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Fictionism 全編
File 00
人生は物語。
3年前、この世界が極限に無いという可能性が示唆された。
ネオ虚数(虚数と無限を混合した新たな虚数)の使用によってこの世界の全ての事を説明できることが証明された。そしてこれは世界が極限に無いという可能性を示唆することとなった。
その2年後。ネオ虚数でしかこの世界のあらゆる問題は解決されないという証明がなされた。
ネオ虚数は簡単に言うと「極限に無い」ことを意味する。
つまりこの世界は虚無であることがわかった。
そして1年前、私はその際証明に用いられたネオ虚数を使用してこの世のありとあらゆる物語を定式化することに成功した。つまり簡単に言ってしまえば物語を単純な数式で表すことができたということだ。
自分で言うのも何だが、私は大きな功績を残した。
物語の定式化によって、自然界においてのありとあらゆることが緻密に予測できるようになった。
なぜそんなことが可能になったのか?それはこの世界も物語の一部であることが証明されたからだ。
人間もまた個体でなく集合としての行く末なら予測が可能である。
私の証明により、多くの研究が終点を迎えた。
中略
近年目立つのは、フィクショニズムの台頭である。フィクショニズム(虚構主義)というのは私の証明によりこの世界も物語の一部であることがわかったことで、隆盛した思想である。昔で言うところのシミュレーション仮説に近いものだ。
おっと、少ししゃべりすぎたかな。
そろそろ私の物語も終わりが近づいてきたようだ…
二十年後――
File 01
xx70年
この世界は物語
L大学
「なぁ。この世界が本当に物語と変わらないってんならよ?誰がこの世界を作ったんだよ?」
「それ。さっきの授業の内容?なんも聞いてなかった~」
ショータはそう答え、
「それは…作者がどっかにいるんじゃねえの?」
と曖昧な返答を返してきた。
「『作者の意向』ね…本当に作者なんていんのかな…?」
この人生は物語。
そんなこと言われても何と言うか…だから何やねんと思う。別に「物語」であろうとなかろうと俺の生活が変わる訳ではないし…
さっきの授業で習ったこと
1.犯罪率が増加している
・「一度きりの人生なら歴史という物語に名前を残したい」
・「『正義』という物語に皆酔いしれている」
2.結婚率が上昇している
・「人生の出来事はイベントっしょ」
自分が気になったトピックを挙げるとこんなところ。
「」は理由を俺なりに理由を解釈してみた。犯罪率が上がっている。ということは名を残したいという理由が考えられるとともに犯罪を発見する人が増えたということも考えられる。
実際、世は正義面する奴らで溢れている。
「おもしろいね。その仮説」
授業後、カフェで友達のアカリにこのことを話したとき彼女はそう言ってくれた。
俺は頷いて答える。
「物語はふつう、言葉を内包するものだけど『正義』とか『幸せ』とか抽象度の高い曖昧な言葉には既に主観的な物語が内包されているんだ。それぞれの人の強い価値観が物語を生成するんだ」
「ちょっと前までは勝ち組、負け組なんて言葉があったくらいだからね」
「そうそう」
いつものようにメニューを見ずにさっと注文を済ませる。
「そういえばアカリはフィクショニズムのことどう思ってるの?」
「え?う~ん。あんまり興味ないなぁ…別にどっちでもよくない?」
「だよねぇ。俺も同感。それにさ。物語ってんなら作者か読者がいないとおかしくない?フィクショニズムの人に聞いても答えをぼやかすんだよな~」
「私さ。高校生の時に付き合ってた人がいたんだけど」
「お、何急に。うん」
「付き合ってた」と言ったということは今は付き合ってないということか…?魔が差したような考えが頭をよぎる。
「なんか、なぜか彼氏の人、いつも私にそっけなくてさ。う~ん。本当に私のこと好きなのかな?って話してて何回も思ってたんだよね。目も合わせてくれないし、話がそもそも嚙み合ってないし。それで聞いたんだよ。『本当に私のこと好きなの?』って」
「んで?」
「そしたらさぁ、『なんか飯田さん(アカリ)に告白するまでは良かったんだけどさぁ、その後のことあんま考えてなかったっていうか。正直に言うとさ。俺、自分の物語にイベントが欲しかっただけなんだよね。だからなんて言うんだろ、飯田さんと長く付き合うことまで考えてなかったっていうか…』って。なんか…今思い出すと笑えてくるんだけど」
「なるほどな。面白いね、その子。でも今ではそういう子も多いのかな?まぁ要は」
俺はさっきテーブルに置かれたアイスココアをストローで飲んでから言う。
「アカリとの交際は彼にとって『イベントに過ぎなかった』ってことになる」
「なんかあんまりじゃない?そういうの。本当勘弁してほしいよ。こっちはそんな人と付き合ってたのかって馬鹿馬鹿しくなっちゃう」
「でも、その子はアカリに告る前まではちゃんと好きだったんだろ?だから告ったわけで」
「いや、どうなのかな~?」
「え。そんな告白の時でさえそんな温度感だったん?」
「かも。なんか今思えばだけど用意してきた文章そのまま読んでた感じが…」
「じゃあアカリが悪いかも(笑)」
「(笑)かもね」
「ルキ君は?彼女とかいるの?」
「え?もしかして誘ってる?俺、ありですか?」
「いや。ないよ」
冷淡に言われる。まったく、アカリはそういう物語とは無縁らしい。
「へぇそうですか。いたことないよ。そういうのはくだらないと思うから。あ、でも決してこれはアカリのことをくだらないといってる訳でもなく、他のカップルやリア充を爆撃してしまいたいとか思ってるわけじゃないんだ」
「まだ何も言ってないけど」
「くだらないってのはさ。やっぱ彼女とかできると俺も男だから肉体的関係を求めてしまうと思うんだよ。もちろん強要する気なんてないよ。彼女ができたとしても。ただ要求はしてしまうかもしれない。その感情が湧き上がってくるのがくだらないと思うんだ。まぁ人生なんて本質的にはくだらないんだろうけどさ。あとは」
「あとは?」
「傷つけるのが怖いから。かな。アカリも分かると思うけど、俺何かとズバズバ言う方じゃん?」
「うん」
「だからこれまでにもこれからも、もしかしたら知らないうちに人を傷つけることもあるかもしれない。それが彼女だったら嫌だなと思い」
「なるほどね。でも私は司君の言うことで傷ついたことないけどな」
「それは…ちゃんと気を使ってるからだよ…」
「なんで?」
「大切な…友達だから」
「…」
「…」
「今、好きだからって言ってくれたら付き合ってあげたのに…」
「は?もう一回やり直してもいいですか」
「うん。だめ」
俺はアカリが好きだ。でも愛してはいないんだと思う。これは多分loveではなくlikeでショータに抱く感情と近しいものだと思う。
アカリには言わなかったけど彼女をつくってこなかった理由はもう一つある。
それは、人を好きになることがどういうことなのか、わからないからという理由だ。
人生は物語のように単純なものではないのかもしれない。
File 02
フィクショニズムの集い/第25回
「フィクショニズムの集い」
その名の通り、ここにはフィクショニズムを自認し、その思想に賛同する者しかいない。勿論。私もそれに賛同している。だからここにいる。
フィクショニズム。またの名を虚構主義。配布される資料にはいつもフィクショニズムの成り立ちが1ページ目に説明されている。
フィクショニズム(虚構主義)
フィクショニズムとは、人生を物語として捉える(新たな)思想である。この概念は、まずxx49年にノーソン・カリスト率いる研究者たちがこの世界が「ネオ虚数」という虚数と無限の特性を併せ持つ新しい数学的概念が導入し、この世界が「極限に無い」ものであることを証明したことから始まる。この発見は、我々の認識を根底から覆し、新しい視点を提供した。次に、xx50年前にクライド・ケイオス率いる研究者たちがネオ虚数を使用することで、この世界の全ての事象を説明できることが明らかにし、さらにネオ虚数でしか世界のあらゆる問題を解決できないことが証明された。ネオ虚数は「極限に無い」ことを意味し、つまりこの世界は虚無であることがわかった。
その後、ネオ虚数を用いることで全ての物語を数式として表すことに成功した。この発見により、物語は単なるフィクションではなく、数学的に解明可能な現象となった。フィクショニズムは、この世界が物語の一部であるとする思想であり、シミュレーション仮説に近いが、そこからさらに一歩進んでいる。もはや仮説ではなく事実である。フィクショニズムの提唱者たちは、「物語は人を幸せにする」という前提に基づき、人生そのものを物語として捉えることで、人々に新しい視点と幸福を提供することを目指している。
「お久しぶりです!羽田さん。お元気でしたか?」
ふいに声を掛けられる。
聞き覚えのある声に振り向くと、以前の集いでも声をかけて来た人がいた名前は確か…
「福田さん。お久しぶりです」
「お久しぶりです~まだまだ元気ですよ~!」
挨拶をしてから私たちは世間話をする。福田さんは私よりも30歳くらいは年上でいかにも「感じのいい叔母様」という雰囲気だった。
一通り話し終えると、
「じゃ、私他の人にもあいさつしたいから。ありがとね~」
といって他のところに行ってしまった。
福田さんはいつも本当に楽しそうに話してくださる。その顔を見ているとただ話を聞いているだけなのにこちらも楽しくなってくる。彼女も物語を上手く生きているのだろう。この集いは物語にとって不連続なものだ。だから人生をより一層色彩豊かなものにすることを皆が望んでいる。
思えば今の福田さんの登場時間もちょうどよかった。いかにも登場人物らしい振舞い方だ。
しばらくするといつものように司会者が現れて、科学者や哲学者や企業家を呼び、それぞれが自身の研究ないしはビジネスとフィクションの関連性について話す。その後トークセッションを経て今回の集いは終了した。内容は多岐に渡り興味深いものであったが、あまりに多岐に渡りすぎているし、話している言葉を記述するには文字数が多いことから彼らのトークはほとんど割愛されてしまうのだろう。
物語が大量消費され大量生産される時代。そしてこの世界自体も物語の一部である。そこまで頭の良くない私はすべてを理解しているわけではない。わかるのは世界が物語の一部であるということが科学的に証明されたということ。そしてそれには法則性無き法則が存在するということ。世界の行く末をコントロールできるようになったということ。
虚構理論(物語の定式化)は研究にビジネスに社会に適用され世界はより一層虚構性を帯びるようになった。
「物語は人を幸せにする」
私は今、本当に幸せなんだろうか?
File 03
5歳の時に姉と母親が死んだ。
トラック運転手の居眠り運転で当時7歳だった姉が横断歩道を渡る際に猛スピードではねた。庇って守ろうとした母親も同時にはねられ死亡。
小学生
いじめにあう。
毎日ものを盗まれる。
毎日誰かに殴られる。教師の目をかいくぐって。
彼ら曰く、物語にはスパイスが必要らしい。
彼らは賢く、証拠を残さない。故に、言っても誰も聞いてくれない。
「嘘はだめだよ。先生は忙しいからね」と言われる。先生は本当に忙しそう。先生に嫌われたくない。みんなに嫌われたくない。
父親には言えない。
父は優しくしてくれる時とそうでないときがあり、そうでないときには暴力を振るわれた。
そんな父に転校したいと伝えたら、父はどんな顔をするだろう。人並みに学校に通わせてくれる父にそんなことは言いたくない。言えない。
中学生
いじめは続く。
でももう慣れた。
いじめる子もいつもヘラヘラする自分に飽きたのか、いじめの回数は減少した。
やがていじめは無くなった、というよりかはターゲットが僕ではなくなった。
僕は孤立する。もう、誰も構ってくれない。
話しかけることはできない。嫌われたくないから。
高校生
一生懸命勉強した。第一志望である公立高校は偏差値の高いところを目指した。第二志望は私立だったがそれでも偏差値は高かった。
落ちた。
第二志望には受かった。
父親に殴られた。私立はお金がかかるから。
「なにやってんだこの馬鹿野郎!」
ごめんなさい。
努力はした。精一杯やった。でも。合格できなかった。僕は馬鹿なんだ。
部活には入らなかった。怖い。誰かと必要以上に関わるのが。
もういじめられたくない。殴られたくない。ものを盗まれたくない。
僕は孤立する。声をかけられてもそっけない対応をする。
「あいつって喋れないの?」と陰で言われる。
授業中、教師に当てられて答えたら
「あいつって喋れるんだ」
と誰かが小声で言うのが聞こえる。
怖い。
寝る前になんども思う。
明日起きなかったらどれほどいいだろうかと。
目を閉ざしたまま自分という存在がどこかに消えてしまったらどれほどいいだろうかと。代わってほしい。
でも僕は必ず2つの条件をつけてしまう。
誰も傷つけないこと。
できるだけ多くの人を幸せにすること。
どうしても、いつもこの条件をつけてしまう。だから誰も代わってくれないのだろう。
朝最悪な気持ちで起きる。父親に嫌われたくないからちゃんと学校に行く。
真面目に勉強する。
助けを求めている自分を何度も頭の中で殺す。
何度も何度も殴り殺す。
食欲はそんなにない。
高校には給食がない。
昼食の時間になると僕は決まって外に出る。
誰もいない公園に行ってベンチに座って空を見る。
雨の日は図書室で過ごす。
優しい時の父は食事のお金を渡してくれる。父は決して料理しない。僕は料理した方が安上がりなことを知っているから出来合いの物は買わない。
数年前までは父に料理を振舞っていたが、「不味い」と言われてからはつくっていない。父親はもう何も言ってこなかった。近頃の父親は忙しく深夜に家に帰ったかと思うと朝にはいなくなっている。もう何か月、何年も顔を合わせていないかもしれない。
あまり食べすぎると吐いてしまうから自分はそんなに食べないようにしている。
何度も死にたいと思う。でも死んだら父親に嫌われてしまうかもしれない。加えて死ぬ勇気は今のところない。故に死ねない。
18歳。
何とか大学に進学した後に父親が死んだ。
首吊り自殺。
父親が持っていた金をすべて使い切った後に死んだ。
僕の成績は優秀ではなく、入った大学も私立であったことから奨学金を借りても学費を払いきれなかったことから退学を余儀なくされた。
僕は近くのハローワークへ行き、就職口を捜す。
ようやく決まった就職先は工場の作業員。ひとりで生きる分には困らない給料だが、学校の勉強と同じくらいの苦痛。しかしもう耐えることには慣れている。ひたすら耐える。耐える。反復作業。反復作業。
4年が経つ。
起きる。食べる。職場に向かう。作業を終える。帰る。食べる。寝る。その繰り返し。休日は暇を持て余し、散歩をしてみるが結局何も起こらない。
起きる。食べる。職場に向かう。作業を終える。帰る。食べる。寝る。
起きる。食べる。職場に向かう。作業を終える。帰る。食べる。寝る。
起きる。食べる。職場に向かう。作業を終える。帰る。食べる。寝る。
…何のために。
…誰のために。
それを考えるのはもうやめたはずだった。それを真面目に考えられる人はきっと幸福な人だろうから。過去の自分は精一杯生きていた。最近の自分はそうではない。
余裕が生まれたことによる苦痛。
ことによる苦痛。
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そろそろもう…いいよな。
十分やったさ。
今死んでも、誰にも迷惑かけないだろう。
工場の作業員なんて代わりはいくらでもいる。
終わりにしよう。
でも最期に…何かしたいな。
そう思い、頭に浮かんだのは、富士山。
なぜかは分からない。しかしその時富士山が頭に浮かんだのだ。
登ろう。
登って死ぬことにしよう。
迎えた休日。
新幹線で富士山へと向かう。バスで五合目まで登る。
登山の道中、いろんな人を見る。子供、若者、高齢者。
誰も死ぬために登山なんかしていない。
みんなはなぜ生き続けられるのだろう。
なんでそんなに笑っていられるんだろう。
死ぬために登るなんて、僕だけなんだ…
当たり前のことかもしれないけど、その時僕は初めてそのことに気が付いた。
今日、地下駅で見覚えのある人物を見かけた。
そいつは中学校で僕をいじめていた奴とよく似ていた。
勿論人違いかもしれない。
中学生のころの顔と大学生の顔なんて成長して似ても似つかなくなっている可能性が高い。
でも、喋り方や歩き方がどことなくあいつと似ていた。
隣には女性がいて、二人は手をつないで歩いていた。
僕とすれ違う。僕は彼らのことを覚えているけど、向こうは覚えていないみたいだ。
二人は笑顔で楽しそうに話していた。
その時僕は、よかったと思った。
楽しそうな二人を見て、よかったと思った。
いじめられていた時、自分のことなんて忘れて、早く幸せになってほしいと思っていたから。
途中の旅館で一泊する。明日で頂上まで行き、帰りにロープでも買ってどこかの山で首を吊って死のうかと考えている。多分、以前のように躊躇うことはないだろう。そういう意味ではもう吹っ切れている。
うん。山頂に登れたなら、何となくできる気がする。
翌日の天気は雨だった。風が強く吹き、嵐のように荒れ狂う雨が降っていた。それでも僕は気にせず登ることにした。どうせ死ぬのだ。僕は荷物をまとめ、できるだけの防水対策をして山頂へ向かった。
さすがにこの悪天候の中登ろうとする人は他に居なかった。
あぁ。ここで死ねるならそれもいいな。とそんなことを考えながら登っていたがとてもここで死ぬとは思えなかった。
気付けば周りが全く見えなくなっていた。数メートル先しか見えない。それでも進む道だけはわかっていたから、遠慮なしに進んだ。
出発から3時間ほどかけてようやく山頂にたどり着く。
何回か休憩をはさんで来たものの足場が悪かったのでかなり疲れてしまった。
山頂というと、雲の上にあるので永遠に晴れなのかと勘違いしていたが、全くそんなことは無く、天気は曇りだった。
しかし山頂に登った事には変わりない。これで心置きなく死ぬことができる。そう思った僕は下山を開始した。
下山の途中、天気は回復し、太陽が顔をのぞかせた。
山頂が晴れていたら、良い景色に感動して死ぬのが馬鹿らしくなっただろうか?
いや、多分そんなことは無い。
とある人が純粋に生きたいと思うのと同じように
僕は純粋に死にたいんだ。
この気持ちが変わることはいい景色を見たくらいじゃあな…
下山した後、僕は近くのホームセンターでロープを買った。
今夜、人気のないところに行って死ぬことにしよう。誰もいないところで首を吊る。
首吊りにしたのは自分が逃げられないようにするためだ。痛いのは嫌だが、仕方ない。確実に死ぬためだ。
夕方、僕はコンビニで最後の晩餐を買う。おにぎり二個とプリンとシュークリームを買った。加えてティラミスも買った。悔いは残さないように。判断が鈍ってしまうだろうから。
終わりが近づく。
この人生も今日で終わりだ。
自分はずっといらなかったんだ。
もう自分は楽になりたいんだ。
これが正しい選択だっ――
「あの!」
声が聞こえる。街中で人がまばらにいたので、まさか自分ではないだろうと思いそのまま歩く。
「あの!大丈夫ですか。」
え?
声の方を見やる。大学生だろうか?私服を着た女性が立っている。
「…僕?ですか」
「『僕』、ですね」
「…」
「…」
驚きのあまりどぎまぎしてしまう。
「だ…大丈夫では…ないですね…でも、もういいんです。声をかけていただいて、ありがとうございます」
そう言って立ち去ろうとした。
「すごく、悲しそうな顔、してますよ」
思わず足を止めてしまう。
どうしよう…なぜこの人はこんな人間に話しかけるんだ?
声をかける人なんて他にもたくさんいるじゃないか…!
「話を、聞かせてくれませんか」
迷う。自分はどうすればいい?
いや、でもここで断ったらこの人を傷つけてしまうかもしれない。もし傷つけてしまったら悔いが残る。そしてそれは死への判断を鈍らせる。
「……わかりました。いいですよ」
「よかった!じゃあ行きましょう」
「…どこへ?」
「あなたの家へ」
「…いや、自分の家ここから遠くて、新幹線で来たので…」
「え?そうなんですか。じゃあ私の家でいいですよ」
「…わかりました。…え?」
僕は駅のロッカーから預けてあった荷物とロープを取り出して彼女について行った。
話を聞くところによると、彼女の名前はエリサで大学生で自分と同い年らしい。
僕はコンビニで買った、最後の晩餐を食べながらエリサに尋ねる。
「なんで僕に話しかけてくれたんですか?」
「それは…さっきも言ったでしょ――」
「嘘ですよね」
「嘘じゃないよ」
すぐに予想外の返答が返ってきた。
「いや…自分はあまり感情を顔に出さない人間なので…多分それはないかと思いまして…」
「…敬語使うのやめてよ」
「ごめん…あんまり同世代の人と話すの慣れてなくて」
「でも理由はもう一つある。悲しそうな顔してたっていうのが一つ。もう一つは…話したらユイは怒るかも…」
「絶対怒らないよ。言ってください」
「イベントが欲しくて…」
「イベント?」
「うーんとね。もっと簡単に言うと刺激が欲しかったんだ。人生に。ほら、たいていの人生ってつまらないでしょ」
僕はここ最近の生活を思い出す。
「まぁ…」
「だから適度なスパイスを入れてあげなきゃいけない」
「…!スパイス…」
脳裏にちらつくいじめの光景。
「そういえばなんでタケはそいつを殴るんだ?」
面白半分に僕を殴る奴の隣にいる奴が言う。その子は
「人生が物語ってことはよう、こういう漫画やゲームみたいなアクションの要素が必要なんだよ。俺の親父も言ってたぜ。人生にはスパイスが必要だって」
苦しい。呼吸が荒くなる。
「君も…僕を痛めつけるの?」
「え?痛めつけ――」
「嫌われたくない…嫌われたくないけど…やっぱり痛かったし…辛かったんだ。ごめん。やっぱり帰るよ…」
僕は立ち上がって帰ろうと――
「待って!」
手をつかまれる。
「…」
「また悲しそうな顔、してるよ。傷つけないから」
「いやでも…」
「ずっと苦しかったでしょ。私、分かるんだよ。表情からその人がどんな生活を過ごしてきたか。それもあって心理カウンセラー目指してて…
ごめん。人生変えるような出来事が欲しかったっていうのは本当。けどもう一つ理由がある。それはさっきも言ったけどあなたが本当に悲しそうな顔をしてたから。話してよ。ユイのこと。話すことで楽になることもあるかもしれない。それに」
エリサは僕の眼をじっと見つめる。
僕は思わず目を逸らしてしまう。
「私はあなたの話を聞きたい」
気付かなかった。最近、人の顔をまともに見ていなかったことに。
人は自分か他人の二種類だと思っていた。
でも、この人は違う。
少なくとも僕のことを気遣って話しかけてくれた。
今まで誰も助けてくれなかったのに。この人は今日会ったばかりの僕を部屋にまであげてくれた。
何をするかわかったもんじゃないのに。
「…僕は――」
僕は自分の生い立ちを話した。
両親が既に他界していること。父親から虐待を受けていたこと。それでも父親に褒められたかったこと。努力が実らないことが多かったこと。
そして、今夜死のうとしていたこと。
彼女は不思議な存在だった。これまでに会った事のない存在。僕が全く人と話してこなかったからかもしれないが。不思議と話したくなってしまう。心の鎖がひとつひとつゆっくりと取れていく。心が軽くなってくる。
僕は…殺していた。
嫌だと拒否する自分自身を殺していた。
エリサはもう殺さなくていいといった。
「君を傷つけてしまうかもしれない」
「ユイが傷つくくらいなら自分が傷ついた方がいい」と言った。
僕は決してそうは思えなかったけど、そう言ってもらえるだけで嬉しかった。
エリサが泊ってもいいといったが、僕は迷惑をかけたくないから宿でも探すよと言ったら、いいから言葉に甘えときなさい。と強く勧められた。
僕は断ると彼女を傷つけてしまうかもしれないと思ったから言葉に甘えることにした。
自分はソファで、エリサは布団で眠る。眠りにつこうとするとエリサは言った。
「ユイに話しかけて本当によかった。フィクショニズムには感謝しなくちゃね」
「フィクショニズム?」
「うん。うーんと。簡単に言うと人生は物語と捉えることによって幸福を見出す…みたいな。ほら、だいぶ前だけど『虚構理論』ってのが有名になってたじゃんニュースとかに取り上げられてすごい賞を取って」
「ニュースはあまり見てこなかったから…」
「まぁいいや。とにかくユイに話しかけられたのはそれのおかげだったんだよ。人生が物語なら私もできるかぎり面白い物語を生きたいって。まぁフィクショニズムはもはや流行語だからね~大学の人もみんな言ってるよ。たまにそういうのちょっと怖いとも思うけど。けど、『物語は人を幸せにする』っていうあの一連の話を聞いた時、なんか感動しちゃったんだよね」
「…なるほど。そんな風に考えたことなかったよ」
人生は物語。
物語は人を幸せにする。
自分は考えすぎていたのかもしれない。
僕は翌日フィクショニズムについて調べた。
すると今や物語は大半の人には欠かせないものとなっているらしく、時には物語が高値で売買されることもあるということがわかった。
エリサに自分の人生を物語として売ることを相談した時、彼女は賛同してくれた。
不純な動機としてまだ返しきれていない奨学金を返済したいというのもあったが、何より自分の物語で自分と同じ環境下にある人が死なずに生きてくれることを願っての行動だった。
出版社に物語の構想、というか自分の人生を話した際、
「いいね!いかにもノンフィクションらしいフィクションだ!売れるよ!」とサングラスをかけた怖そうなおじさんは言ってくれた。
そうして僕の人生は物語として売られることになった。
映画、小説、漫画。あらゆるコンテンツで僕の物語は大ヒットし、これまでの人生で見た事のないような金額が懐に入り込んできた。自分は頭の良いエリサにもらったお金の管理を任せることにした。彼女はお金に関しては厳格な性格らしく、実に巧みにお金を減らさずむしろ増やすよう管理をしていた。自分には興味もなく理解することもできない分野だったので、エリカに感謝した。
物語は人を幸せにする
いいことも悪いことも全部含めて。
いや、含むからこそ物語は美しいんだ。
多分、僕はずっと幸せだったんだ。
File 04
「おい、聞いたか?あいつも『虚無』にやられちまったてよ」
「ほんとか?これから忙しくなるってのに…どうすんだよ」
「ほんと困ったもんだよな…」
「ねぇ、聞いた?最近引っ越してきたNさんのご主人、『虚無』に襲われたらしいわよ」
「まぁこのご時世にそんな…」
「おい聞いたか、最近学校にきてないアイツ。『虚無』に襲われたらしいぞ」
「えぇ~まじ?」
「……『虚無』に襲われた者はまるで電池の切れた動かない人形のように植物状態同然の姿になり果てる。あるいは」
「あるいは?」
「踊り狂う。こんな歌を謳いながら。死ぬまで永遠に踊り続ける。イカれちまった機械みてぇに」
模倣が模倣を生成し さらなる虚構を創り出す
模倣が模倣を生成し さらなる虚構を創りだす
目指すは極楽大往生
逝けば花道 桜の美
あの日にはもう戻れない それでも良しと踊り明かそう
天国地獄はありゃしない
恋も地獄もどんと来い
見える景色も感覚も すべては嘘のはじまりさ
模倣が模倣を生成し さらなる虚構を創りだす
模倣が模倣を生成し さらなる虚構を創りだす
この世は幻 すべて嘘
嘘は虚構のはじまりさ
はじめもおわりもありゃしない
あるのは惰性と無の世界
模倣が模倣を生成し さらなる虚構を創りだす
虚無が人を襲うなら 喜んで我は襲われよう
先のことなんでどうでもいい
あったことなんてどうでもいい
今だけ今こそ踊り狂う
模倣が模倣を生成し さらなる虚構を創り出す
模倣が模倣を生成し さらなる虚構を創りだす
「振り返ることも大切さ」
「しかしそれは虚構だよ」
「すべてが嘘と言わせない」
「しかしすべては虚構だよ」
ごみに埋もれた発電機 あなたはそれを使いますか?
全てに因果はありゃしない あるとすれば虚構のみ
此処と理想で苦しむな ほんとはどっちも虚構だよ
物語なんて虚構だよ 存在なんて虚構だよ
模倣が模倣を生成し さらなる虚構を創り出す
模倣が模倣を生成し さらなる虚構を創りだす
人生なんて意味ないよ おんなじことの繰り替えし
失うものは 何にもない
酒に女に男に溺れ あとはクスリでグースかぴー
はじめちょろちょろなかぱっぱ
悶えて悶えてなかぱっぱ
どうせ明日はやってくる
いつかはどうせやってくる
とざいと~ざい奉る
目指すは極楽大往生
来りて来りて遠来す
あとは虚構のなすがまま
模倣が模倣を生成し さらなる虚構を創り出す
模倣が模倣を生成し さらなる虚構を創り出す
模倣が模倣を生成し さらなる虚構を創り出す……
僕はN高等学校の生徒なのです。この学校は別名「虚構学校No.2」と呼ばれ、国内の中でも一、二を争う虚構性を帯びた学校なのであります。
ところで私は普段このような喋り方をするわけではございません。
でもこのような喋り方をした方が物語に味が出るというもの。だからこのような喋り方をするのです。いつもの喋り方にも飽きてきたことですし、今しばらくこの喋り方で過ごそうと思うのです。
「やあ、メルシー,富君★」
突然話かけてきたように思えるこの人物は僕の友人のセワキ君です。
「こんにちは。セワキ君。最近はいかがお過ごしでしょうか?」
「あれ?君も喋り方変えたんだねッ?いい虚構ッ★僕はそういうの嫌いじゃないよッ★」
「ありがとうなのです。セワキ君もいかにも物語に登場しそうなキャラの喋り方ですね。そうしたキャラは掘ればなにか裏があるというもの…」
ところで読者の人は今僕らが学校に向かっていると思っているかもしれないので一応言っておきますが、今僕らは下校中なのであります。あなたたちにとっては物語が始まったばかりなので朝の登校中なのかな?と勘違いしてしまうかもしれないと思い以上の注意をさせていただいたのです。今は夕方で僕らはあなたたちが想像するような田舎の道を歩いているのであります。
「あっ!富ちゃ~ん!」
お友達のさっちゃんが来たのです。
「あっセワキ君も。」
「こっ!こんにちはッ…!さっちゃん…さん!」
「口調が変わってしまっていますよ。セワキ君。これは物語なのですからキャラは守っていただかないと。語尾に★をつけるのを忘れないでいただきたいのです」
「ご…ごめんッ★じゃ…じゃあまた会おう富ちゃん!脇役はこのくらいの時間で去るのがベストだろうしッ★」
「それもそうですね。ではまた物語の終盤でお会いしましょう」
「じゃあね、セワキ君」
「はっ!うん★じゃあねさっちゃん!」
そうしてセワキ君は走り去っていきました。
「セワキ君はですね」
僕はさっちゃんに言うのです。
「さっちゃんのことが好き(という設定)なのですよ」
「え?そうなの?え〜どうしよっかな?紆余曲折あって最期には結ばれるパターンがいいかな?それとも読者の予想を裏切って私がセワキ君じゃないイケメン男子と仲良くなっちゃってそんな私を取り合う三角関係的な物語にしようかな?」
「どちらも王道中の王道ですね。しかし人々は王道を常に求めています。一定のニーズはあるでしょう。フィクショニズムが蔓延するこの世界ではこのようなひねくれすぎた物語はごく一部の人間にしか求められていないのであります」
「ねぇ、富ちゃん、私にはいつもの喋り方してよ。なんだか頭おかしくなっちゃうわ」
さっちゃんは僕自身の物語に対するアプローチをいつも指摘します。物語には非連続的要素が必要だと僕は思うのでありますが…
「分かったよ。読者の心像が揺らいでしまう恐れはあるけど」
「あ、そうそうそれがいつもの富ちゃんだ。私「登場人物」に弱いんだよね~特に富ちゃんみたいな癖の強すぎるキャラには。あ、勿論悪く言ってるわけじゃないよ。この言い訳も長い付き合いだから本当は言う必要ないんだけど、読者の人が悪口を言っていると勘違いしてひょっとして二人は表面上の付き合いで実は腹黒なのかな?とか思われるかもしれないからあくまでわざわざ言ってるだけであって」
「うん。今の説明は悪くない」
「もしかしたら読者の人は最初富ちゃんが男だと思ったかもしれないけど『さっちゃん』が登場したことによってあれ?やっぱり女の子なのかな?と思い始めている人が多分だんだん増えてきているのであって、これは多分作者があえてミスリードをさそっているのかもしれなくて」
「もしそんなミスリードをさせるならそれは『作者の意向』なんだろうね」
「そうそうそうそう。このどうでもよすぎる会話も読者にとってはどうでもよくない。それはこの物語が物語だから」
「うん。さっちゃん。そろそろ場面を変えようよ。読者が退屈しちゃう」
僕がそういうと、さっちゃんの表情が突然変わった。
「なんで読者の人を楽しませないといけないの?だれがそんなこと決めたの?」
「それは人がそう決めたのでしょう。物語の概念とはそういうものなのでは?」
「そうかもしれない…歴史があんなに面白いわけないもんね。もっとこんなくだらない日常みたいな連続性が過去にだってあるはずなのに…」
「歴史は時間をぎゅっと凝縮してるだけだからね。当然不連続なものだけが残る」
「そうそうそうそう。くだらない日常からの脱却。連続の中の非連続的要素を楽しむ物語。それが基盤の世界。だから私たちも不連続な毎日を創ろうと努力している。でもさぁ、富ちゃん。私思うんだ」
「うん」
「全部まがい物だよね。嘘だよ。卑怯だよ。物語だからって。常に一歩引いてみてる感じ。私は物語の登場人物を演じているだけ。この世界が物語であることに気づいてしまった私たちは登場人物にも読者にも作者にもなれる。昔はさ。今と違って目をキラキラさせている人がたくさんいたって聞くよ。でも今はそんな人いないよ。少なくとも私はみたことない」
「うん」
「私たちは設定上『良い』とされる大学に行かなくちゃいけないから、大学の試験に受かるためにこれまでの人生という物語を提供できるようにしておかなくちゃいけない」
「うん」
「私たちは、自分たちの物語を豊かにするために恋愛して部活して友達つくって喜んで泣いて笑ってっていう自分の物語をここ(N高等学校)でつくらなくちゃいけない」
「うん。そうだね」
僕はいつの間にか同調するキャラになっていた。うんしか言わない人間
「それは多分就職の時も同じ。他人を評価する時も同じ。この人はどんな人なんだろう?っていうのはつまるところこの人はどんな物語を創って来たんだろう?ってことで、それはつまり物語で人の良しあしを判断しているってことなんだよ」
「そうね」
「でも…何だろう…全部卑怯だなって思っちゃうんだよ…例えばさ、フィクショニズムに則るなら多分私はここでフィクショニズムが基盤となっているこの世界の問題点を涙ながらに語ってこういう世界の悪い点をさらけ出すことによって読者にこの世界について考える機会を提供する役回りになると思うんだよ」
「そうね」
「でも、それはあくまで役であって本当の私じゃない」
「『本当の私』」
「そう」
「本当の私って?本当のさっちゃんって何なの?私と喋っているさっちゃんは本当のさっちゃんじゃない訳?」
「…わからない」
「そうそうそうそう。わからないんだよ。本当の私なんてわからないんだよ」
「……なんかしっとりする感じの物語になってきちゃったね。…場面を変えようか」
「そうね」
話を戻すのであります。フィクショニズムが世界の基盤となっているこの物語では『虚無病』が流行しているという設定になっているのであります。ここで読者のみなさんのために説明しておくと虚無病というのは人生が物語であることを強く強く認識したために超スーパーミラクルスーパーマーケットハイパー悲観主義になってしまう、つまり鬱あるいはそれよりも悪い状態になってしまう病のことであります。何十年か前、フィクショニズムは今とは異なる意味で使用されていたそうなのであります。今ではフィクショニズムとは単に世界を物語と捉える一つの社会的システム(読者の世界で言うところの資本主義)を指すのですが、昔はそうではなく、ある哲学の一つの流派だったのだとか。詳しくは私もよく知らないのでありますが、フィクショニズムの方々が掲げる第一原理、つまり出発点は以下の命題でした。
「物語は人を幸せにする」
しかし『虚無病』という反例が生まれてしまったことによりこのフィクショニズムは衰退し、言葉だけが残ったとさ。めでたしめでたし。
という歴史を踏まえ、先のさっちゃんの話を聞くにしても必ずしも物語は人を幸せにするとはいえないのであります。最も、物語や幸せといった言葉の定義の仕方にもよるのでしょうが…
おやや忘れてはいけない、物語を終える前に約束通りセワキ君に登場してもらいましょう。
「やぁ。富ちゃん★呼んでくれたんだーーーし」かしながら僕は読者の皆さんに伝えなくてはいけないことがあるのです。
セワキ君はいません。
さっちゃんもいません。
N高等学校なんてものもありません。
「…」
「…」
「…」
「…」
「…」
「…」
嘘ですよ。みんなちゃんと存在しているのです。私は嘘はつかないのです。証拠はあります。この文字が全てをあらわしているからです。
僕はいつものように教室に行きました。
セワキ君はさっちゃんに告白しようかどうか迷っているという設定で、友人である僕が彼の背中を押すという設定になっているのであります。だから僕はその背中を押すのですが、そんな風に頑張るセワキ君を見て、僕はだんだんと彼に好意をもち、それはそれはまた何とも言えない関係を紡いでいくという話の詳細はまた別の機会にするのであります。
「富ちゃん、ありがとねッ★でも僕はやっぱりさっちゃんが好きなんだッ★」
これを言われるのはおそらくもう少し先のことなのでしょう。
「富ちゃんのおかげで生きてこられたよ…ほんとにありがとね…」
と言ってさっちゃんが死ぬ物語はだいぶ先のことなのでしょう。
いずれにせよ、僕は良い大学に行って良い就職先を見つけたいので読者の方に楽しんでいただけるような物語をつくることに勤しんで参るのであります。
…という物語でした(以下無限後退)
File 05
サイトーが死んだ。彼はこの世にはもういない。
戦争と言う物語が始まった。
みんなはもう普通の平和な物語には飽き飽きしちゃったみたいだ。
「何のために戦うの?」
僕はこれから戦場に行くという隣の人に話しかけてみた。
彼はこう答えた。
「そりゃあ、物語を物語たらしめるために戦うのさ
人を殺して、自分が殺されてってさ。そこにはたくさんの物語がある訳だろ?殺される人物に内包される物語が分厚ければ分厚いほど殺しがいがあるってものさ」
「…僕はまだ死にたくないよ」
「あぁ?僕?お前なんか幼い喋り方するな…?お前ひょっとして女か…?お前にもいい物語がありそうだ。今度俺がまだ生きてたら教えてくれよ」
じゃ、俺行くから。といって彼は戦地に向かった。物語のために。
彼はその日死んだらしい。敵の銃弾を浴びて。
物語の中では死んだ人物に焦点が当たることはない。物語には多くの場合主人公が存在して、その主人公がある程度まで成長したり、死んだりしたら物語は終わる。でも多くの物語はハッピーエンドで終わる。
「物語ってさあ、主観的なものだよな」
サイト―が言う。
今僕らは学校の屋上で青春という名の物語を現在進行形で味わっている。
制服を風にはためかせ、青い空の下でオレンジの缶ジュースを飲みながら街の景色を眺めている。
「主観的?」
「そう。だってさ。いくら作者が物語、つまり風景や登場人物を鮮明に記述したところでさ」
サイトーはオレンジジュースを飲み終える。半袖の制服。あえてズボンにしまわないところがなんとも物語らしい。君こそ主人公なんだろう。と思う。とはいえ後に彼は死んでしまうのだが。
「結局その物語を想像するのは読者だろ?読者の主観によって物語は形成されるわけだ。銃を作るのは作者であって引き金を引くのは読者なんだよ」
「もっといい例えないの?物騒だな~」
僕は顔をしかめて見せる。
「え?じゃあ、楽器をつくるのは作者で、奏でるのは読者ってのはどう?」
「いいね。そっちの方がいいよ」
あの空はどこまでも青かった。いや、今思えばすこし曇っていたかも。いずれにせよ周りの風景がどうだったかはよく憶えていない。青春として美化してるきらいがあることを否めなくもない。でも会話の内容は本物だ。彼とした会話はよく憶えている。彼は本当に素敵な人間だった。戦争に行って死んでしまったが。
数年後。
猪田が死んだ。猪田はもうこの世にはいない。
猪田というのはイノシシのことで人の名前ではない。
飢餓と言う物語が始まった。
戦争が始まったことが原因だった。
建物が壊れ、心は荒み、秩序が無くなる。
全ては国をつくるという物語のためだった。
再び秩序を形成するためだった。
僕は山で過ごしていた。ある日罠にかかった猪を見つけた。罠にかかって鼻息をフンフンしている姿がかわいらしかったので、猪田と名付けることにした。
捕まえて皮を削いでいる最中、僕は猪田に尋ねた。
「ごめんな。猪田。これからお前を食わなきゃいけない」
やさしい猪田は言う。
「いいんだ。おいしくたべてよ。僕は君さえよければそれでいいと思うんだ」
やさしくない猪田は言う。
「勝手に都合よく解釈するな。なんで俺がおまえにたべ」
僕は血抜きがしっかりできているかを調べてすこしずつ猪田を食べることにした。
物語とはエゴの塊なのかもしれない。
死んだ人間や動物は物語に呼ぶことができる。辛いときや悲しい時に語り掛けてくれるという役回りにすればいい。時を超えて彼らは自分の都合のいい状態のまま語り掛けてくれる。
記憶は嘘をつかない。少なくとも僕はそう信じたい。
でも、記憶も物語の一部であるならば、その限りではないのかもしれない。
File 06
引用元下
参考翻訳:https://www.deepl.com/translator
あなたはこれまでにどんなことを経験してきましたか?」
髪の薄い面接官に何十回と聞かれたことをまた質問される。
就活。
面接までこぎつけたのはここで21企業目。
既に百社以上に書類を提出しているが、ほとんどは書類選考の段階で足きりに合っていた。
面接まで到達できたのはごくわずか。
理由は一目瞭然。
私が普通だから。
「はい。私はこれまでに、多くの経験を積んできました。
まず、大学生活においては、学業と課外活動の両立を図りながら成長してきました。特に、経済学部に所属していたため、経済理論や統計学を中心に学び、データ分析の基礎を身につけました。また、ゼミ活動では、地域経済の活性化に関するプロジェクトに参加し、実際に地域企業との連携を通じて、現場での課題解決を体験しました。この経験を通して、理論を実践に応用する力を養いました。
さらに、インターンシップの経験も積んでおります。夏季休暇中には、ベンチャー企業でのインターンシップに参加し、マーケティング部門で実務を経験しました。市場――」
「もういいよ」
「え?」
「いや、もういいよ。帰って。何か君さ。書類見てても感じたんだけど、物語的に面白くないんだよね。君」
まただ――
「一応聞くけど人並み外れた特技は?才能は?独特な性癖や嗜好はもってる?」
「...ないです」
「絶望したことある?誰かが死んで衝撃を受けたことは?命の危険を感じたことは?」
「…ないです」
「うん。もう新入社員の面接は君で最後だから言うけどさ。やっぱり今の世間の基準は物語があるかどうかなわけ。だからさ、うちとしても面白い物語にあふれる社員でいっぱいにしたいわけ。その分だけ世間の評判がよくなるから。だから君ももっと面白い経験をしてから就活するといいよ。
…ゼミ?インターン?う〜ん。うちに来る人はそれ、既にやってる人ばかりなんだよね」
髪の薄い面接官はそう言って去っていった。
落ちた…
また落ちたよ…
どこにも受からない。
なんで?
私が普通だから。
「香織ちゃんって普通だよね―――」
普通。
「普通でいいなあ。羨ましいよ」
普通。
「みんなは普通じゃない方がいいっていうけどさ。普通の方が絶対楽じゃんね」
普通。
私は普通だった。
周りの子たちはいつだって物語にあふれていた。
若くして両親に先立たれた子。余命3年と医者に宣告されたけど、4年経った今も元気に生き続けている子。社会に適応しきれず自分の道を切り開いた子。
すごいな。と思う。でもそれと同時に。どうしてもどこかの私が私に尋ねる。
なんで私は普通なの?
私には...何もない。
人に誇れるような才能も性格も人間関係も。何も。何もない。
普通になりたくない…
[~♪Under Pressure]
頭の中で最近気に入った曲をかける。
土砂降りの雨の中を傘を両手でさして帰る。
私は今まで一生懸命生きてきた。
Pressure pushing down on me
プレッシャーが 私の上にのしかかる
Pressing down on you, no man ask for
そして君の上にも 誰も望んでいないことなのに
小学生にやってたピアノも勉強も部活もサークルもインターンも、何でも一生懸命に取り組んできた。
Under pressure that burns a building down
プレッシャーの下 ビルは焼け落ちる
Splits a family in two, Puts people on streets
家族は二つに引き裂き 人々を路頭に迷わせる
でも、他の人からしたらそれは、私が生きてきた物語は、面白くないといわれる。
どうしたらよかったのか。
別に私は人に面白いと思われたいなどとは思っていない。
でも、就職はしなくてはならない。
Um ba ba be
Um ba ba be
De day da
Ee day da - that's okay
お金がなければ生きてはいけない。この時代になってもお金はまだ物語の一部として機能していた。いや、よりお金という物語性が以前より強くなっているのかもしれない。
物語に対する確固たる信頼。
その信頼がより強固なものになった今日。私のような普通の人間は就職することが本当に難しい。
なんで私は普通なの?
It's the terror of knowing what the world is about
この世界を知ることの怖さ
Watching some good friends screaming 'Let me out'
"出してくれ "と叫ぶ親友を見ながら
私が悪いんだ。この社会は悪くない。というか善いとか悪いとかは社会に関して言えばそんなものはそもそもないんだと思う。これまで普通の日常に満足していた私が悪いんだ。
新卒が就職する時期ももう終わってしまう。
どうしようかな…
Pray tomorrow gets me higher
明日を祈る 私をもっと高いところに連れてってくれと…
Pressure on people, people on streets
人々へのプレッシャー 路頭に迷う人たち
Day day de mm hm
Da da da ba ba
Okay
私には恋人もいたことがない。当然、男友達もいない。
反抗期も特になく、姉弟もいないから誰かと喧嘩したこともない。
人生に絶望したことも無ければ、特別、何か人に誇れる才能を持っているわけでもない。
Chipping around, kick my brains around the floor
彷徨う 自分の脳みそを床に蹴り散らして
These are the days it never rains but it pours
雨は降らないけど土砂降りの日々
Ee do ba be
Ee da ba ba ba
Um bo bo
Be lap
「香織は普通だから最強でしょ」
People on streets
路頭に迷う人々
Ee da de da de
「普通だから絶望することもないし」
People on streets
路頭に迷う人々
Ee da de da de da de da
「私も香織みたいに普通だったらなぁ」
It's the terror of knowing what the world is about
この世界を知ることの怖さ
Watching some good friends screaming 'Let me out'
"出してくれ "と叫ぶ親友を見ながら
どうしようかな…
私は面接に行った会社から家に帰る。
外は土砂降りだったので、シャワーを浴びて、髪をドライヤーで丁寧に乾かして、パジャマに着替えてからベッドに倒れこむ。
携帯に目をやる。
今既に入っている予定だと、面接までこぎつけた会社は次で最後になる。
おそらくこの会社は私が卒業した大学の名前だけをみて、書類選考を通したのだろう。
私が出た大学は有名な大学で、たくさんの狂人を輩出していた。そんななかで何の物語も持ち合わせていなかった私は当然、浮いた。みんなは自分の好きなことに没頭していて私だけが取り残されていた。いや、そもそも私は彼らの物語に存在していなかった。
私は空気だった。
とにかく明日で最後。それより先のことは取りあえず考えない。
明日も全力で行く。一生懸命に。
Pray tomorrow gets me higher, high
明日を祈る 私をもっと高いところに連れてってくれと…
Pressure on people, people on streets
人々へのプレッシャー 路頭に迷う人たち
最後の面接。相手は穏やかそうなカジュアルな面接官だった。
私がひと通り話し終えた後、カジュアルな面接官に言われた。
「もういいよ。君普通だから」
まただ―――
なんで私は普通なの?
「君。正直に言ってさ…面白くない――」
これで何度目だろう。でもこのフレーズを言われるのも今日で最後だ。
Turned away from it all like a blind man
盲人のように全てから目を背ける
Sat on a fence but it don't work
フェンスに座っていても、うまくいかない
最後か…
どうせ最後なら…
もう少しだけ…
頑張りたい。
「も…もう一度、チャンスをください」
もう少しだけ…もがきたい。
Keep coming up with love but it's so slashed and torn
ずっと愛を求めてみるけど それはめちゃくちゃに切り裂かれている
Why - why - why?
なぜ?なぜ?なぜなんだ?
「ん…?いやでも……君普通だしな…」
「私の周りには普通ではない子ばかりでした。いつもその子たちにあなたは普通でいいね。羨ましいって言われていました。けど、私は普通になりたくなかったんです。普通になりたくないのにいつも既定値に落ち着いてしまう自分。そんな自分が私は嫌いでした。でも…最近ようやくわかったんです。これが私なんだって。普通になりたくないともがきながらも普通で居続けてしまう自分。これが私の物語なんだって。だからチャンスをください。こんな普通の私でも、いや普通だからこそ。普通な人間でも社会でうまくやっていけるんだってことを示すいい見本になると思うんです。私は、私は普通の人間だから、みんなのお手本になれるんです。私がみんなの足りない部分を既定値まで引き上げて見せます。私は、普通じゃないみんなを支える関わり方をすることで、私と同じ普通の子に自信を与えたいんです」
気づけば夢中で話していた。
Love, love, love, love, love
愛,愛,愛,愛,愛
Insanity laughs under pressure we're breaking
狂気はプレッシャーの中で笑い、私たちは壊れていく
Can't we give ourselves one more chance?
私たち自身にもう一度チャンスを与えてみないか?
Why can't we give love that one more chance?
愛にもう一度チャンスを与えてみないか?
Why can't we give love, give love, give love, give love
私たちに愛を与えてみないか?
Give love, give love, give love, give love, give love?
愛を与えて…
「……面白い。いいね」
カジュアルな面接官はそう一言呟き、人差し指を口にあてて考えた。
その後長い沈黙が流れた。
Because love's such an old fashioned word
愛なんて古臭い言葉だからだ
And love dares you to care for
そして、愛はあなたに気遣ってみろと言う
The people on the edge of the night
夜の果てにいる人々を
And love dares you to change our way of
そして愛は、私たちのやり方を変える勇気をあなたに与える
Caring about ourselves
自分自身を大切にする
「よし。君採用」
…え?
香織はきょとんとした顔をする。
「言ったでしょ?採用って。いや、本当は普通の人は採用しちゃいけないんだけどさ。なんか…グッときちゃったよ…なんでだろう…何か忘れていたような…まぁいいや。とにかく、入社式に関する情報とかはあとでメールで送っとくから。見といてね。じゃ、また」
そういってカジュアルな面接官は去っていった。
This is our last dance
これが最後のダンス
This is our last dance
これが私たちの最後のダンス
This is ourselves
これがありのままの私たち
そうして私は本当にこの会社に入社した。会社の先輩や同僚からは「君。あんまり面白くないね」と言われ続けた。だがそれも初めの方だけで段々とそういわれることは減っていった。でもきっと心の中ではまだそう思われ続けているのだろう。
私は普通だ。私が狂人になれることはこの先も多分ないのだと思う。
それでも私はこの社会で生きていくしかない。
under pressure
プレッシャーのもとで
Under Pressure
プレッシャーのもとで
Pressure
プレッシャー
File 07
『先生…僕はもっとみんなと仲良くしたいんです…』
『ねぇ、今日あったこと、ずっと忘れないでよ』
『何それー!?面白っ!!アハハッ!』
『もっと君と一緒に居たかった…』
物語が蔓延するこの世界で「虚無病」と比肩する「虚構乖離病」という病があった。この病に罹患した者は存在しない未来を現在に見る。わかりやすく例えるなら人生で一度もケーキを食べたことが無いのにケーキを食べた記憶が確かにあると言う感じだ。
しかしながら、虚構乖離病に罹患した者が目にする虚構は強烈なもので罹患したものは虚構と現実の多大なる乖離の前に強制的に晒されることになり嘔吐する。
この病を引き起こす原因は今なおわかっていない。
未来に対する憧憬の念なのか
現在に対する絶望の念なのか
過去に対する悔恨の念なのか
ともかく真意は誰にもわかっていなかった。
「虚構と実像が意識内で混在し、何が本当で何が嘘なのかがわからなくなるんです。僕はこの先彼女をつくって結婚して子供をもって…という未来を送る虚構を目にしました。しかしそれはあり得ないんです。なぜなら今僕はまだ彼女さえいないから。でもその虚構をありありと感じるんです。だから胸が苦しくなる。その虚構が現実ではないことの苦しさや乖離によって頭がおかしくなるんです。実際僕の隣には誰もいないんです」
「それで情けない嘔吐の声が出てしまうんです。おえぇって。頼りない呻き声と共に。これほどまでに実感を伴う虚構が人生を侵食するとは思ってもみませんでしたよ。自分にとって物語とは苦痛をもたらすものでしかありませんね」
物語は人を..…
Fictionism 完