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部屋は何を隔てるか
部屋は至る所にある。職場、家、店。
我々と部屋は常に関わっている。今回は部屋の不思議について思索する。
部屋は見えない空間を隔てる
部屋は空間なしには部屋とみなすことはできない。
例えば部屋がコンクリートか何か堅いもので充足されて入り口が見えないほど埋め尽くされてしまった場合、我々はもうそれを部屋と思えない。当然のことではあるが部屋とは何もない箱のような空間があって初めて部屋と認識することができる。
部屋の概念
部屋をつくる際、我々は空間を切り取る必要がある。考えてみると部屋の概念を創り出した人間はすごいものだ。自然を切り取って人間のものと解釈してしまった。壁を造り、天井で蓋をして、はい、部屋のできあがり。この「部屋」をつくることで人間の秘め事、プライバシーという考え方が生じたのは理解に難くない。
西洋と東洋の違い
古きに遡ると西洋では部屋は壁で仕切られていることが多く、他方東洋では部屋は襖など完全には仕切られないことが一般的であった。(現在はそうでないことが多いが)無論これは様々な要因があり一概に言うことはできないが、両者の考え方に視点を当てると少し面白いことがわかる。
西洋では個人主義が基本的な考え方であった。したがって間取りにおいても各個人の部屋は独立する必要があった。家の中の部屋は誰が使うのか決まっていたということだ。
一方東洋では少し前までは「個人」などと言う考え方はなく、家族で部屋を共に使用することが当たり前であった。したがって一般的な庶民の家では個人が使用する部屋というのはあまりなかった。
現在の日本はどうであろうか。少し前の感染症の影響もあるかもしれないが、とかく「仕切り」が増えたように思う。「部屋」をたくさん作りだしたのだ。部屋を創るということは多くの個人を生み出すことを意味する。
例えば誰でも使用してよい、五人ほどが余裕をもって入れる部屋があったとする。そして面白いことにこの部屋を誰かが使用していた場合、その部屋に入ることが身分(である)によって躊躇われる場合があるということだ。(子供たちが使っていたらまず大人は入らないよね。逆も然り)これはまさに西洋と東洋の混合ではなかろうか。東洋の同属意識。西洋の部屋という概念。仕切られることによってその部屋は属性を帯びたものと一変する。
話をまたそらすとキュービクル(cubicle)という英単語がある。これを日本語で訳すと仕切られた個室となるのだが、個人という言葉が導入される前の日本人はなぜこんなものがあるのかが理解できないと思う。そんなに仕切ることになんの意味があるのかと。しかし今の我々には理解できる、そしてそれは西洋の考え方が日本に入り込んでいることを示す何よりに証拠なのだ。
時には仕切りをどかして隣の人にこんにちはと言うのも一興かもしれない。きっと怪訝な顔で見られることだろうから。