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【シゴト論】打ちのめされるという財産
ある程度の年齢になったり、職場で言えば年次を重ねたりすると、昔に比べて怒られたり或いは打ちのめされるという経験が減るように思う。
それは経験や年月を重ねたらこそ、とも思えるけれど見方によっては新しい分野や領域への挑戦が欠如している、とも言えるかも知れない。
今週は久々に打ちのめされるという経験をした。客観的に見れば、特段問題が生じた訳でもないのだけれど、あくまで自分の中で打ちのめされた。これじゃあダメだ、と。
それは、お客さんからの問い合わせでのことだった。やや依頼の背景が入り組んでいたので、一つ一つ聞きながら案件の全体像を探った。
その会話の折りにお客さんから結構専門的なワードが投げられた。これによってそれまで少しずつ姿を見せ始めていた話の全体像を僕は完全に見失った。迷子だ。
そのワードは専門的ではあるものの、その分野に携わる人間なら大枠は知っているべき(と僕は思っている)ことだった。
一度話をまとめるために電話を切り、論点を整理し、上司と相談した上で改めて先方へ対応を伝えた。先方も納得し、特段何か問題があった訳ではない。
けれど、僕はあのワードを投げられ、案件の全体像を見失ったあの瞬間を思うと、恥ずかしさと悔しさで一杯になった。
自分の専門分野での知識不足が露呈したこと、案件を一つの電話でまとめられなかった未熟さ、日々の努力不足…etc
いろんな思いが混ざって打ちのめされたと感じたのだと思う。けれど、同時にこうした気持ちを歓迎している自分がいることにも気付けた。
打ちのめされれば、自分が如何に力が足りないか分かる。自分はまだまだなんだと思えるから、より頑張れる。そういう時の方が面白味を感じるらしい。
そう考えると打ちのめされるという経験は財産なのだなぁと思えた。仕事で掻いた恥は仕事でしか取り返せないと言ったのは3月のライオンのおじいちゃんだった気がするけれど、打ちのめされた経験をガソリンにしてまたここから頑張りたいと思っているのである。