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イミテーション (全編)
違和感
人は模倣をする生き物だ。言葉も行動も全部誰かの真似。私は何なのか。本当の私なんてそもそもいないんだろうか。
これは私が「私」を見つける物語———
朝六時。けたたましく音をならす目覚まし時計に起こされた。九月ももう終わりに差し掛かろうとしているせいか、朝は以前より寒くなった。よって布団から出たくない。そうしてまたゆっくりと微睡んでいく…………
十分後、案の定母に起こされる。
朝御飯を食べながら今日の英語の小テストの勉強をする。昨日やっておけばよかったという後悔を感じながら。
退屈な授業、退屈な学校、退屈な毎日。そんなマンネリ化した日常を生きているとふと感じることがある。
————これって、私が選んだ道だったっけ?
学校に向かう途中、いつものように声をかけられた。
「あっ、さとは!おは~!」
「朝からテンション高いな。なんでそんな元気なの?」
同じクラス、同じ部活で親友の心美。今日も元気でうらやましい。分けてほしいくらいだ。
「だって今日からテスト週間じゃん。学校終わったら、とりあえずスタバ行こっ!」
「心美はほんとスタバ好きだよね~」
「てかみてこの人、チョーイケメンじゃない?」
心美はスマホの画面を私に見せて言った。
「あ~最近はやりの愛・LOVEね。確かに。かっこいい。」
そういいながら私は自分の言葉にかすかな違和感を抱いていた。
ちなみに愛・LOVEとは初対面の現役高校生が本気の恋愛を初対面ながらするという最近流行りの恋愛リアリティショーの類だ。出てくる出演者が美男美女ばかりらしく様々な層からの人気を得ている。
「あたしもこんな彼氏ほしいなぁ~」
「心美はかわいいから、これに出演できるんじゃない?」
——違和感。
「まぁね~。ま、私レベルになるとオファーが来てもおかしくわないよね~」
そんな会話をしているうちにいつのまにか学校に着いていた。
なんだか最近人と話しているときに違和感を抱くようになった。人の話を聞いてるとき、自分が話すときに、なんか違うなって感じるこの気持ち。
この違和感の正体はまだわからない。
恋愛といえば、中学生の時こんな私にも彼氏がいた。名前は細谷祐樹(ゆうき)。彼は優しかった。けど、進学したい高校がそれぞれ違っていたことから、関係は自然消滅した。時々考えることがある。私は彼の何が好きだったのだろう?顔?性格?体?いやいや。どれをとっても私が思い焦がれるようなものではなかったはずだ。あぁそうだ。彼氏できたって自慢してくる心美がうるさくって、だったら私もってときにちょうど告白されたんだっけ。つまり、彼をそのためだけに利用した?そんな理由で?
とまぁ、こんな感じで私は勝手に自己嫌悪に陥る。授業中に。いいんだ。授業は退屈だから。先生にはもっと面白い授業をしてほしい。誰も手挙げないから、最初は張り切ってた先生も意気消沈して、二学期後半くらから授業は消化試合と化す。
お決まりのパターンで、ほとんどの先生は私たちに何も聞かなくなった。こんな感じで今日も退屈な学校が終わった。
これでいい
学校帰り、約束通り私は心美とスタバに向かった。
「さとは、今日はあたしがおごったげる!」
「え?ほんと?それは嬉しい。いいの?」
「もちろん!バイトでたまったお金だし。」
心美は飲食店でアルバイトをしていた。
「どう?アルバイトは?」
「楽しいよ。先輩の人とかもめっちゃ優しいし、なによりまかないがおいしいんだよねー。」
「えぇーいいなー。まかない?焼き肉店だったよね?」
「そうそう、昨日のあの牛肉丼の味と言ったらもう言葉で表せんわ。やば、思い出しただけでおなかすいてきたー」
アルバイトか。私も何か始めよっかな?
スタバに着くと心美はキャラメルフラペチーノを頼んだ。私はいつもの抹茶クリームフラペチーノを頼んだ。これが一番おいしい。
「さとは最近バスケ部来てないでしょ?大丈夫?」
——私と心美は同じバスケ部に所属していた。心美は熱心に参加していたが、私は途中から周りとの温度差を感じ、日に日に行く頻度を落としていき、最近ではもはや幽霊部員同然になってしまった。
「いやー授業終わった後、なんか疲れちゃってさ。で、体に力はいらなくって家に直行しちゃうんだよね」
私はそれとなく答える。
「なんかあった?なんでも相談にのるよ?」
心美は本当に優しい。こうしてすぐに寄り添ってくれる。いい友達をもったと心美と話すたびに思う。
「なんか無気力って感じなんだよねー。最近学校休んじゃうのもそれが原因。朝起きられない。」
「わかる」
「あとさ。飽きてきたんだよね」
「授業とか?部活とかが?」
「んーそれもそうなんだけど、全部。かな。日常に飽きてきた。みたいな」
心美はドリンクを飲んでから言う。
「前から思ってたけどさ。さとはってなんかかっこいいよね」
「え?どこが?」
「なんかクールっていうか、一歩引いて見てる感じ。さとはのそうゆうとこ好きよ」
「こんなにひねくれてるのに?」
やっぱり心美と話すのは楽しい。自然と笑える。心美は数少ない本当に気の合う友達。大切にしなきゃと毎回思う。
それから私たちは夢中になっておしゃべりしていた。日が暮れるまでしゃべり続けたとき、もうすぐ閉店時間となっていた。
店員はきっとこいつらいつまでいるんだよ。と思っていたに違いない。
私は心美と途中まで一緒に帰った。
今日はいい日。何にもない日に比べたら幾分かましだった。これでいい。
これでいい。
バイオミメティクス
家に帰って雑事を済ませた後、私はベットに横たわって考えていた。
最近感じる違和感の正体について。
とりあえず今の状況について考えてみる。
これは私が選んだ道。今までそう思って生きてきた。
けど多分本当はそうじゃない————そう最近考えるようになった。
私はいつも周りを見てきた。周りに合わせてきた。みんなの真似をしていた。それはもう必死に。目立ちたくなかったから。みんなが手を挙げたら私も挙げる。みんながおんなじ制服着てるから私もおんなじ制服を着る。みんなが大学行くから私もなんとなく大学に行く。みんなが。みんなが。
だからしょせん真似事。考えればそうだった。JKも先にJKしてきた人たちを見てJKっぽく生きているんだよなぁ…………
そこで私はあることに気付いた。
ことばも、行動も考え方ももしかしたら全部真似してるだけなのかも。私たちは自分で決めてるようで決めてないのかも。なんかそれって悲しいよな。
ひとしきり考えを巡らせている自分に気付いて私は微笑した。なんだか哲学者っぽいな。ひとしきり考えた後に一人でニヤリとする。
私にはこういう癖があった。
今日は二時間目に生物の授業があった。いつものように退屈しながら聞いていた。けど、途中少しだけ私にとって興味を惹かれる話題があった。
「みんな、バイオミメティクスって知ってるかな?知ってる人?」
先生が聞く。
誰も手を挙げない。
「日本語だと生体模倣技術とかって訳されてる。こっちの方がわかりやすいな。その名の通り生き物の形とか機能なんかを調べて、新しいものづくりに生かす科学技術のことをいうんだ。身近なところだと、例えばサッカーゴールのネット。あれはハニカム構造といってハチの巣とかカメの甲羅でみられるな。ほかにも蚊の針を模倣した注射器とか、カワセミのくちばしを模倣した新幹線、コウモリの超音波を転用したレーダーやソナーとか身の回りにいっぱい生物の特徴が活かされてるんだ」
確かこんな感じのことを話していた。眠たかったけど、その話を聞いているうちに気付けば目が覚めていた。なんだ。人間は動物すら真似してるんだ。模倣———
手元にある電子辞書で調べる。
模倣:自分で工夫して作り出すのでなく、既にできているものをまねること。
そんな言葉があったんだ。おー私が昨日考えた「真似の法則」の語感をかっこよくしてくれそうな言葉があるではないか。模倣の法則。これについての本でも出版しようかなー。
虫=キモイ??
あの授業を除いて退屈な学校が終わった後、心美はバイトのため今日の私は家に直行した。いつものように手洗いもせず、着替えもせず、ベッドにダイブしてしばらくSNSをいじる。基本的にくだらない。炎上、歌ってみた、踊ってみた、奇跡、小ネタ……こんなの見て何が楽しいんだろう?私にはわからんな。
つづけて気になる話題を求めてスクロールしていった。
内閣更迭、右翼、左翼、模倣犯、反出生主義……なにこれ。
ふーん。こんな考え方もあるのかー。でもあんま興味なーい。どうでもいいい。
もう何に対してもやる気が出ない。全部誰かの真似事。はぁ……死のうかな?
あぁ……
思った後に私は気づく。
自殺すら模倣じゃん。
今日もまた学校で授業を受ける。ほんとは休みたい。でもあんまり欠席すると出席日数が足りなくなってしまうから。あぁ、ほんとにうざい。ふあぁあ。と力のこもらないあくびをしていると、突然「きゃぁ」という叫び声が聞こえた。
何かと思って目を向けると、カメムシが羽音をたてて教室に入って来ていた。
「うわぁ、臭いやつだ」
「きもい、きもい」
生徒たちが騒ぐ。みんながカメムシに注目する。
———違和感。
その後、事態に気付いた先生が他の窓も開けると、命の危険を察したのか、カメムシはすぐに窓から飛んで行った。
あぁ、もうすこしいてほしかったな。そしたら授業つぶれたのに。
いや、それよりも。私が感じた違和感。
なぜ、虫は気持ち悪いのだろう?
今日は心美と一緒に帰った。歩きながら心美が嘆く。
「虫は嫌だけど、もうちょっと授業中断させてほしかったー」
「ねぇ、虫って本当に気持ち悪いのかな?」
私は疑問を口にしてみる。
「え?だって足とかうじうじしてるじゃーん、そこがきもい」
「うじうじしてたら気持ち悪いのはなんでなんだろう?」
「え、そんなの……」
心美は言葉に詰まった。
「考えたことないよ」
「私さ。最近考えてるんだけど、真似してるだけなんじゃないかって思うんだ。だって私幼稚園児の時とかって虫を見てもなんとも思わなかったよ。なのに、小学生当たりから虫は気持ち悪いって、気づいたら思うようになってた。
これってさ。私が他の子のきもいって気持ちを模倣したってことなじゃないかな?って思った」
二人の間に長い沈黙が流れた。すると心美が口を開いた。
「……え?やば。なんかさとはめっちゃ頭良くね?なんかよくわかんないけど」
心美は少し黙って何か考えていた。珍しい。私は心美のその珍しい姿を目に焼き付けていた。すると数分後心美が口を開いた。
「最初に虫が気持ち悪いって思ったのは誰なの?」
その疑問は的を得ていた。
「……確かに」
「真似してるんだよね。ってことはだれか教祖様―みたいなひとがいるんじゃない?」
……そっか。そりゃそうだな…………
「そのまねまねの考えでいくと、なんでその教祖様が虫きもいって考えたのかがきになるなー」
「心美」
「?」
「めっちゃ頭いいじゃん」
「アハハ!さとはのおかげかもね!でも真似だったとしてもきもいのものはきもいっ!」
うーん。またわからないことができちゃったなー。
考えにのめりこもうとしている私を見かねてか、心美が言った。
「まっ!さとは。もうすぐテスト週間も終わっちゃうことだし、カラオケ行こっ!」
「心美、毎日記念日化してない?……いいよ。何歌おっかなー」
その後私たちはカラオケに向かい、のどがつぶれるまで歌った。
———心美は元気すぎる。のどがガラガラになっても歌おうとして、笑いが止まらなかった。
宿題(アポリア)
うちに帰って今日の問題を考える。もちろん宿題の問題じゃなくて、心美が出してくれた問題を。
模倣だとするなら誰が最初に考えたのか?
多分答え出ないなー。これ。
私は寝そべって思う。代わりにまた模倣について考えた。この考え方は私たちの行動すべてに当てはまる気がして魅力的に感じていたから。ほかにどんな模倣があるかな?うーん……
近いとこで言うと、学校。あのつまらない授業もきっと前からの名残だ。新しいことを始めようとせずに、模倣し続けた結果だ。
新しいこと……そうか!新しいことを始めたかったから。心美の問題はそれが答えなんじゃないか?昔の人が斬新なことを求めたから。虫が気持ち悪いとしようって認識をひろめようとして……すべての感情の始まりはそうなんじゃないかな?
いや、一旦冷静になろう。
新しいことを考えようとして虫がきもいって……きもいって……思うかな?新しいこと考えよう!虫が気持ち悪いとしよう!ってのはちょっと有り得ない気がする。
じゃあ、昔の人が虫に襲われたからとか?その時の恐怖が気持ち悪い、ぞくぞくってするあの感じを生じさせて今に至るんじゃない?
いや、でもそれだと熊とか襲ってくる動物は虫以外にもたくさんいたはず。けど熊は気持ち悪くはない。突然出くわしたら確かにすごい怖いけど気持ち悪いとは思わない……
はぁ。なんかわかりそうだったのに。
私は枕に顔をうずめた。
そして、他にも模倣がないかを考えた。学歴。周りの子がいまだに旧国立大学にこだわるのは、過去の国立大のネームバリューにすがりたいから。もうとっくの昔に全部私立大になっていうのに。大体国公立大学なんて何年前の話だよ。くだらない————これも模倣。
でもよく考えると過去に私も模倣したことあるな。例えば、由美(ゆみ:バスケ部の友達)と話していたとき、心美が言いそうな返答をしたことがある。その時は別にあからさまに心美の物まねしまーすって感じじゃなくて、自然と出たんだよな。
あれって言った後に心美が言いそうだなって思ったのか、それともいう前から心美が言いそうだなって気づいてたのかどっちだったんだっけ————
でも、あれは意図的に模倣したわけじゃない。由美がなんか言った後に、自然と心美が言いそうな文が頭に浮かんできた。
無意識。無意識に模倣しようとしていた?
あぁ、考えれば考えるほど、わかんない。わかんないけど、
———面白い。少なくとも勉強よりは。
私はまたニヤリとした。
ビターなカフェラテ
テストが終わって一週間ほどが過ぎた。
学校の授業が終わった帰り道、私と心美は近くのファミレスに寄り道した。今日は部活がない日だったから必然的に心美に誘われることになった。外にいるときはいつもそばに心美がいる。それだけでなんだかあったかい気持ちになる。
そんなことを考えながらカフェラテを味わっていると突然心美が予想外のことを聞いてきた。
「さとはってまだ処女なの?」
「ブーーーッ」
私は吹き出した。まるでコントのように。むせた。気管支に飲み物が……取り直して私は言った。
「何?急に?どうしたの?」
「いや、実は昨日さ……」
心寧が言葉に詰まった。
長い沈黙が流れ、私は察した。
「したの?」
私は聞いた。
「うん……した」
「あぁ……それは……良かったね……」
———違和感。
続けて私は尋ねる。
「それで、なんでまた私にそんなこと聞くの?」
「いや、もしさとはがしてたら、さとははどう感じるのかなぁ……って」
「あんたしてる間にそんなこと考えてたの?」
「いや、気持ちよかったんだよ。それはもう人生で一番って言っていいくらいに」
心美がいつもの調子を取り戻してきた。
「ただなんとなく気になっただけ」
「したことないよ。誰とも……。まぁでも一度だけ細谷君(さとはの元彼)には迫られた」
心美は驚いた様子を見せた。
「断ったってこと?なんで?」
「いや、うーん。なんでって言われると困るけど……流れでしても良かったんだけど……なんか。なんか違うなって」
「ねぇ、さとは大丈夫?思いつめてないよね?」
心美が冗談交じりに訊いてきた。
「え?そんなことないよ」
「ならいいんだけど。さとははやっぱほかの子と違う。私には考えもつかないことを考えてる。だから……」
「だから?」
「どっか遠くに行っちゃうんじゃないかって。私を置いて。……それが怖い。」
いつも気丈に振舞っている心美の本音が垣間見えた気がした。
私は心美の目を見ていった。
「大丈夫だよ。というか、心美の方こそどっかいかないでよ。心美がいなかったら私一人になっちゃうから。ごめん、ちょっとトイレ行ってくるね」
私は席を立ってトイレに向かった。その時心美が何か小さくつぶやいた気がしたが周りの音にかき消されて聞こえなかった。
「さとはは一人でも……楽しそうじゃん……」
本当の「私」
心美と別れた後、私は家で夕食を済ませ、そのままベットに直行した。また心美に考えさせられた。
私はなんであの時セックスしなかったんだろ?まあ細谷君のことがそこまで好きじゃなかったってのもあるけど。それよりも私は。私はセックスすること自体に違和感を抱いていた。つまり模倣だって思ったということだ。
私は微笑する。セックスすら模倣?
でもそういわれると、仮に性行為の知識なしであの一連の行為をなすことができるのだろうか?もちろんセックスだけじゃない。すべての固定観念や行動は何かの模倣に過ぎない。人は模倣をする生き物だ。言葉も行動も全部誰かの真似。
私だけにしかできないことなんてないのだろうか?
私は何なんだろう?
本当の私なんてそもそもいないんだろうか?
その日を境に、私と心美が二人でいる時間は減った。
何だか心美はバイトや部活で忙しいようだった。放課や昼休憩の時間では一人でいる時間も増えた。何もしないのも退屈なので、今までの模倣の考えをノートに書いてみた。自分の考えが整理されるようでこれが意外にも楽しかった。
けど、それと対照的に模倣と考えるがゆえに、日に日に心の中にストレスが溜まっていった。
もう「私」なんてどうでもいい。
ユリイカ
今日も一人で歩いて帰る。
結局全部何かの真似なのかな。友達一緒にいるのも模倣。喧嘩するのも模倣。彼氏をつくるのも模倣。感情からの言動も模倣。
本当の私はどこにいるんだろう?そもそもどこにもいないのか?
特に才能のない私にできることなんてたかがしれている。私の存在意義なんて模倣集団の一部であることくらい。そんなの嫌だな……
歩いてるうちにだんだんつらくなってくる。
結局言葉を使う限り、模倣からは逃れられない訳で、だって言葉って私が考えたものじゃなくって私より何年も前に生きてた人たちが作ったもので、けどその人たちもたぶん自分たちで考えたんじゃなくって何かを模倣して作ってて。ってことは何一つ私たち自身が考えたことなんてなくって全部誰かからの借り物ってことになる。なんなら私の命さえ何かの模倣なんじゃないか?だって人間ってほとんどの人がおんなじ体の形してる時じゃん。そりゃ太ってる痩せてる、身長が高い低いの違いはあるけどさ。なにかの型があってそれに押し込められてるだけなんじゃない?それってモデルがいるってこと。つまり模倣じゃん。
ああー。ああー。
頭がおかしくなる。いやもうおかしいか。
帰る途中少し寄り道して近くの川沿いを歩くことにした。こういうときは自然を見るといいって……
それも模倣か。
川の流れる音。鳥のさえずりを心地よいとも思わずなんとなく聞いていた。
その時だった。
河川敷で幼い男の子が父親と一緒に遊んでいた。二人は野球をしていた。父親がボールをトスする役、男の子はバットで打つ役。結局それも模倣なんだよなーと私は通り過ぎようとしたが、なぜだか二人の会話が聞こえてくると思わず足を止めていた。
「全然打てない!なんで空振りばっかりするの‼」
「鈴木選手の真似しすぎだって。もっと肩の力抜いて」
鈴木選手とは現在メジャーリーグで活躍している野球選手のことだ。私は野球に詳しくはないが二枚目であり「王子様」とはやし立てられる彼のことをSNSで嫌でも目にしていたから知っていた。
「いやだ!僕も鈴木選手みたいに打つ!」
「うーん。確かに鈴木選手は上手いよ。けど、俺はまさのバッティングフォームも見たい。鈴木選手の打ち方だけ頭でイメージして体は目の前のボールを打つことに集中してみてほしい」
「……わかった。やってみる!」
カーン
木製バットの打球音が聞こえた。
「わーすごい!打てた。打てたよ!」
「すごいじゃないか、まさ!よし、続けよう!」
その後男の子が空振りをすることはさっきよりも少なくなっていた。
私は今の一連の流れを見ていた。野球に興味が芽生えたのではない。それよりも今の男の子の過程に興味があった。
私はまた歩き始めた。男の子は模倣をしたままだった。頭の中でイメージしていたということは模倣しようとはしていたってこと。あの時変えたのは体の動き。つまり行動。
———模倣か?あれは本当に模倣だったのか?
………………‼
なんで気付かなかったんだろう。違和感の本当の正体がわかった。模倣の欠点も。私の考えは完璧じゃなかった……
あぁ、そっか。
「そういうことか……‼」
私の気持ちは一変した。
晴れやかな気分で家に帰った。ずっとわからなかった数学の問題が解けた。そんな感覚だった。
今思えばこの日は人生で一番密度の濃い一日だったのかもしれない。
この後に起こったことも含めて———
たいせつなこと
その日由美から電話があった。
心美が他のバスケ部員の子と喧嘩したらしい。その時に結花(ゆか:女子バスケ部キャプテン)の首を絞めていたのだという。あの心美が……
彼女がそんな暴挙に出るとは信じがたかった。
数秒言葉を失っていたが、すぐさま気を取り直して急いで家を出た。私は走って学校に向かった。息を切らして全力で走った。
もう日が暮れていた。
幽霊部員になってからというものもうずっと運動していない。こりゃ明日は筋肉痛だな。とこんな時にそんな吞気なことを考えてしまっている自分を叱責し、急いで心美のもとへ向かった。
今なら心美に伝えられる。大切な事。私が気づいた大切なことを心美に伝えたい……‼
体育館につくと心美が座り込んで泣いていた。周りの女バスの子たちは心美を取り巻いていた。私は近づいて心美に言った。
「心美。ちょっと来て。話したいことがある」
顧問の先生には私があまりにも部活に行っていないせいか、お前誰だ?という顔で見られたが、そんなことはどうでもいい。先生に数分の時間をくれるよう頼み、その後また必ず戻ってくることを伝えると、女子にしかわからないことがあると察したのかしぶしぶ了承してくれた。
私は心美に学校周りの道を歩くよう促した———
模倣、模倣、模倣。
私は心美に学校周りの道を歩くよう促した。
歩きながら私は心美に語り掛けた。
「心美。大丈夫?」
…返事がない。
「何があったのか教えてよ。少しは心美の力に—————」
「違うじゃん……」
心美はつぶやいた。その後立ち止まって、目を合わさずに話しつづけた。
「違うよ!さとははいつも違う‼私は頭良くないし、さとはみたいにかっこよくない‼一人でいるのもつらい。
だからみんなと一緒にいたいだけなのに……いたいだけだったのに……
いつもついてくるから気持ち悪いって言われて……私だけ仲間外れにされて」
心美はこみあげる嗚咽をおさえ、数秒間をおいてからつづけた。
「……口では直接言ってこないけどプレーからそれが伝わってきた。
ああ……私今みんなに嫌われてるんだなって…なんとかしようとしたけど、気づいたときにはもう遅かった。
それでも諦めようとしなかった私に今日結花が言ったの。『バスケ部はやめなくていいけど、もう来ないでくれる?』って。気づいたら私は結花の首を絞めようとしてた。……その時の自分は自分でも怖かった…………
けどなんで?私はみんなと仲良くしたいだけ!そのために、そのために一生懸命やってきた…………なのになんで…………」
静寂に包まれる夜道に、心美の嗚咽が響いた。
私は語り掛ける。
「心美。それってさ。模倣だ———」
「もういいってそれ‼」
心美の声が響く。
「なんなの⁉それ?友達に構ってほしいってのが他人の真似事してるだけだからやめろってこと⁉
てかもういいよ‼模倣とか。てゆうか模倣でもいいよ‼
私は仲良くしたい。一人になりたくない‼家に帰らずみんなと一緒にいたい‼それだけ‼それが私の気持ち‼」
心美が全て言い終わる前に私は心美を抱きしめていた。
今私にできること。私にしかできないことは——
「心美」
私は精一杯優しく、穏やかな口調で心美に語り掛けた。
「最後まで聞いてほしい。何も私は模倣だからってすべてを否定したいわけじゃない。分かったんだよ。心に感じていた違和感が何だったのか。無条件に信じていたことだった。私はそこに違和感を感じていたんだよ。模倣を模倣であるとも気付けずに当たり前だと信じていたこと。そこに違和感を感じてたんだ。心美は立派だよ。
私に言われて気づいていながらもちゃんと自分の気持ちとして落とし込んでる。私よりずっと……ずっとすごいんだよ心美は。私より先に心美は答えにたどり着いてたんだよ……」
気付けば私も泣いていた。
「さとは……ごめん、やっぱりそばにいて欲しい…………」
私たちは抱き締めあっていた。もうそこに言葉は必要なかった。
ふと目を開けると、何人かが私たちの前に立っていた。バスケ部の子たちだ。何人か女バスの子たちが駆け付けていた。
「ごめん。心美」
由美が言った。彼女もまた泣いていた。どうやら私たちの会話を盗み聞いていたらしい。
結花が心美の前で言う。
「ほんとごめん。私心美のことちゃんと聞こうともしてなかった。近づいてくる大会のことで頭いっぱいで……チームのためにチームのためにって考えすぎてた……心美もチームメイトなのに。ごめん。本当にごめん心美……なんにも見えてなかった。そんな当たり前のことにも気づくことすらできなかった……キャプテン失格だよ……」
由美以外の子たちも心美に謝った。
一足遅れて来た顧問の先生が来た時には私たちはもうとっくに打ち解けていた。先生は何が何だか分からない様子だった。当然だろう、喧嘩したと思っていたらもう仲直りしているのだから。
数週間後
私はバスケ部にまた参加することにした。もちろん自分の意志で。とはいっても何カ月もやってなかったから、当分はマネージャーとして参加するつもりだ。
大丈夫。もう以前の私じゃない。
それから、あとで聞いた話だとほかのバスケ部の子が結花に対して心美の愚痴を頻繁にこぼしていたらしい。何があったのかはわからないがこの一件の後その子たちがバスケ部に来ることはなかった。
心美とはもちろん親友としてほぼ毎日一緒にいる。他愛もないことを話し合って笑い、私の考えもちゃんと聞いてくれる。最高の友達だ。
ちなみに私の模倣に対する考えには続きがある。今私たちが考え、行動しているのは模倣じゃない。模倣とされてきたことを私たちが模倣していたらもうそれは模倣とは呼べないのだ。ちょっと難しいかな?模倣を掛け合わせたらそれはもう新しいものってこと!
だから今では私は先人達に感謝することにした。やがて私たちがすることもいつしか模倣となり、私たちの後の世代が新たな道を切り開いていくのだろう。まぁ、言いたいのは。模倣について考えるのは面白いってことだ。
Appendix
模倣主義を越えて(imitationalism)
近頃隆盛している模倣主義。
私はこれに対し異論を唱えたい。
模倣主義とは次のように定義される。
人間は生まれてから間もなく他人の言語や行動を模倣して習得しようとする。それを拡大解釈して、結果的にすべてのものや人間のなすことはすべて何らかのの模倣であるとする考え方。 近年では厭世主義・虚無主義の派生的な考え方として受け入れられることが多い。
また模倣の定義は以下のとおりである。
自分で工夫して作り出すのでなく、既にできているものをまねること。
この模倣主義に対して私は以下の2つの点から反論する。
1.「新しいもの」は模倣ではない
2.感情、行為の模倣の分析
1.「新しいもの」は模倣ではない
仮にすべてが模倣主義者(imitationalist)の言う通り模倣だったとしよう。そうしたときに彼らに問われるのは次のようなことである。
「すべてが模倣だとするのならどうして技術が発達しうるだろうか?」
「イノベーションはどう説明するのか?」
これらの質問にたいして彼らはこう答える。
「イノベーションすらも模倣だ。例えばスマートフォンなどどんなに画期的な発明も過去の素材や技術を用いて作られているからだ。発明は一見全く新しいものに見えるかもしれないが、よく目を凝らしてみると過去の産物の総体である。したがって全く新しいものが産まれたように思えるのは見かけ上そう見えるだけで実のところは模倣を集約させて新しいものを生み出したかのように見せているにすぎないのだ」
この主張に対しては有名な思考実験である「テセウスの船」を参照したい。テセウスの船では物事を構成する物質が入れ替わったとしても、入れ替わる前と全く同じなのかどうかということが論点となる。ここで、模倣主義者たちは「全く同じ」という立場をとっていると考えられる。
テセウスの船において「全く同じ」という立場はテセウスの船を構成する物質(木材など)が更新されたテセウスの船を全く同じと主張するということだ。
しかしここでの注意点はテセウスの船では形は変わっていないということだ。スマートフォンの例で言うのならばガラケーの性能がどれほど発達しても形状はガラケーであり続けなければならないということだ。
模倣主義者たちは素材の面を過剰に重視している。しかし、スマートフォンという総体では全く新しい形状ができているのだ。これをどう模倣と表現しうるのだろうか。彼らは新しくできたものの全体を見ず部分的にしかに目を向けていないのだ。
このことから、新しいものに関しては模倣主義の考え方は適用されない。
2.感情、行為の模倣
また、模倣主義における感情、行為について述べる。こちらの話題の方が読者にとっては理解されやすいものであると思う。模倣主義者は以下のことを主張する。
・私たちのありとあらゆる感情(悲しみ、苦しみ、怒り、おかしさ、嬉しさなど)はすべて他人から学んだことであり、それを真似したものに過ぎない。
・人は他人がなしている行為を基にして価値基準や欲望をつくり、その行為を模倣して満足を覚える。このことから、人のすること=行為も模倣であるといえる。
・そもそも言語で感情を表すことのできる時点で模倣だ。感情は言語で上塗りされたものに過ぎない。
ここで私はこれらに反論するための新たな論理を展開したい。
模倣(noun)×模倣する(verb)=新たに生成された自己流のイメージ
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この式から言いたいのはすでに存在している事物が模倣の産物であるとし、私たちがそれらに対して模倣というアプローチをするのなら、それによって生まれるものはもう模倣ではなく、自己によって獲得されたあらたなイメージであるということだ。そもそも模倣主義者たちの言う「模倣に過ぎない」というのはつまるところ「模倣(している)に過ぎない」という括弧が隠されている。彼らは名詞と動詞を一緒くたにして模倣と言っているのだ。話がそれた。では、具体例をもとに考えてみる。誰にでも当てはまりやすい「働く」ということについて考えてみよう。例えばAさんが現在無職で、働かなければいけないと思い就職活動を始めたとする。
〈模倣主義者の立場〉
「Aさんが働かなければと思った」ことが模倣である。なぜなら世界の多くの人は働くことに勤しんでおり、Aさんもそれに加わらなければならないと思い、真似することで満足感を憶えたいと考えるから。その後にAさんが就職活動をすることも同様の理由で模倣である。
〈私の立場〉
確かに「働く」ということは一般化しておりそれは模倣の既存事実として存在する。しかしながらその既存事実に対しAさんが模倣する(=働こうと思う)ことによりAさんは自分が就職活動をする姿を想起する。(尚ここで就職活動を想起すると決定づけたのは仮定を「就職活動を始める。」としたためである。)そのイメージは模倣ではなく新たにAさんによって生成されたものである。これは全く新しいものであると言える。その理由は、式の通りである。素材(Aさんの想起を発生させた原因)が模倣であろうともそれを掛け合わせて生成されたもの(Aさんの想起)は模倣ではないということだ。*
*補足:この新たなイメージがなされた瞬間に事物となった場合それを現在進行生成事物という模倣ではない事物を進行形の形で表すことがある。
終わりに
恥ずかしながら、これまで模倣主義に対して反論してきたにも関わらず筆者もかつては模倣主義者であった。加えて厭世主義的な見方をしていたことも否めない。しかし、あることがきっかけで模倣だけがこの世界のすべてではないことに気付いた。その時代は私にとって輝かしく色あせることのない美しい時代であった。
この「模倣主義を越えて」を執筆するにあたって、様々な方からの多大なご援助をいただいた。特に執筆が思うように進まない不満をいつでも真剣に聞いてくれた親友心美には頭が上がらない。この場を借りてこの本に携わっていただいたすべての方に感謝申し上げる。
中島彩都葉 「模倣主義を越えて」NZ出版社 20XX年
イミテーション 完