でない人やことに対して抵抗感を抱いていたのは事実です。
それでも今日、そうでない世界を見ることができました。

[追記]
一年後に思ったのですが、普通とは相対的な考え(観念)なのかもしれません。





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