【かぞくのかたち】「やっかいだけど、かげがえがない」
2月。プライベートでブライダルフェアに参加した。正直なところかなり疲れた。
フェアそのものもそうだけれど、これからの家族関係とか決め事の諸々とか、一つ一つ考えると少し億劫になったのだ。
そんな折、2月26日のほぼ日手帳でこんな言葉を見つけた。
特別な「家族観」は持ってないけど、家族の姿を撮るときには「やっかいだけど、かけがえがない」ということを念頭に置いてはいます。うん、「やっかいさ」って、あるんですよ。血がつながっているからこそ、むずかしいことって、たくさんあるでしょ。その両面を描きたいなと思っています。ー是枝裕和さんが『ぼくはなぜ物語を書くのか。』の中で
この一節の中でも僕が心を打たれたのは「やっかいだけど、かけがえがない」の一言で。
家族になる過程の中で僕もまた「やっかいさ」みたなものを感じていたような気がする。
アレを決めて、この人に挨拶をして、これはああでこうで…というやっかいさ。面倒だなぁと思う時もたくさんあるけれど、その実新しい出会いや大切な人が大切に思っている人に会えるうれしさみたいなものもある。
一人でいることはとても気楽で身軽なのだけれど、やっぱりどことなしに寂しく思う時もあって。
家族になろうとしている今、面倒なことも煩わしいこともやっかいなことも増えるけれど、その分あたたかみみたいなかげがえがないものもまた増えているように感じる。
そう考えるとなんだか今まで面倒だなぁと思っていたことも、やっぱり面倒ではあるんだけれど笑、でもなんだか愛らしい面倒だなぁに変わってきたような気がしている。
一人でいたのが二人になって、更にそのそれぞれの関係が混ざり合ってそうして出来るものがいいものであるように、というかいいものにできるようにこれからもやっていきたいなと思っている。