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フィクショニズム File02

フィクショニズムの集い/第25回
「フィクショニズムの集い」
その名の通り、ここにはフィクショニズムを自認し、その思想に賛同する者しかいない。勿論。私もそれに賛同している。だからここにいる。
フィクショニズム。またの名を虚構主義。配布される資料にはいつもフィクショニズムの成り立ちが1ページ目に説明されている。



フィクショニズム(虚構主義)

フィクショニズムとは、人生を物語として捉える(新たな)思想である。この概念は、まずxx49年にノーソン・カリスト率いる研究者たちがこの世界が「ネオ虚数」という虚数と無限の特性を併せ持つ新しい数学的概念が導入し、この世界が「極限に無い」ものであることを証明したことから始まる。この発見は、我々の認識を根底から覆し、新しい視点を提供した。次に、xx50年前にクライド・ケイオス率いる研究者たちがネオ虚数を使用することで、この世界の全ての事象を説明できることが明らかにし、さらにネオ虚数でしか世界のあらゆる問題を解決できないことが証明された。ネオ虚数は「極限に無い」ことを意味し、つまりこの世界は虚無であることがわかった。

その後、ネオ虚数を用いることで全ての物語を数式として表すことに成功した。この発見により、物語は単なるフィクションではなく、数学的に解明可能な現象となった。フィクショニズムは、この世界が物語の一部であるとする思想であり、シミュレーション仮説に近いが、そこからさらに一歩進んでいる。もはや仮説ではなく事実である。フィクショニズムの提唱者たちは、「物語は人を幸せにする」という前提に基づき、人生そのものを物語として捉えることで、人々に新しい視点と幸福を提供することを目指している。



「お久しぶりです!羽田さん。お元気でしたか?」
ふいに声を掛けられる。
聞き覚えのある声に振り向くと、以前の集いでも声をかけて来た人がいた名前は確か…
「福田さん。お久しぶりです」
「お久しぶりです~まだまだ元気ですよ~!」
挨拶をしてから私たちは世間話をする。福田さんは私よりも30歳くらいは年上でいかにも「感じのいい叔母様」という雰囲気だった。
一通り話し終えると、
「じゃ、私他の人にもあいさつしたいから。ありがとね~」
といって他のところに行ってしまった。
福田さんはいつも本当に楽しそうに話してくださる。その顔を見ているとただ話を聞いているだけなのにこちらも楽しくなってくる。彼女も物語を上手く生きているのだろう。この集いは物語にとって不連続なものだ。だから人生をより一層色彩豊かなものにすることを皆が望んでいる。
思えば今の福田さんの登場時間もちょうどよかった。いかにも登場人物らしい振舞い方だ。
しばらくするといつものように司会者が現れて、科学者や哲学者や企業家を呼び、それぞれが自身の研究ないしはビジネスとフィクションの関連性について話す。その後トークセッションを経て今回の集いは終了した。内容は多岐に渡り興味深いものであったが、あまりに多岐に渡りすぎているし、話している言葉を記述するには文字数が多いことから彼らのトークはほとんど割愛されてしまうのだろう。

物語が大量消費され大量生産される時代。そしてこの世界自体も物語の一部である。そこまで頭の良くない私はすべてを理解しているわけではない。わかるのは世界が物語の一部であるということが科学的に証明されたということ。そしてそれには法則性無き法則が存在するということ。世界の行く末をコントロールできるようになったということ。
虚構理論(物語の定式化)は研究にビジネスに社会に適用され世界はより一層虚構性を帯びるようになった。

「物語は人を幸せにする」

私は今、本当に幸せなんだろうか?


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