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幻影 (全編)
第1話 出会い
僕は幼いころから「何か」がみえた。
幽霊じゃなくて形のあるものでもなくて。なんかこう、色のついたオーロラ?みたいな。それが人からにじみ出てくる。
なんでかはわかんないけど、他の動物、たとえば虫とかからは見えない。けど、知能がある程度高い動物ほど、うっすらとだけど最近見えるようになってきた。でも人間が一番わかりやすい。色のパターンもだんだんわかってきた。なんとなくは。でもみんなもこのパターンは理解しやすいと思う。 なぜって。うーん、言葉ではうまく言えないけど。聞けばわかるさ。まず、寛大な人や優しい人はオレンジ色になることが多い。で、逆に冷酷な人は濃い青色、合理的な人は緑、自己中心的な人はピンクの要素を持っていて、イライラしてる人は赤。聞いててわかると思うけど、人間は色を何種類か持ってて特定の感情が出たとき特定の色が引き出されるって感じなんだ。
さっ!「何か」の話はおわり!今日も学校行かなきゃな。
「行ってきまーす」
「玄弥(げんや)?サングラスは?」
「あっ忘れてた」
「もぉー気を付けてよ」
「ごめんごめん。じゃ、今度こそ行ってきまーす」
サングラス。これは僕の必須アイテムだ。人の多いところに行くと、色ばっかりで気分悪くなるからね。サングラスをかけると、「色」が見えなくなる。先生には光過敏と嘘をついてる。
「何か」が見えるなんて、信じてくれないだろうから。そしてこれは僕だけの秘密だ。そう、親も信じてくれなかった。真面目に話しても子供の言うことだと真剣に聞いてくれなかった。
世の中の常識がわかってくると僕が異常なことに気づき始めた。信じてくれないってことはきっとほかの人には見えないんだな。そんなことは十二にもなれば気づいた。
幸い、僕の学校ではいじめもなく、穏やかな暮らしができた。友達もたくさんいる。親友って言っていいのかな。遊んでくれる子も1人いる。彼の名は日佐人(ひさと)。彼はいつも人気者だ。オレンジ色が強くみえる。そんな彼はサングラスをかけた僕を初めて見た時でも他の子と同じように扱ってくれた。
「玄弥、今日遊ぼうぜ!」
「いいよ!いつもの場所ね!」
いつもの場所とは河川敷のことだ。僕たちはいつもそこで遊んでいる。
———放課後———
いつものようにサッカーをして、夕方になり、帰ろうとしていた時のことだ。他愛もない話をして休憩していると、少し遠くに人影が見えた。
僕はその時なんでかわかんないけど僕はすごく、その人が気にかかった。その人が近づいてきて姿がはっきりしてくると僕ははっとして条件反射的に叫んだ。
「逃げろ!」
「どうした玄弥?」
当然、みんなが驚いて僕に訊く。
「いいから、早く!あの男から逃げるんだ!」
僕が大声で言ったから聞こえたのか、男は突然、走り出して近づいてきた。
みんなもその男のただならぬ殺気を感じ取ったのか、一目散に逃げる。
———まずい。追いつかれる。僕は走りながら今まで出したことのない大きな声を出した。
「助けて!助けて!」
周囲で遊んでいた人たちもこちらに気付き、穏やかな雰囲気とは場違いな男に異変を感じたのか、その男を見るなり、距離を取った。
百メートルくらいを必死でみんなと走り、後ろを見たときには、もうその男はいなかった。
あとで警察が来て、男の特徴を聞かれたけど、少し遠くて顔の特徴はなにもつかめなかった。
それで、このことはあとで警察にも日佐人にも聞かれたんだけど。
「なんであの時危ないってわかったんだ?」
「いや、歩き方がちょっとおかしかったんだ。こう、フラフラってしててさ」
僕はうそをついた。本当の理由はサングラスなしで見た男の色が今までに見たことのない真っ黒なものだったからだ。
後日、テレビのあるニュースが目に飛び込んできた。———無差別殺人事件。
犯人はアイツだった。僕たちを襲おうとしていたアイツ。犯人の写真をみてわかった。もちろん過去の写真だったけど、言葉では説明できないような確信が僕にはあった。
電車の中で、三人刺殺または撲殺したあと、火を放ち、自分の腹を突き刺して死亡したそうだ。その時僕はふと直感的に感じた。
————ひょっとして、黒色は罪の色なのかな?
第2話 波の音
十七歳の夏休み
僕はひとりになった。
高校では日佐人とも離れてしまい、こんなサングラスをかけた奴に話しかけてくれるような奴は(最初は興味本位で話しかけてくる人もいたけど)段々疎遠になっていった。
でも日佐人は今でもたまに電話をかけてくれる。彼はまだ僕を見てくれていた。
そんな僕にも足しげく通う場所があった。
海辺だ。
家から1時間くらい電車を使わないと行けないが、それでも距離の遠さがどうでもよくなるくらい気持ちの良い場所だった。
今日もそこに1人で行く。時々学校には行けない日はそうしている。
来年のクラスでは仲のいい人ができるといいな。
いつものようにぼぉーっと海を見ていた。波の音はいい。心のもやもやをかき消してくれる。家を出るときは空一面雲でおおわれていた。けど、今は少し雲が減って、その隙間から見える青い空が雲一つない時の青い空よりもより一層美しく見えた。
ここには人もあまり来ないから、サングラスをかける必要もなかった。
僕は数時間ほど海を打ち眺めていた。
その時だった。
「何してるの?」
……え?
振り返ると女の子がいた。僕と同い年くらいの子だった。いや、驚いたのは女の子が話しかけてきたとかそんなことじゃない。色だ。彼女の色が……
黒色だった。アイツと同じ真っ黒な色。
僕は咄嗟に冷静さを装う。
「何って…見ての通り海を見てるんだよ」
「君高校生?」
「うん、高校2年生」
「え?私も!奇遇だね!」
「あぁ…そうなんだ…」
すごく感じのいい子だな…いや、そんなことより!黒い色の人にはあの一件以来出くわしたことがなかった。この子は罪をこれから犯すのか?犯そうとしているのか?
窃盗?…殺人?こんな華奢な子が?
「どうしたの?なんか考え込んでる?」
「いや、なんでもないよ」
———それとなく探ってみるか?
「ねぇ、今日は学校ないの?」
「それはあなたもおなじでしょ。名前は?」
「玄弥。君は?」
「私は眞白(ましろ)。お互い余計なことは聞かないほうがいいでしょ。それに、私のことなんて興味ないでしょ」
「…じゃあ、なんで。なんで僕に話しかけてくれたの?」
……!色が少しずつ薄まっていく?僕との会話で罪を犯すことに躊躇いを感じたのか?
「それは、うん。ふつうは絶対知らない人に話しかけないんだけど。なんだかあなたは、今まであったどんな人よりも話しかけやすくて、話しかけてみたかったんだよね…」
僕は心の中に暖かいものを感じた。いや、あったときから感じていた。不思議とこの子には惹かれる。けど今は————
「そっか。ありがと。眞白」
どうする?少しだけ薄まった気はするけど、それでも黒が強い。…自己開示で眞白の内情を引き出すか?今日眞白が罪を犯してしまったら…。嫌だ。そうなったら、きっと僕は苦しむ————
「さっきさ。『私のことなんて興味ない』っていったよね。ほかの人は知らないけど、僕は興味あるよ。だって君が話しかけてくれたから。僕は訳あって学校でサングラスを掛けなくちゃいけなくてさ。異質なものとして、周りから敬遠されてるんだよね。ここに来たのは居心地がすごくいいから。ここは僕のとっておきの場所なんだ」
「奇遇だね。私もだよ」
———なかなか眞白は自分のことを話してくれなかった。
踏み込むか……?
「眞白、答えたくなかったら、答えなくていいんだけどさ、なんで眞白は学校行ってないの?」
「うわ、ストレートだねぇ…余計なことは…って言ったのに…」
「あぁ、ごめん!言いたくなかったらいいんだ。自分でも完全に余計なお世話だと思うし」
「まぁいいか…玄弥君になら………」
「…?」
「…わたしね。いじめられてたんだ。けっこうひどいいじめでね…そっから壊れちゃってね。それで今、家を出て、一人暮らししてるんだ」
「お金とかは?どうしてるの?」
「えっと、お母さんがね。結構優しくて仕送りちゃんとしてくれてるんだ…」
————劣悪ないじめか…
「あ、ごめん。そろそろ行かなきゃ。ちょっと今日は用事があるんだ」
「そっか。話してくれてありがとう」
「じゃあね」
眞白が歩いて去っていく。でもまだ黒は消えてない—————
「眞白!——明日も、明日もここに来てくれないかな?同じ時間に。待ってるから。僕は待ってるから!」
眞白はすこし驚いたような顔つきをした。数秒後、眞白は微笑んだ。———すこし黒色が薄くなった気がした。
第3話 本当は
後日、約束の時間
昨日と同じように僕は眞白を待っていた。なんとしてでも眞白が罪を犯すのを食い止めたい。
でも、僕に何ができるんだろう?眞白に対して僕は何をしてあげられるのだろうか?
「玄弥くん。今日も来てくれたんだ」
背後から声が聞こえた。
「眞白!来てくれたんだ。ありがと。」
よかった。ひとまず安心する。
「まぁ、この時間帯は暇だからね。昨日はちょっと用事があったけど。」
この先彼女を非行に走らせないためには、この方法が最適解な気がする。
「あのさ、眞白。聴いてほしいことがあるんだ」
「どうしたの?」
「サングラスを付けてるって言ったじゃん?その理由なんだけど、『色』が見えるからなんだ」
「色?」
「うん。人からにじみ出るオーロラみたいなものなんだけど、その…眞白の色はさ」
「なに?何色なの?」
「黒、なんだよね…」
「……それって悪いことなの?」
「うーん。今まで黒い色の人を見たのは一回だけ。その人は…ひどい罪を犯した。」
その後、長い沈黙が流れた。
——かとおもうと、眞白が突然吹き出した。
「……アッハハハハハ‼私がそんなことすると思う?できるわけないでしょ。そんなことする予定も当然ないよ。てゆうか、玄弥君私のことそんな風に見てたの?」
眞白は笑い、涙ながらに訊く。眞白の様子から嘘をついているようには思えなかった。
「ちっ!違うよ!でも眞白には絶対そんなことしてほしくないから。いや、僕もそう思うよ。思うけど…」
「思うけど?」
「黒色が消えないから…」
「とにかく、大丈夫だよ。」
「そっか。それならいいんだけど…」
今は眞白を信じるしかない…
「ねぇ、この後時間ある?ご飯食べに行かない?今日は暇なんだ」
「いいけど…ほんとに僕でいいの?誘われたのもはじめてだよ」
「いいに決まってるじゃん!行こ!」
そのあと僕たちはとても楽しい時間を過ごした。僕にとってその時間は後にも先にもかけがえのない時間だった。また会う約束をしようとした。けれども眞白はアルバイトで忙しいらしく、この前の「用事」もその関係だったらしい。けど、連絡先だけは交換した。
その日のうちに「黒色」が消えることはなかった……
今日も海辺に行った。眞白に会うためだ。けど眞白は来なかった。メールを送ったがしばらく返事がない。大丈夫かな…眞白…
それから、何週間か経った。眞白は今、どうしているんだろう。そんなことを考えながら今日も海辺に行く。
段々涼しくなってきた。波の音が本当に心地いい。かもめの鳴き声も遠くで聞こえる。
眞白は今日も来ないのだろうか。不安と期待を抱きながら海を眺めていると唐突にスマホの着信音が鳴った。
—————眞白からだ……!
そのメールを読むと僕は血の気が引いていくのを感じた。
僕はいてもたっても居られなくなり、眞白に電話をかけた。何度も何度も。けれども出てくれなかった。
—————この数日後、眞白が自殺したことがわかった。
[MAIL]
玄弥君へ。しばらく会ってないけど、元気かな?君は私の最後の友達だから、悔いのないよう伝えたいことを伝えるね。
アルバイトって言ってたけど、ほんとは水商売やってたんだよね。SNSで四、五十歳の大人と知り合って、実際に会って、一回1万5千円とかもらってた。
なにやってんだろ……私って思って疲れたときに行く海辺に行ったら……玄弥君がいた。
どうせ死ぬならもう恥とか言ってらんないなって思って、思い切って話しかけた。玄弥君は優しくて、ありがとうなんて言われたことも久しぶりだったなぁ……。あとごめんなさい。玄弥君には嘘ついちゃったけど、お母さんの仕送りなんてないの。私の両親は幼い時にどっか行っちゃった。奨学金とか生活保護を受けてなんとかやってたけど、贅沢したいなぁ……って思って、水商売に軽い気持ちで水商売に手をだしたら、抜け出せなくなっちゃった。
ごめん。ごめんね。もっと自分を大切にすべきだった……。玄弥君。もっと違う環境で、世界で、君と出会いたかった。私はあなたに会うのが半分楽しみで半分つらかった……でもやっぱり……本当は。本当はさ……死にたくないなぁ。玄弥君ともっと話したいなぁ…
…でももうダメなんだ私。疲れちゃったよ。もう誰にも迷惑かけたくない。かけちゃいけない。
きっとこんなの間違ってる。そんなのわかってる。わかってるけど、もう先を見たくない。
けどね、玄弥君。君のおかげで思い残すことはないよ。
ありがとう。
さようなら。
眞白の自殺はニュースで知った。死亡推定時刻は眞白が僕にメールを送った数分後。首を吊って……
……黒色は罪の色じゃなかった。死の色だった。僕はなんて勘違いをしていたんだろう。
———最悪だ。僕がそのことに気付けていたら、「黒色」が何を表すのかをもっとはやく知ることができていたら————
涙が止まらなかった。少し後に自分が涙を流して嗚咽しているのに気が付いた。
眞白……あぁ、眞白……!なんで……!
だって本当は、本当は。
死にたくなかったんだろ?
第4話 後悔
二十六歳、会社員。
あれから何年か経ったが、僕は無事大学に行き、就職もすることができた。
職場環境は特別に僕が常にサングラスをかけていても許してくれるくらいにはそこそこいい環境だ。上司の人当たりも良く、事情をわかってくれて本当にありがたい。
給料に関しては少し安い気がするが独り身で生きていくには十分な額だった。
そういえば、今日は久しぶりに日佐人と飲む予定だ。
会話が弾むといい。
定時がすぎて、僕は少しの残業を片付けると、約束の場所に向かった。
約束の場所というのは居酒屋のことで日佐人と会うときはたいていここと決まっている。この居酒屋のおつまみはどれも美味しいものばかりで、酒がいつも進んでしまう。中に入るとすでに客で賑わっていて、日佐人はもう席に座っていた。
「よぉ、玄弥?久しぶりだな!」
日佐人はラーメン、餃子、チャーハンと頼めるだけのものを頼んでありったけ口に頬張っていた。
「日佐人こそ、相変わらず元気だね……」
「おやっさん!ビール2杯!あとおつまみ!」
やはり相変わらず、元気だ———
「結婚生活、うまくいってるの?」
僕は尋ねた。
「お?早速聞いちゃう?俺の順風満帆なライフを?」
「あぁ……やっぱやめとこっかな……」
そこから僕らは楽しく談笑した。結婚、世間話、職場の話。それから話は過去へと向かった。
「そういえば、今でも玄弥は行ってんのか?その…眞白ちゃんのとこに」
「あぁ……もちろん」
日佐人には眞白のことを伝えた。その時彼は確か、じっと静かに話を聞いてくれた。
「そっか……玄弥にもいつかいい人が見つかるといいな。もちろんそういう問題じゃないかもしれないけどさ」
その後少し沈黙が流れた。
「そういえば、なんで日佐人は僕のことを気にかけてくれるんだ?」
「え?」
「いや、確かに最初は気になって話しかけてくる人は多いけど、継続的にこう関わりを持ってくれる人はあんまりいないからさ。なぜだろうって思った」
「特に深い理由はないが…気が合って話しかけやすいから…かな?」
「そっか。そんなこと眞白も言ってたっけな…。やっぱ忘れられないんだよなぁ……。うん。あの日から一秒たりとも眞白のことを忘れたことはない。彼女のことをもっと理解していれば、助けられたかもって…」
「でも二回しか会ってないんだろ?」
「まあね。それでも、それでも、あの時また会いたいじゃなくて、何かもっと違う言葉をかけていたら、未来は変わったのかなって…」
「例えば?何を言ったらよかったと思うんだ?」
「……愛してるとか?」
「ハハッ!直球だな!
……すまん。つい笑ってしまった……でも、これは非常に主観的かもしれないけど、もし俺が眞白だとしたら、言ってほしいのはそれじゃないな」
「何?」
「いや、愛してるも結構嬉しいと思うんだが、やっぱり一番言ってほしいのは『一緒に生きよう』って言葉かな……」
その後も僕らは数時間に渡って談笑し、自然と酒も進み、夜が明けるまでその店にいることとなった……
そういえば、僕が「見える」ものは色だけではなくなった。何かしらの「姿」が見えるようにもなった。ちなみに日佐人の「姿」は太陽。まぁ、名前、性格から考えてもともに納得できる。
しかし、ずっとこの色に関して分からないことがあった。
———自分の色が見えない。もちろん「姿」も。
鏡を見てもなんの色も見えてこない。
僕は、何色なのだろう?
第5話 悩み
玄弥との会話でも話題には出たが、あの日から僕は一秒たりとも眞白のことを忘れたことなどない。
「一緒に生きよう。か……」
———そんな言葉をかけてたら、未来はもっと違っただろうか?
わかっている。考えても仕方ないことだと。
けど……けど。無理だ。考えてしまう。
今日は少し残業が長引いてしまった。
冷たい風が吹き空は満月の光で照らされていた。雲の形がぼんやりと見えた。
前から人が歩いてくる。下を向いている。悲しそうに、疲れ切った様子で。
————色は……深緑色の草。頭の良い人なのだろうか?思い詰めすぎないでほしいが。
帰る途中いろんな人を見た。黒色もあの日から何人か見た。彼らには死神が憑いていた。けどもうどうでもよかった。いちいち気にしていたら、きりがない。
……いや、違う。本当は眞白が死んだからだ。それでもうどうでもよくなってしまったんだ。
————もっと早く姿も見えるようになっていたら……そんなことをまた考えてしまう。
——その時だった。いつも通り公園を横切ると、少年がベンチにひとり座っていた。色は…紺色の深海。
僕は驚いて話しかけた。
「どうしたの?こんな時間に?迷子?家出?」
「この先の道が、わからないの。」
「この先の道?帰り道のことかな?」
「ちがうよ。未来のことだよ。」
「あぁ、なるほど…不安なんだね。そっか…」
唐突な話題で戸惑ったが、不思議と自分は落ち着いていた。今僕がこの子に伝えられることは……
僕は一息ついてから話し始めた。
「僕も…不安だよ。この先、この気持ちをどうしていったらいいのかわからず、悩んで悩んで、悩み続けてる。でもね。この頃ようやく気づいたんだ。それでいいんだって。わからないけど、わからないなりに進んでいいんだよ。大丈夫。大切なのは君が生きたいように生きることさ。人は本来生きることを前提に生きるんじゃなくて、生きるために生きるんだよ。」
話しながら自分の中でも心が整理されていくのを感じた。僕はその少年の目を真剣に見続けていた。
「どうゆうこと?」
「ははっ。子供にはまだ難しいかな。ま、わかる時が来るよ。君が今その不安な気持ちを抱えているだけでもすごいことなんだから。」
少年は数十秒何か考えを巡らせていた。
ん?というか…色が…
「ありがとう。何か…進めそうな気がする。」
「え?ああ、うん。そういえば君、名前は?」
「空也(くうや)。」
「空也か。いい名前だ。」
「お兄さんは?」
「ん?玄弥だよ。」
「玄弥さん、また会ってくれる?」
「もちろん。この辺に住んでるから、たぶんまたすぐに会えるさ。じゃ、暗いからもう帰りな。子供は寝る時間、だな。」
「またね!玄弥さん。」
「ああ。」
空也という少年には何かとても興味をひかれる部分があった。
先の道か…さて、僕はどうなることやら…
ベッドに横たわって考えていた。自分に見える色や姿について。この能力が役に立ったことはない。というかさっきなんで————
まあいいか。また空也に会えるといい。そんなことを考えながら、気づけば眠りについていた。この先何が待っているかも知らずに…
第6話 運命
おかしい。あの少年、空也に会ってから、人の色が見えなくなった。いや、見えてはいるんだが、いろんな色に目まぐるしく変わる感じだ。
どういうことだ?こんなの初めてだ。
それから2週間が経過した。が、相変わらず色が定まらない。変化と言えば灰色をもつ人が増えたような気がする。それでまた不安になる。あの日からわざわざ公園の道を通り空也がいないか確認してみるのだが、二度と空也を見かけることはなかった。
目の前に眞白がいた。僕は眞白のことを後ろから眺めている。声が出ない。僕は眞白に触れようとする。その肩に触れようと全力で走る。
でも手が届かない。眞白が僕から離れていく…‼
「眞白、待って!逝かないでくれ!眞白!」
僕は心から必死に叫び続けた。何度も、何度も、何度も……
「はっ!」
目を覚ました。眞白がいなくなってから、しばしばこの夢を見る。その度に自分が心底眞白に惚れていたことを自覚する。
頭を数回掻きむしった後、僕は頬を叩いて気を取り直した。
そうだ。色が定まらずともサングラスをかければ何とかなる訳だし、もとより他人には色が見えないらしいじゃないか。
そう考えれば、色の喪失はそんなに気にすることじゃあない。
おぼつかない気を感じながらも朝の支度をして、会社へ出勤しようとした。
そして玄関を出ようとしたその時だった。
突然、電話がかかってきた。
[非通知電話]
なんだ?セールスか?音量を最大にしていたため驚いてしまった。何か気になるものがあったが、電車に乗り遅れるといけないと思い、その電話にはでなかった。
しかしその日の夜、また[不明]の電話がかかってきた。朝と同じ電話番号。
仮にセールスの電話だとしても、一日に同じ電話番号にかけてくることはないだろう。
いや、かけてくるとしても朝から昼の間にかけるだろう。
ということは僕のことを知っている人物がかけてきている可能性が高い。
誰だ?数秒の迷いはあったが、僕は出ることにした。抑えきれなかった好奇心のせいだ。
「もしもし?」
「もしもし?あの、玄弥さん?ですか?実は僕桐谷眞白という女性に関係していた人の調査…を現在している者でして…」
—————耳を疑った。まさか眞白の名前が出てくるとは。電話の声は男性だ。しかしあれからもう約十年経っている。なぜ今になって?
咄嗟のことで言葉を失ってしまった。
「もしもし?」
「あぁ、はい。知っていますよ。知っていますとも。しかしなぜ、眞白さんのことを?」
「えっと…話すと長くなってしまうので、日を改めて直接、お会いできないでしょうか。そこですべて話させてください」
「あぁ、そうですか。わかりました。でしたら18日の……」
その後その男とは会う約束をした。しかし、本当になんで今更…
月曜日、僕は有休をとり、電話をかけてきた男に会いに行くことにした。なんでも休日は子供がいるから不都合だったようだ。場所はファミレス。
先に着いたので席に座っていると、一人の男がこちらに歩いてきた。
「あの…玄弥さんですか?」
「ああ、はい。あなたは…えっと…そういえば名前を聞いていませんでしたね」
「あぁ、そうでした。申し訳ありません。私は山崎蒼真(そうま)と申します」
「山崎さん。いや、突然驚きましたよ」
「はい、まずは二度に渡っての突然のお電話、大変申し訳ございませんでした」
「いえいえ、謝罪は必要ありませんよ。それよりも…」
———なぜこの男は眞白を知っているのか。
「はい。まず私と眞白の関係についてですが…眞白とは、恋人以上の関係にありました」
眞白には彼氏がいたのか……!
「恋人以上?恋人ではなくてですか?」
「ええ。実は私と眞白の間に子供が産まれたのです。まだ結婚はしていなかったんですが…」
「……え?でも眞白はあの時…」
「はい。眞白は十六歳で出産をしました」
つまり、僕と会ったのは出産してから一年後ということか…あの時の眞白にそんな事情があったとは…
「その時の山崎さんの年齢は?」
「二十歳です…もちろん、子供は今でも大切に育てています。……眞白はもういませんが……」
「それで、なぜ僕の電話番号を?」
「あぁ、はい。眞白の携帯に「玄弥」と書かれた連絡先がありまして、他に男性の名前の連絡先は自分以外見当たらなく、眞白と親しい関係だったのかと思い、もしそうなら何か話が聞けたらと…」
「そうだったんですか。しかし、その…」
「構いません。話してください」
「はい…眞白がなくなってから、もう十年ほどが過ぎています。なぜ今になって僕に電話をしてくれたのでしょうか?」
「本当にお恥ずかしい話ですが、眞白がいなくなったあの日から、自分はやけくそになっていまして…生きる目的を見失ったまま、なんとなく生きてきて。立ち直ることもできないまま気づけば十年が過ぎていて……。けど、少し前に息子にあることを言われてハッと我に返りまして。涙が枯れるくらい泣いたあと、誠実に生きる決心をし、眞白のこととも向き合おうとようやく決心が着いたのです」
「息子さんが言ったあることとは?」
「わたしのやけくそ状態を見て、息子も不安になることが多く、時々一人で私の気づかないうちに夜、外に行ってしまうことがしばしばあって、そこである人に言われたそうなんです。「君が生きたいように生きていい」と。息子に行った言葉だとわかっていたものの、私が頭を打たれた思いでした」
ん?なにか聞き覚えがあるな…
「ちなみに、息子さんの名前は?」
「空也です。青空のそらになりと書いて…」
第7話 真実
———驚いた。まさかあの少年が眞白の息子だったなんて。しかし思い返せば、どこか懐かしいきがしないでもなかった。
「そのある人とは多分私のことです————」
僕は山崎さんに告げた。
「え?そうだったんですか!驚きました。いや、本当に……。つまり、私は玄弥さんに救けられたということですね。本当に。本当にありがとうございました」
山崎さんはたいへんに感銘を受けているようだった。そこで僕は空也のことに話題を向けた。
「最近、空也君はどうしていますか?元気ですか?」
「ええ。私が正気を取り戻してからというもの、はじめこそは戸惑いを見せていましたが、徐々に慣れてくれたみたいでいまでは完全にとはいきませんが、仲良く暮らすことができています。空也は本当に優しい子です」
「そうですか。それはよかった。それからお尋ねしたいのは眞白がなぜ一人暮らしをしていたのか。ということですが…もちろん、山崎さんに差し支えなければですが…」
「気をあまり使わないでください。……しかし、そういえば玄弥さんと眞白さんの関係をまだうかがっていませんでしたね。よろしければ教えていただけませんか」
「あぁ、そういえばそうでした。すみません。こちらの話もせずにずけずけと。自分の悪い癖です」
僕は山崎さんに眞白との思い出を話した。メールのことも。
それから僕の眞白に対する思いも告げた。
「こんなことを山崎さんの前で言うのは少しおかしいかもしれませんが、僕は眞白に心底惚れていました。ですから眞白が自殺したと知った時は本当に心が傷み、後悔の念に駆られ続けました。もちろん、今でも」
「そうでしたか……。眞白は最後まで思い悩み、迷っていたんですね……。玄弥さんの気持ちもわかります。眞白は本当にきれいだった……。」
数秒間を置くと、再び山崎さんは話し始めた。
「先の玄弥さんの質問に答えなければなりませんね。まずは眞白が妊娠したとわかった時から。その日、私たちは何度も話し合いました。私は眞白の意見を最大限尊重したいと思い、その気持ちを伝えました。眞白はどうするべきか迷いに迷っていましたが、最終的には産むという決意をしました。私も全力で子育てのサポートをすることを誓いました。そして出産を迎えました。元気な男の子でした。
と、そこまでは順調だったのですが……半年ほど経ったあと、眞白が一人で泣いているのを見かけたのです。すぐに駆け寄って訳をきくと、妊娠したことがわかってから休学をすることになり、その理由を眞白が親しいと思っていた友人に聞かれ、彼女は本当のことを伝えたそうなんです。その数週間後、眞白のクラスグループでこんなメールが流れていたそうなんです」
「産まれた子可哀想ー」
「子供の気持ち考えろよ、クズ」
「ヤるだけヤってできちゃった的な?」
「将来のこと考えてるのかな?」
「眞白が妊娠したことは高校ではその子にしか伝えていないようなので、おそらくその情報をクラスに流したのはその子で間違いないだろうと。
眞白は親しいと思っていた友人がそうではなかったこと。子どもの将来の不安を突かれたことで不安になっていた様子でした。
そのメールが流れてから何カ月も経っていたため、『なんですぐに教えてくれなかったんだ!』と怒って聞いてしまったんですが、『一人で考えたかった』と……彼女はそう答えました。
それから、眞白は私に少しの間一人で考える時間が欲しいと言ったのです。
私は眞白の考えを尊重はしたかったのですが、母親がいないで、空也はどうするんだい?と空也の心配を口に出しました。
しかし、眞白は「すぐに戻るから」といって一人で暮らすことの決意を変えませんでした。
仕方なく、私は最低でも一年で必ず戻ってくることを条件に眞白が少しの間一人で暮らすことを許しました。
しかし眞白とは完全に連絡まで断っていたわけではなく、少なくとも2週間に1回は必ずビデオ通話をするようにしていました。
眞白が死ぬ直前まで———
玄弥さんと同じです。あの時なんで気づいてやれなかったのか。十年経った今でも、悔やんでも…悔やみきれません」
話すうちに山崎さんの目からは涙が溢れていた—————
「眞白が亡くなった後、私宛の遺書が届きました。玄弥さんと同じです。そこで眞白が空也の将来のお金のために売春にまで手を出していたことを知りました。それで心が壊れてしまったことも————眞白はずっと一人で抱え込んでいたんです。幼いころから両親もいなかったみたいで、悩みは自分だけで背負うものと考えていたんでしょう。それでもやっぱり……話してほしかった……」
ファミレスの穏やかな空気と今僕たちがしているこの話はどこか不釣り合いなものがあった。
僕もまた眞白に対してあきらめきれない気持ちがあったため、山崎さんにお願いをした。
「山崎さん、もう一度だけ空也君に会わせてくれませんか。眞白の子と知ったうえで空也君をもう一度見てみたいのですが—————」
「ええ、もちろん、一度と言わず何度でも。何度でも会ってやってください」
その後、休日に空也と会った公園で会う約束をして僕は山崎さんと別れた。
あぁ、そっか。僕は長い間感傷に浸っていた。
海を見つめていた眞白を思い出す。
山崎さんの話を聞いてやはり度々考えることがあった。
僕は眞白に何をしてやれたんだろう……
第8話 幻影
その日、僕は予定通り公園に向かった。
「あっ!玄弥さん!」
公園には空也一人が待っていた。やはりよく見ると眞白にどことなく似ている……
山崎さんはどうしたのだろう?
「あれ?空也、お父さんは?」
「なんか、急な仕事が入っちゃったみたいで。とりあえず行っておいでって言われたから。」
「そうなんだね。ちょっとあのベンチで話さない?」
それから僕たちはベンチに座った。
「どう?空也、最近は?楽しい?」
「最近なんか、お父さんも優しくなったし、学校ももうすぐ運動会で楽しみなんだ~」
「そっか。九月ももう終わりで運動会の時期だな。空也の小学校もここから近いんだよね?暇だったら見に行こうかな」
「ほんと⁉来てくれると嬉しいな。」
空也は微笑んだ。
「そういえば、この前お父さんが玄弥さんは僕のお母さんのことを知ってたって言ってたんだけど、本当?」
「う、うん。知ってるよ……えっと、空也はお母さんのこと…知ってるの?」
少し空也に眞白のことを話すのを躊躇った。眞白は空也の物心つかないうちに死んでしまったのだから……。
「うん。もう、いないんだよね…お父さんがこの前話してくれて、まだよくわかんないけど……。もういないってことだけはわかった」
「うん……。そっか…。空也は強いね」
言葉にならない感情が、込み上げてきた。
空也に眞白のことを。お母さんのことを伝えてあげたい———
そう思った僕は空也に眞白のことを話し始めた。
「空也のお母さんはね、とても透き通っていて美しかったよ。それはもう、天使のような人だった……。」
「えー?もしかして玄弥さん、お母さんのこと好きだったの?」
「はは……もうばれちゃった?」
「あとは?もっと知りたい!」
「そうだな……ちょっと話がそれちゃうかもしれないんだけど。僕には『色』が見えるんだ。」
「色?それならぼくにも見えるよ?」
「いや、なんだろう、変に聞こえるかもしれないけど、人から出るオーラ?みたいなのが見えるんだよね。今かけてるサングラスも実はそのためなんだ」
「うーん。じゃあ例えばぼくの色は?」
「空也と出会ったとき見えた色は紺色、姿は深海」
「紺色の深海?」
「あぁ、なんか少し前から姿も見えるようになった。はずなんだけど、ここ最近ずっと色が定まらなくってさ。あと、自分の色はずっと見えてないのも気がかりだ。まぁ、それはいいんだけど、時々、空也のお母さんが夢に出てくるんだ。その夢では僕は空也のお母さんに手を伸ばすんだけど、どうしても届かないんだ」
「お母さんにはなにが見えるの?」
「夢の中では純白の翼を生やしてどこか遠いところへと飛んで行ってしまうんだ。眩いほどの天空へと飛んでゆくんだ」
「ふーん」
「とまあ、僕が空也のお母さんに対して抱いた印象はこんな感じかな?とにかく純粋で優しい感じだったよ」
「ねぇ、玄弥さん。その……色が定まらない?って言ったよね。自分の色が見えないとも。」
「うん。そうだけど」
「僕にはわかんないことかもしれないけど。もしかしてそれって、玄弥さんが勝手に思い込んでたものなんじゃない」
「……え?」
「だってぼくも色は見えないけど、人のイメージカラーみたいなのは考えられるよ。でもそれって見る人によって多分違うよね。それに自分の色が見えないってことも自分で自分のイメージを考えることができないからじゃないの?」
「僕の妄想だったってこと?」
「ちょっとサングラス外してみて」
言うとおりにサングラスを取る。
「色のことを考えずに、「ぼく」を見てよ」
空也。ただ空也を見つめることに集中する。
あれ?色が………見えない。初めて空也と会って最後に空也に感じた違和感。それは色が見えなかったことだった。
「色が見えないよ…空也の」
「じゃあぼくの推理が合っていたってことだね!良かったね、玄弥さん!」
驚いた……。今まで僕が見てたのはただの妄想だったってことか……?でもそれなら不安な気持ちでいっぱいだった時、周りの人が灰色を持つように見えたのにも合点がいく。
もう……『色』で苦しまなくてよくなるのか……?空也以外の人を見てみる。さっきのように真剣な眼差しで。あの人は家の帰りを急いでいる。あの人は嬉しそうに歩いている。あの人は……あれ?なんでわかるんだ。色は見えない。
「そっか…僕が今まで…今まで見てきた色も他人の仕草、表情、行動から瞬時に読み取ったに過ぎなかったってことか…僕は人の本当に些細な表情や行動を読み取れるだけだったのか。そっか………。
ありがとう…ありがとう、空也。自分だけじゃ気づけなかった……」
僕は人のことをちゃんと見ようとしていなかった。ずっとこれまで色に頼っていた。
眞白の時もそうだったんだ……。あの時は色のことで頭がいっぱいだった……。僕はどれだけ眞白自身のことを見ようとしていただろう……?
空也は泣き出しそうになっている僕を不思議そうに見つめ、やがてそれも飽きてきたのか僕に言った。
「玄弥さん。僕とサッカーの練習してよ。友達に負けないくらいうまくなりたいんだ。」
「うん。いいよ。空也のためなら、なんでもするさ。」
———きっとそれが今の僕にできる眞白に対するせめてもの償いになるだろうから。
ありがとう、空也。
ようやく気付いたよ。
僕が今まで見てきたものは、幻影にすぎなかったんだね。
幻影 完