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ヌゲバワカル その2
ワクワクとかドキドキとか、オノマトペと言われる言葉。私の好きな曲、「On the sunny side of the street」の中でも、
ただいま再放送中 [カムカムエヴリバディ] 世良公則「On the Sunny Side of the Street」歌唱シーン【ネタバレ注意】| 朝ドラ | NHK
“Can't you hear that pitter-pat?(パタパタ言う音が聞こえないかい?)”
っていう言葉があるくらい、おそらく世界中で使われている表現ですが、日本語には特異的に多いと聞いたことがあります。
その昔、自分の20代の時に夢中になっていた燃費レースの車づくりに、まさに寝食忘れて取り組んでいた時に、「ギュッと加速して、ダーって転がる車を作ろう」という合言葉が共有された瞬間に、一気に記録が伸びたことがありました。
ある程度の関係性ができると、ガッ、サッ、ダーっの方が通じると言う不思議な経験をしている人が、僕以外にもいると信じたいですが(笑)、関係性によって心に届く言葉は異なるということなんだと思います。
昨日もある先輩と話をしていて、30年前に普通に職場で飛び交っていた、今では完全なNGワードは、しばらく前に関西のある市長が「暴言」で物議を醸したことがあったけど、それと同じだよね、という話になりました。コミュニティのネイティブにとっては、ほぼ日常会話の表現なのに、メディアや他所の住民から見ると「なんて乱暴な」と感じる言葉は、おそらくたくさんありますし、「方言」のニュアンスが一歩出ると全く通じない経験をしている方も少なくないはずです。
文字に落とした言葉はデジタル情報のように、劣化せず距離や時間を超えていきますが、言葉というのは「テキストをリッチにすれば伝達できる情報が増える」という単純な法則が必ずしも成り立たない、とても難しい媒体だと思います。相互信頼が基盤にある関係性においては、ギュッ、ダーッのほうがより通じるのに、十分な関係性がないと「なぜわかってもらえないんだろう?」と悩むのが人間関係の日常ではないでしょうか。
だからこそ、会社や社会のような、必ずしも十分な関係性で構成されているわけではないネットワークにおいては、言葉で意思を伝えようとするより、「共に現場でものを見る」、そして「行動で示す」ほうが共感が生まれ、意思が伝搬、発展していきやすいのではないかと。
文字に落とした言葉はアーカイブとして大変大切ですが、人に理解してほしい、動いてほしい時に膨大な数のスライドを使って言葉で説明するより、現場でものを見て、感じてもらうほうが、長い目で見ると効率がいいはず。
以上、「なぜ裸足がいいんですか?」と問われたときは「ヌゲバワカル」としか答えないノビーでした(笑)。
Thanks God, It’s Friday. 今日も仲間たちがスカッとした一日を送れますように!