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「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」(内山節著) (その1)

「かつての日本の人々は、自然の世界を清浄なもの、人間の世界を穢れからまぬがれえないものとしてとらえていた・・・(中略)・・・かつての日本の人々は人間が生きていく過程を自己の霊が穢れていく過程としてとらえていたのである。

とするとなぜ霊は穢れてしまうのか。それは「人間的」とか「人間らしさ」という言葉で表現される人間にだけ備わっている精神や知性が、自然であることに反しているからである。」(P53)

「自然の生命には自己主張から来る作為がないからである。・・・(中略)・・・ところが人間は自己を主張し、しかもその主張を知性で合理化するから、次第に本当のことがわからなくなっていく。魂が穢れていくのである。・・・(中略)・・・この霊の穢れに耐えられなくなった人々は生きているうちに「山林修行」を目指した。自然の中で荒業を重ねていくのである。この修行こそが穢れをとる唯一の方法であり、だから修行がすべてで教義はその補足的なものでしかなかった。」(P85)

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