加速した世界の先にあるものとは
現在、5Gの利用拡大が図られているなどインターネットの通信速度はさらなる加速化を見せている。この記事ではなぜ我々がより「はやいサービス」を求めるのか。そしてその世界の先には何が待っているのか。この2点について考える。
なぜ「はやい」を求めるのか
我々は自動車、交通機関、デリバリーなど「はやいサービス」を求め続けてきた。結論から言って、これには資本主義が大きく関係しているものと思われる。資本主義下においては企業の成長が常に求められる。成長とは利益を出し続けて黒字経営を維持することだ。とすればサービスもより快適なものにしなくてはならない。そこで企業はタイムパフォーマンス、時間に目を付けた。
ではもっと踏み込んで考える。企業が時間に目を付けたということはそれ以前に我々の意識下にはやく事を済ませてしまいたいという考えがあったはずだ。すなわち事をなるたけはやく済ませるということは我々の欲求の1つとして確かにあったということがわかる。
なぜこの欲求が産まれるのか。それは時間という概念を我々が有しており、それを具体的に数字として表してしまったがためである。1日は24時間。仮に80年生きられるとするとあと生きられるのは…………(ここでは計算は面倒だからしない)と、時間を消費するものだと捉えてしまったことが原因である。
加速化した世界の末路
これからは様々なことがよりスピーディーに行われることとなる。無論国によりそれぞれ時間の感覚は異なるだろうが、全体的にはやまることは間違いない。世界中の人が徐々に生き急ぐこととなる。急いで起きて、急いで食べて、急いで働いて、急いで消費して、急いでくつろいで、急いでスマホをスクロールして、急いで映画を見て、音楽を聴いて、急いで寝て、急いで起きて…………
未来でも一日は24時間だろう。少なくとも人類が滅亡するまでは。時間の破壊はそれすなわち秩序の破壊を示す。
その24時間の中、技術の発達により生まれた時間を、我々はジムやゲーム、ジョギングに使い必死に何かで埋めようとする。そしてまたそのために急ぐ。
何もしないことに満足できる人はそうそういない。何もしないことにもいつかは飽きる。
ついていけない者は不出来な人間ないしは異常者として扱われ社会の仲間外れにされてしまうこともあるだろう。実際、現代でもそれは起こっていることだ。
なんなら、何でもはやく済ませたい派と何でもゆっくりやりたい派が衝突して、喧嘩を始めるやもしれない。ひゃー怖い。
おほん。気を取り直そう。結論に入る。
結論
Q.なぜ「はやい」を求めるのか
A.人間が時間を消費するものだと捉えてしまったから。
Q.加速した世界の先にあるものとは?
A.必死に空いた時間を何かすることで満足しようとする人々であふれる。つまり忙しさ。
まぁ私はいつだってゆっくり生きたいのだが……おっといけない。締切が迫っていた。それでは私も急いで哲学にふけり、急いで答えを出さねばなるまい…………
Column
時計の針は巻き戻らない。失った時間はもう元には戻らない。とよく言われる。確かにその通りだ。ここに反論の余地はない。しかし考えてほしいのは果たしてそれは悪いことなのかということだ。
いや、何も人生論とか教訓とかを言うつもりなどさらさらない。けれども、時間の消費は必ずしも悪いことではない。年は取らねば華の二十歳になることもできないし、なんにせよ死ぬこともできやしない。ふんわりなんとなく生きることも必要なのだ。(結局教訓的なことを言ってしまう)
私は死の概念を先の本文では述べなかった。ハイデッガーも主張していたことだが、現代では死に対する意識は薄いように思われるためだ。現在の医学の発達という結果からわかるように、人は死を恐れ何事も死ぬまでに死ぬまでにと急ぐことをしようとはせず、その病をなんとかしようとしたのである。
仮に生き急ぐとしても死に際になってからだろう。幼いうちから『死が迫っているのは確実だ。今できることをはやく、はやく急いでやろう』と言う人など、少なくとも私は思ったことがないしそんな人も見た事がない。
結局のところ、人間は先よりも今の時間帯を大切にする。現在バイアスという言葉もあるくらいだし。今がよければすべてよしなのだ。(また教訓)
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